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[H22年3月11日]
文部科学省は2月10日、「『熟議』に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会」を設置、初会合を開いた。
鈴木寛文部科学副大臣の発案によるもので、従来の審議会形式による政策策定とは異なり、教育現場からの多数の意見を吸い上げることを通して、政策決定につなげるという画期的な手法だ。同省では、この懇談会について、「現場対話とインターネット活用などによる、学校・家庭・地域の第一線で活躍されている当事者の意見の収集方法の在り方について意見交換などを行うために、教育担当の文部科学副大臣主宰のもと、『熟議』に基づく教育政策形成の在り方に関する懇談会である」と説明している。 発案者である鈴木副大臣は、記者会見の席上、この懇談会の性格について、次のように語っている。 ○「小さな町、村の教育長さんら教育に携わっておられる方の生々しいお話は、一言一言に深みがありました。それをどうやって拾い上げ、中央政府における政策決定にも生かしていくか」 ○「現場での知恵というものを中教審の皆さんも共有していただくことで、中教審自体のご議論もかなり奥行き、幅が出てくるのではないかと感じさせていただいた」 ○「委員には、ネット関連のいろいろなサイトとか、コミュニケーションをファシリテートしていただいている、プロ中のプロを集めています」 ○「例えば、全国1800ある市町村の1800の教育長に文科省に集まっていただくということは不可能ですから、そうした意味ではネットというツールを適宜適切に使っていくことも必要です」 「熟議」とは、耳慣れない言葉であるが、文科省は、「熟議民主主義」を田村哲樹氏の著書『熟議の理由 民主主義の政治理論』(勁草書房)から引用し、「理性的な熟慮と討議を通じて合意を形成し、集合的な問題解決を行おうとする民主主義の考え方」と捉えている。 その上で、「熟議民主主義」のプロセスとして、(1)保護者、教員、地域住民が一堂に集まる(2)地域の教育問題について学習するとともに、参加者間で討議する(3)問題の理解、各参加者のできること・できないことへの理解が深まる(4)学習・討議の過程で解決策が提案され、各参加者の知見により洗練されたものになる(5)参加者間で解決策の趣旨を共有しているため、各自がそれぞれの役割を理解・納得する(6)各自が問題の解決に向けて、それぞれの役割を果たす――という流れを描いている。 同省では、熟議民主主義を採用している例として、神奈川県藤沢市の「市民電子会議室」を紹介している。 この電子会議室は、市民と行政の協働による自治実現の方策として採用されたものである。インターネットを活用した新しい市民提案制度としても注目されているとのことだ。 民主主義による政策決定は、まさに膨大な手間と暇が必要となるが、民意の反映ということになれば、熟議民主主義を採用することは、一歩前進といえよう。 従来は、中教審などの限られた専門家による意見によって政策が決定されてきた。これを大きく転換し、教育現場で苦労している多くの教育関係者の意見を吸い上げていくことには、大きな価値がある。 ただ、その民意が無責任な特定の集団に利用されないかを常に検証しながら大胆にしかも慎重に進めていくことを願いたい。
[H22年3月8日]
政府は、少子化対策に取り組む政府全体の計画として、このほど「子ども・子育てビジョン」をまとめ、閣議決定をした。 これまで一般に、家族や親が子育てを担い、個人に負担がかかっていたものを、社会全体で子育てを支え、個人の希望を実現するのが目的である。これは従来の少子化対策という発想から一歩進んで、子どもを育てる家庭への総合支援策と位置づけている。
