【 シリーズ 】
“連携・一貫”教育はなぜ必要か
−全国で進む動向にどう対応すべきか−
【第1回】 地域が共創する教育づくりを 教育創造研究センター所長 階 玲治
最近の教育状況の中できわめて目につく動きは幼・小・中などの連携・一貫教育である。
それは小・中一貫校を作るという学校の建物づくりのことではない。その試みも各地にみられるようになったが、不況のご時勢では建設ラッシュになる可能性は少ない。
しかし、幼・小・中の建物が分離していても、連携・一貫の教育は今後大きな力になる可能性がある。
そのスタイルは2つあって、1つは特に教科内容等の一貫性のある指導を確実に積み上げたいとするタテ系列の連携・一貫教育である。
また1つは、子どもの教育の機能を学校のみでなく、家庭や地域が協力して行うというヨコ系列の連携・一貫教育である。
なぜ、このような動きが急速に広まりだしたのであろうか。
まず、前者のタテ系列の背景には、新教育課程に向けた実践的な課題があると考える。周知のように小1プロブレムや中1ギャップという課題があるが、それらを含めて幼・小・中において、それぞれの学年レベルの学力が十分に身につかないまま進級・進学するという事態が進行しているという、大きな課題がみられることである。
新学習指導要領が最低基準とされて当該学年の学習内容が到達目標化される状況では、幼・小・中・高に段差が生じては実効性に高い教育は難しいのである。
それは必然的に後者のヨコ系列の動きを生み出す働きを持つ。子どもに身につけたい力は学力のみではない。基本的な生活習慣や生活規律、社会的なマナーや行動力である。
これらの力は学校教育のみでは十分ではない。最近は家庭や地域の教育力が低下しているといわれるが、学校と家庭・地域が子育てに共通の願いや「ねらい」を持ってチャレンジすれば、その教育力は回復する可能性が大きい。すでに地域の子どもは地域が育てるという「共創の教育」的な動きが生まれている。
身近な「あいさつ」運動や早寝・早起き・朝ごはんなどの生活習慣、また安全・安心のためのセーフティーネットづくりを含めて具体的な取り組みがみられるようになった。
ただし、こうした幼・小・中の連携・一貫の教育は学校まかせにしてはできない。教育委員会の強力なサポートが必要である。地域の教育をどう推進するか明確なビジョンを持ってサポートする必要がある。
だが、そうした連携・一貫の教育はどのようにすれば成功するであろうか。この連載では、研究者や実践者による提言をお願いしている。連携・一貫教育は、最近注目されている学校運営協議会などとも関連する課題である。
今後、学校・家庭・地域による「共創の教育」をどう展開するか、大いに注目されるのである。
【第2回】 学校の小規模化への対応で 国立教育政策研究所教育政策・評価研究部長 葉養 正明
○一貫教育、連携教育へのまなざし
このところ小中一貫校、小中連携教育への視線が強まっている。
今年1月30日に東京都品川区立小中一貫校伊藤学園で開かれた「小中一貫教育全国サミットin品川」でも、全国各地から数多くの教育関係者が集まった。
同サミットの分科会は5つ設けられ、「学力向上」「豊かな人間性の育成」「英語教育」「生活指導」「学校小規模化」をそれぞれテーマとして事例発表と活発な討議とが進められた。
この集会は、一貫教育や連携教育がどのような意図やねらいを有するものかを、端的に示すものであった。
特に、注目されるのは、学校の小規模化分科会が設けられたことで、一貫教育等が複合的な意図を背景に動いている、ことを物語る。
○学校小規模化からの視線
学校の小規模化は、全国的趨勢といってよい。文部科学省の中央教育審議会初等中等教育分科会で、小中学校適正配置の問題を含め審議検討が進められる背景である。
ところで、学校小規模化に見舞われる自治体にしばしば見られるようになった動きがある。
小中併設校や小中一貫校をつくろうとするものである。
学校の小規模化というのは、小学校で、あるいは、中学校で子どもの数が減少することを意味しているから、子ども数の規模を維持しようとする戦略として、学校統廃合に加え、小学校と中学校とを同居させては、という発想が生まれる。
