【 シリーズ 】
全国学力調査の在り方を問う
−今後の方策を識者にインタビュー−
【第1回】 プロセスにテコ入れ必要 筑波大学・田中統治教授に聞く
全国学力・学習状況調査は、5年間は実施されることが見込まれる。この実施について、田中統治筑波大学教授に意見を聞いた。
学力調査の出題内容をみてみると、文章だけでなく、様々なデータから読み取るというPISA型のテスト問題になっている。学校でこのような内容の指導は、なされているのだろうか。教育課程で実施していないことを出題しているとすれば、単なる学力テストに過ぎない。
学校で教えている中身の定着度を測るのが教育課程実施状況調査である。学力調査は、教育課程実施状況調査という原点に立ち返るべきだ。
文科省が学力調査を悉皆で行っているのは、各学校の各クラスのデータまで取り、その結果を受けて現場で授業の改善につなげてほしいということだろう。
そうならば、学校現場でカリキュラムマネジメントにどう役立てられているか検証が必要だ。いわゆるPDCAサイクルを教育現場に導入するということである。
ただ、学力調査の結果を学校に返しただけでは、それを基にして授業改善に役立たせることは難しい。データの分析には、高度に専門的な知識が必要になる。
例えば、教育委員会に専門の指導主事を配置したり、教員に研修を行うなど、現場をサポートするための施策を、学力調査の実施と同時に講じるべきだった。
国は、インプットとアウトプットに力を注ぎ、プロセスは現場で行うと提案されていたが、プロセスにもテコ入れが必要だ。
学力調査の実施にかかる45億円の予算は無駄だといわれるが、無駄にしないためには、現場に定着するような、さらなる施策が必要だ。そのような余地がないのなら、悉皆調査の意味は感じられない。
子どもたちに学力をつけるにはどうしたらよいか。答えは簡単だ。定評のある教材がすでにあるのだから、それを用いればよいのであって、PISA型などといって、新たな教材を入れ込まないほうがいい。それらの教材を用いて、一人ひとりの子どもに時間をかけ丁寧に指導していけばよい。それが学校現場でできない状況にあるということを、どう捉えるかが重要だ。
【第2回】 指標の妥当性に疑問 中京大学・杉江修治教授に聞く
全国学力・学習状況調査の実施について、杉江修治中京大学教授に意見を聞いた。
全国学力調査がすでに実施され、継続されるという現実があっても、なお、その意義の根本を問い続けることは必要だ。
四十数年前に実施された学力テストが現場の教育実践に何をもたらしたのか、現状はその問題を克服できているのか。
イギリスの教育政策が色濃く反映されている発想のようだが、イギリスの実態と日本の実態のつき合わせをしたのだろうか。また、イギリスの政策が成功しているのだろうか。競争原理が根底にある教育の試みは、少数の勝者には勝つことを目的とした、幅の狭い成長をもたらし、多数の敗者の意欲を殺いで来ており、大変な人材の損失を生んできているという問題に、いつになったら気づくのだろう。
今回の学力調査で測っている学力の意味について、一般にどれほどの理解を得ているのだろうか。文科省では、基本的にテストで測った限りの学力だと各所で触れてはいるが、その一方で、この結果を広く教育改善に用いるようにという指針も出している。その過程で、このテストで測った学力得点が独り歩きしてしまいはしないか。
このテストで測った限りの学力が、子どもの育ちを表す指標として、どれほどの妥当性を持っているかという視点が、一般市民はもちろん、教師たちの間にもあるように思えない。「活用」力を測るB問題が導入されたとしても、教育の改善にじかに役立つほどの学力観の広がりではない。
教育評価の機能を考えるならば、より小規模な実施が望ましいだろう。実践者が課題と感じ取っている内容について評価し、即座にその結果を生かしていくというサイクルこそが、授業をはじめとする教育改善に最も資する手法だろう。
文科省がすべきは、そういった実効性のある試みを支援することであるはずだ。より科学的で実施可能な評価の手法を開発すること、評価に時間を割ける人材を導入することなどが、その仕事であろう。
自ら学ぶ意欲をもち、民主社会を主体的に担える人格形成が現代の教育の課題であるはずだ。この目標と、全国学力調査がもたらす結果との間の整合性について、きちんと検討されなくてはなるまい。
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