このビジョンの柱として、社会的ライフスタイルの変化を踏まえて、(1)子どもの育ちを支え、若者が安心して成長できる社会へ(2)妊娠、出産、子育ての希望が実現できる社会へ(3)多様なネットワークで子育て力のある地域社会へ(4)男性も女性も仕事と生活が調和する社会へ――という4本の柱を示している。このための施策として幼保の“一体化”を含む制度構築を盛り込んだ。教育的対応の必要ということである。幼保の“一元化”では関係する厚労省(保育行政)と文科省(幼稚園行政)との調整困難の歴史があり、“一体化”されたといえるが、省庁横断の政策の難しさが案ぜられる。 さて、昨年は、ついに経済活動を支える15歳以上の労働人口の割合が6割を切った。これは、国際的に見ても深刻な状況といえよう。高齢化、少子化の影響である。キャリアガイダンスのあり方としても課題にする必要がある。 また、労働などの事情によって昼間保護者が家庭にいない小学生に対し、放課後や長期休暇中、保護者に代わって保育する学童保育を5年間で30万人増やす方針というが、堅実な中長期的な視点からする戦略が示されないことから若い世代に希望をもって家庭を築き、子どもを持つ気持ちになりにくいのである。 一方、今年の国家予算案を見ても、子ども手当が国の防衛費を上回り、国内総生産(GDP)の約2倍の国家債務が存するという状況である。つまり、これから生まれる子どもは、生まれながらの過重債務者なのである。本来、財政規律を守るべきであるのに、選挙対策第一でその方策が示されていないことによる。 少子化の現実とそれへの対応の遅れは、国家の危機としてとらえるべきであろう。案ずることの第一は、国力の衰え、本格的経済のパイが縮むことである。資源に乏しい日本のあり方が労働による付加価値増に基盤があるからである。 次に、労働人口における平均年齢の上昇、高齢化に伴う国力を継続して維持する力の減退の恐れがあげられよう。技能の伝承の問題でもある。 また、非正規雇用が多い若年層にとっては、女性が専業主婦でいられることは、夢のまた夢であり、共働きが常態化すると思われる。それが常態であるのに、ひと昔のように、家庭や地域社会に子育ての援助を期待しにくい世情がある。 さらに、高齢社会への急傾斜は、福祉予算の増大を招くが、必然である。これは、やがて年金制度の存立の危機を招くおそれがある。 これらの危機への対応は、出産、保育、教育などの面での子育て世帯への支援、保育園中心の育児支援の充実・環境の整備がまず必要である。また、企業への対策として、育児休や産休への対応(休み明けの処遇など)、残業の見直し(家庭の団らんなどへの配慮)など、雇用関係の意識改革の推進の必要があげられよう。 少子化の視点を、危機の認識と対応の中に求めるべきであろう。
[H22年3月1日]
「極めて厳しい財政状況」にある多くの地方自治体では、例年、予算編成に難航しているが、中には独自のプランを掲げ、財源を重点配分するなどして新味を出すなど、意欲的に編成している自治体もある。
その1つの代表格といえる自治体が京都市(門川大作市長)である。同市では、この2月の定例市議会に、平成22年度の予算案を提出したが、担当者によると、「市政運営の羅針盤となる『京都未来まちづくりプラン』を実現し、将来にわたる京都の発展を着実に推進するための経費に、財源を重点配分して編成した」と説明している。 注目されるのは、教育委員会の予算編成だ。「全市的な課題である平成23年度までの財源不足の解消と、さらなる教育改革を推進するための財源捻出のため、すべての事業をゼロベースから徹底して見直すとともに、退職不補充による人件費削減、PFI手法(民間資金を活用した公共事業)の活用など、聖域のない見直しを図った」としている。 同市教委では、こうして捻出した財源をもとに、すべての子どもに「確かな学力」「豊かな心」「健やかな体」をはぐくむ教育の充実に向けて、全国初の市独自予算による(1)小学校1・2年生の35人学級と中学校3年生の30人学級の実現(2)土曜学習の実施校の拡大(3)学力向上プランなどによる学力向上、1週間程度の長期宿泊・自然体験活動の実施(4)学校評価システムの充実や学校運営協議会校の拡大(5)放課後学び教室の全小学校区の実施(6)教育活動へのボランティアの参画――などを打ち出している。 また、校内LANやデジタルテレビなどの全校での活用など、全市的な学習環境の充実を進めることにしている。 同市教委の予算規模をみると、教育費(学校等運営費、建物等施設整備費、人件費)は、21年度が510億5800万円だったが、22年度は対前年度比9億4200万円減(1.8%減)の501億1600万円にとどまっている。このような厳しい財政状況の中で、数多くの新規事業を展開していることも注目される。 