いうまでもなく、前者の場合、小学校と中学校との近接性を強め、建物などは一緒に使うことになるが、教育課程の編成や教育活動、あるいは教職員組織などは、基本的にはそれぞれ別個である。
それに対し、一貫校の場合には、小中学校9年間を通して教育活動を展開することを考え方の基本に据えており、品川区のように一貫校用の教育課程を編成したり、教職員組織を小中全体で構成したり、小中学校の一体性、融合を進める視点が基本となる。教職員の側に、やる気やエネルギーをより多く要するのは、後者であることはいうまでもない。
○一貫、連携の教育論
学校の小規模化を背景に一貫校や連携教育を生み出そうとするのは、以上のように子どもの数を確保したいという「教育論」に出発する場合もあるが、もうひとつの動機には、学校統廃合を進めやすくするため、というものもある。
施設一体型の一貫校や併設校をつくることになれば、これまでのキャンパスのいずれかが空くことになる、からである。
しかし、一貫教育や連携教育にとってもっとも大きな動機とされるべきなのは、「教育論」である。例えば、一貫教育を考えれば、一貫することによる教育活動の効率化は進めやすい。
その半面、一貫教育、連携教育には課題もある。教育の効率化のデメリットの側面である。「教育論」に拘泥する視線を失わないようにしたい。
【第3回】 「ほどよい距離感」の一貫で 日本大学教授 佐藤晴雄
異校種の連携教育や一貫教育が語られるとき、小1プロブレムや中1ギャップの問題が取り上げられる。確かに、これらの問題が目立つようになったのだろうが、だからといって、校種の接続を単に円滑にすればよい訳ではない。子どもたちのプロブレムやギャップを先送りしかねないのである。
人が成長していくためには、いくつかの節目に直面し、これを乗り切っていくことが必要である。「小1プロブレム」や「中1ギャップ」も、そうした成長の節目に起こる現象だと思う。
しかし、そうした問題が起きているからといって、連携・一貫教育によって接続関係を円滑にしてしまえば、児童生徒はその後、直面するはずの大学入学や就職というギャップに耐えられなくなる可能性がある。現実に、大学1年生で通学しなくなる学生は珍しくない。
就職しても、3年持たない若者が話題になっている。彼らは大きなギャップを乗り越えられないのである。つまり、連携・一貫教育が、羽化しようとする蝶のサナギをこじ開けるようであってはいけない。
児童生徒自身がギャップを乗り越えるのを見守ることが大切なのである。
むろん、小1プロブレムや中1ギャップが深刻な児童生徒には、連携・一貫教育のような対応が必要かもしれないが、自分でそれを乗り切れる児童生徒にはそれが余計なお世話になる。
ここで主張したいのは、連携・一貫教育がそうした問題への対応策として、過度に緊密な形で取り組まれべきでなく、むしろ、教師の協力指導体制づくりやカリキュラムの調整というレベルで進められるべきことである。
小中の校舎が一体で、教師の小中間交流が日常的に行われれば、児童生徒は息苦しさを感じやすいはずである。
そうなると、小学校時代に教師から偏見を持たれた児童は、中学生になってもそれを帳消しにできないままになる。あるいは、小学生は中学生になっても、小学生気分が抜けきれなくなる。
その点、東京都三鷹市の小中一貫教育の取り組みは評価できる。2校または3校の小学校と1中学校の組み合わせで、コミュニティ・スクール制度の導入とともに、一貫教育を実施しているからである。
つまり、一貫教育によって児童生徒を閉塞的な空間に閉じ込めるのではなく、学校と地域との関係性を構築し、小学校のヨコの連携も促すことによって、むしろ彼らの学校生活のステージを広げようとする試みなのである。校舎一体型でないので、児童がバスで中学校まで移動する姿も見られ、「ほどよい距離感」のある一貫教育だといってよい。しかし、カリキュラムは一貫教育の特色を生かしたものとなっている。
最近の連携・一貫教育論は、どうも教師や教育委員会が目の前の教育問題への対応を外形として示すという視点が強すぎて、肝心の児童生徒にとって本当に意味があるのかという吟味を欠いているように思う。教師や教育委員会はギャップを取り除かれた児童生徒の数年後に、果たして責任を持てるのだろうか。
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