新規事業の項目と金額を列挙すると、▽大学初の教育支援コンソーシアム事業(大学などの最先端の研究成果を学校の実践に生かす、800万円)▽総合支援学校の新学習指導拠点整備(サテライト教室の開設、約500万円)▽学校図書館の活性化(司書資格などを持つ図書館支援員の配置や市民ボランティアの参画、2000万円)▽芸術系高校の振興(音楽高校の充実など、500万円)▽学校耐震化PFI事業(2500万円、耐震補強が必要な学校での工事促進)がある。 このほか、京都こどもモノづくり事業の充実、第4回全国緑のカーテンフォーラムの開催、幼稚園等における保健指導の推進なども新規事業である。 このような予算編成過程をみてくると、市教委が厳しい財政状況の中で、様々な教育政策に対して、知恵を絞り、きめ細かな配慮をした努力がうかがわれる。 国の財政に余裕があった時代の地方自治体は、補助金行政といわれるほど、常に“待ち”の姿勢であった。それが自治体の裁量が大幅に認められた地方交付税の時代になっても独自色を打ち出せないでいる。 その意味で、京都市のように、限られた財源の中で、数々の新規事業を打ち出す姿勢には賛同できる。多くの自治体がこの“京都方式”を参考にして、独自の予算編成に力を注いでほしい。
[H22年2月25日]
子どもたちが独りで悩みを抱え込み、誰にも相談できず、安心して過ごせる居場所がない――。 こんな状況がいじめや不登校、自殺などを生み出す原因になっているとして、政府は1月14日に、関係機関や民間団体と連携して、「子どもを見守り育てるネットワーク推進会議」を立ち上げ、これらの問題行動に適切に対応することになった。
この推進会議で中心的な役割を果たす文部科学省は1月29日、各都道府県・政令指定都市の知事・市長、同教育委員会教育長などに、高井美穂大臣政務官名による通知を出し、この推進活動の趣旨徹底と適切な対応を求めた。通知によると、同推進会議を設置する目的は、「子どもたちの悩みを受け止めるために、これまでもスクールカウンセラーなど心理の専門家等を活用した学校での教育相談の充実や、24時間での電話相談体制の整備等に取り組んでいただいている」「関係機関や民間団体でも、法務局・児童相談所での対応、電話相談、地域でのボランティア活動など、様々な取り組みがなされている」とした上で、「それらの機関・団体がそれぞれの役割を果たしながら、子どもたちが信頼して相談することができるチャンネルを整備し、子どもの居場所づくりを進めるための取り組みである」と説明している。 このため、同推進会議の構成員も、それこそ官民が一体となって取り組む組織になっている。官側は、内閣府、警察庁、法務省、文部科学省、厚生労働省の課長クラスが顔を揃えているほか、全国連合小学校長会、全日本中学校長会、全国児童相談所長会、日本PTA全国連合会など29団体が名を連ねている。 同推進会議の具体的な議論は、すでに明らかにされている「推進宣言」に基づき、(1)子どもが悩みを相談することができるチャンネルを充実する(2)社会全体で子どもを見守る(3)子どもたちが安心して過ごせる居場所をつくる(4)子どもたちと地域が触れ合う機会をつくる(5)家庭教育への支援を行う――の5つの柱に沿って行われるものとなろう。 全国には、この「宣言」を先取りした形で実践している自治体も数多く見受けられる。 例えば、北海道稚内市では、「市民ぐるみの子どもの見守り活動」を組織化している。「子どもの安全確保」を最優先に、地域・家庭・学校・行政の「連携と協働」という形で取り組んでいる。 同市の活動で注目されるのは、見守り活動を実践する「スクールガード」の配置である。各種団体のボランティア(約600人)が通学路の見守りだけでなく、声かけ運動などを実践している。 世の中が複雑化する中で、子どもの「安全確保」一つをとってみても、家庭や学校だけで「見守り育てる」には限界がある。各関係機関、団体や地域、行政を巻き込んだ、いわゆる“社会総がかり”で「見守り育てる」が重要になってくることはいうまでもない。 そのためにも、政府が「ネットワーク」を視野に入れて、今後の在り方を検討することは一歩前進といえる。実りある論議を大いに期待したい。 ただ、1つ注文しておきたいのは、子どもを「見守り育てる」ことの中核になるのは、あくまでも家庭や学校であって、“家庭支援”“学校支援”を重視した議論も忘れないでほしい。
[H22年2月22日]
東京都教育委員会は2月12日、「東京都教育ビジョン(第2次)」に基づき、平成22年度に重点的に取り組む30の施策を「平成22年度教育庁主要施策」としてとりまとめ、区市町村教委や都立学校長などに通知した。
都における教育振興基本計画として位置づけた「東京都教育ビジョン(第2次)」は、平成20年5月に策定され、今後、10年間を通じて目指すべき教育の姿や、平成20年度から5年間で取り組む施策の方向性と具体的な事項を明らかにしたもの。この教育ビジョンには、「家庭の教育力の向上」「幼稚園・保育所における教育的機能の向上」「教員の資質・能力の向上」「外部人材の教育活動への積極的な活用」「特別な支援が必要な子どもの教育の充実」「児童生徒の『確かな学力』の向上」など、12の「取組の方向」が示されている。 このうち、22年度の主要施策をみると、「多様な教員支援」と「確かな学力の向上」の新規予算を集中させるなど、これら2つの施策に重点を置いていることがわかる。 「多様な教員支援」では、次のような施策が掲げられている。 ○教員養成段階で教科・生活指導等に必要な実践的指導力および教員として必要な資質・能力を備えた教員志望層を養成するため、教職大学院と連携するとともに大学における小学校教員養成課程のカリキュラムを作成し、大学および学生に提示。 ○教員の資質・能力の向上を図るため、初任から3年目までの若手教員等に対して、東京都の教員として求められる力を確実に身に付けるための研修を充実するとともに、新たな教員採用選考等を実施して、優秀な教員の確保に努める。 ○指導主事等の資質・能力の向上を図るため、指導主事等を海外に派遣する研修を実施し、諸外国の教育行政制度等に関する研修・研究を行う。 ○教職員の精神疾患による休職者が増加傾向にあるため、定期健康診断にメンタルヘルス項目の追加、個別カウンセリングの実施や啓発ビデオの配布など、「早期自覚・早期対処」に重点を置いたメンタルヘルス対策の展開を図る。 一方、「確かな学力の育成」では、次のような施策が掲げられている。 ○児童生徒の確かな学力の定着と伸長を図るため、「読み解く力に関する調査」等の学力調査を実施し、児童生徒の学習状況を把握するとともに、児童生徒の実態に応じた指導を実現するための「授業改善推進プラン」を改善・充実することにより、基礎的・基本的な知識・技能の習得とそれぞれの教科で身に付けた知識・技能を活用する学習を推進する。 ○外部人材を活用して土曜日に補習を実施する区市町村立学校や都立高等学校に対する支援を行う。 ○小1問題や中1ギャップの予防や解決を図るため、小学校および中学校の第1学年に対する教員の加配措置を行う。 このほか、外部の人材活用にも力を入れ、「土曜日の講習(補習)の拡大に伴う人材活用支援事業」の新規事業など。 このように都教委では来年度以降、特に「教師の力量発揮と児童生徒の学力向上」をセットで推進していく意向だが、それは学校現場への財政上の積極的な支援と学校現場がそれにどう的確に対応するかにかかっている。難しい課題が山積しているが、何とか活路を見いだしてもらいたい。
[H22年2月18日]
いま、東京の公立学校教員の採用問題が深刻な事態になっている。 東京都教育委員会によると、都内の公立学校の教員数は、約5万9000人であるが、今後、10年から15年で毎年2000人以上の退職者が出ると予想され、新たな人材確保が急がれている。
ところが、東京都の小学校教員になろうという学生が少ないのが現実だ。例えば、東京都の小学校教員の平成21年度の採用倍率は3.5倍にすぎない。10倍前後の高倍率の地方と比べても、著しく広き門になっており、このままでは、「量はもとより、質の良い人材を小学校教員として確保することはむずかしい」(都教委)のが実態だ。 そこで、都教委では、様々な対策を講じている。 2月10日には、東北地方在住で東京都の教員採用試験を受験しようと考えている学生向けに、その教育事情を視察してもらう無料の体験バスツアーを開いた。 さらに、抜本的な対策としては、今年夏の採用試験から秋田県を皮切りに、高知、大分の各県教育委員会との間で、小学校教員の「採用選考連携協定」を結ぶことになった。 都教委と秋田県教委との選考の仕組みをみると、第1次志望は地元秋田、第2次志望を東京とする希望者は、地元教委での1次選考試験の成績が一定の基準に達していれば、東京都の第1次選考試験は免除される。2次(面接)からの受験となり、仮に地元教委で不合格になっても、都教委の選考で合格する可能性がある。都教委では、地元対象者から5人程度の採用を想定しているという。 一方、合格者の中で5年程度を東京都で教員として過ごした者のうち、希望者には、地元に戻れる人事行政制度を取り入れるとのことだ。 秋田県教委も、この協定を歓迎している。 秋田県教委によると、平成21年度の小学校教員の新規採用はわずか15人だった。当然なことであるが、採用枠が狭い上に、教員志望者が多いという状況が続き、教師になることが至難なことからも、願ってもない協定とみている。 中教審は、平成18年7月の「今後の教員養成・免許制度の在り方について」の答申で、採用の改善・充実について「今後、教員の採用においては、養成段階において育成される確かな資質能力を前提として、求める教員像をより明確かつ具体的に示すとともに、それに合致する者を採用するのに適した選考方法を工夫するなど、採用選考の一層の改善・工夫を図ることが必要である」「中長期的な視野から退職者数の推移等を的確に分析・把握した上で、計画的な採用・人事を行うことが重要である。また、採用スケジュール全体の早期化を検討するとともに、採用選考の受験年齢制限の緩和・撤廃、社会人経験者の登用促進、退職教員を含む教職経験者の積極的な活用等、多様な人材を登用するための一層の改善・工夫を図ることが必要である」としている。 この答申で指摘された施策は、いずれも各都道府県教委独自のもので、他の教育委員会との協力で実行されてきたわけでない。 その意味で、今回、都教委と他の県教委との協力によって、よりよい教員を確保しようとの試みは画期的なもので、ぜひ成功させてほしいものだ。
[H22年2月15日]
今年は国連が定めた国際生物多様性年である。 生物多様性とは、地球上には多数の種類の生物が生きており、それらがつながり支えあって生態系の豊かさやバランスが保全されている。
また、多様な遺伝子が過去から連綿とつながっていることをいう。私たちの暮らしとどのようなつながりがあるのかを知るためのキャンペーン年である。環境問題、特に昨年12月7日から18日までデンマークのコペンハーゲンで開催された「COP15」(気候変動枠組条約第15回締約国会議)は記憶に新しい。 この会議の目的は、京都議定書に続く2015年以降の温室効果ガス削減目標の国際的な枠組みについて各国の同意を求めることだったが、政治文書「コペンハーゲン合意」を採択できず、承認にとどめて閉幕した。 各国の温室効果ガス排出の削減義務づけは、今年末に向けて改めて合意を目指すことになった。これに先だって、昨年9月22日に鳩山首相は、国連気候変動首脳会合で、日本は温室効果ガスの削減目標として、2020年までに1990年比で25%削減を目指すと表明した。 地球温暖化は国を超えた大きな課題となっている。平均気温が1.5度から2.5度上がると氷が溶け出す時期が早まったり、高山帯の氷河が縮小されたり、海面温度が上昇することによって、動植物種の20〜30%は絶滅するリスクが高まるといわれている。むろん温暖化ばかりでなく、開発や乱獲によって種の減少・絶滅、生息・育成地の減少が起こる。 また、里山などの手入れ不足による自然の質の低下がある。ときどき、シカやイノシシが民家近くまで出没し、被害が出ている。さらに、外来種などが持ち込まれ、生態系がかく乱されている。外来種は日本古来の在来種を捕食したり、生息場所を奪ったり、交雑して遺伝的なかく乱を起こしてしまう。化学物質の影響で、昔いた動植物がいなくなっている現象も起こっている。 生物には3つの多様性があると考えられている。第1に生態系の多様性である。里山、森林、河川、湿原、干潟、サンゴ礁など、いろいろな自然の中で生態系がつくられている。第2に種の多様性である。微生物からあらゆる動植物にいたるまで皆違った生き物が存在している。第3に遺伝子の多様性である。同じ種でも異なる。テントウ虫も、それぞれ違う模様をしている。実に不思議である。 最近の子どもは自然と触れ合うことが少なくなってきて、自然のありがたさを感じなくなってしまった。 文部科学省の調査によると、「海、山、湖などで遊んだことがありますか」との問いに、小学校6年生では、「ときどきある」29.5%、「あまりない」14.1%だった。それに比べて、テレビやテレビゲームなどに触れている機会は圧倒的に多い。このままでは自然の恵みによって生かされていることを忘れる人間が、多くなるのではないか。 私たち人間は、多くの生物の多様な恵みにあずかって、「生命」と「暮らし」が支えられていることを忘れてはならない。 今年10月には、愛知県名古屋市で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催される。この際、教育現場として子どもたちの身近な事柄から考えてみてはどうか。多様な動植物と触れ合い、動植物の恵みに感謝し、動植物を大切に守っていくことを教えていこう。
[H22年2月11日]
「生きる力」の育成は、教育の普遍的な目標である。 今日のグローバルな社会・経済の変動時代にあって、特に、その意義は大きい。また、その総括的な理念として「人格の完成」ということがある。
「生きる力」については、周知のように3つの要素がある。すなわち、(1)自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力(2)自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など豊かな人間関係(3)たくましく生きるための健康や体力――である。この目標の具現に向けて学校は、3要素のバランスを考えて、教育目標を学校として定め、カリキュラムを編成し、その具体方策としてレジュメを作り、日々の教育実践に当たるのである。 そのための切り口の1つとして、東京都教育委員会は、「国際社会で生きる上で、日本の伝統と文化を理解することは大切」などとして、05年から「日本の伝統・文化理解教育」の普及を推進している。そして、「日本の伝統・文化概論」「私の心」などの指導計画を示している。 これは、長い歴史に守られながら人びとによってはぐくまれ、目に見えない変遷があって今日に至り、そして評価され、継承される伝統・文化の理解を尊重するということである。 昨今、日本の伝統・文化を知らない若者が増えてきているという。それは、まさに文化的な危機でもある。都教委の日本史必修の決定にも、その危機感がうかがえる。それは、学校や地域、あるいは家庭で伝統や文化に接し、そこに身をおいて共有し、共に学ぶ機会の減少への心配と固有の文化・伝統への価値観の復元への願いへの配慮が求められることでもある。 東京都立大江戸高校は04年に、不登校の経験者や他校の中退者を受け入れるべく、都のチャレンジスクールとして江東区に開校した。厳しく評すれば、ある意味での駆け込み寺的存在の学校であるといえる。 その開校の趣旨を体して、同校の岡昇校長の経営方針として、「美点凝視」の教育が提唱された。あいさつに始まる人間関係のより望ましい発展の要件として、その「対象者の良いところ、秀でているところを凝視し、見つめ、認め、評価しなさい」ということ、すなわち、「美的凝視」を心掛けよということである。 この方針は対教師・対生徒を問わず、極めて評価されるべきことと考える。この方針に基づいて「生きる力」の具現化の一方策として「伝統・文化」の講座を開設しているのである。この授業を通して、生徒の好奇心や挑戦する意欲を刺激し、チャレンジへの動機付けを期待しているのである。 岡校長は、「生活との関連性を説明しているので、小・中学校で“学び”に興味を持てなかった生徒も関心を持ちやすい。伝統工芸の授業では、物を作ることで達成感を味わえて、前向きな気持ちがわいてくる」「登校し、学ぶことに貪欲になるとの期待が持てる」という。 これは、美点の確認の第一歩である。まさに、チャレンジスクールの在り方への具体的な解答を見る思いがするではないか。教育の在り方としての個性尊重への道を開く在り方でもある。 「伝統工芸」を目当てに、入学を希望する生徒もいるとのことである。「とてもよい職場、教育になっている」と校長は語る。同校の経営に「生きる力」具現化の1つの在り方が学べるのではないか。
[H22年2月8日]
「コンクリートから人へ」。鳩山政権のマニフェストであり、キャッチフレーズであるが、早くも破綻を来そうとしている。 平成22年度予算編成で、公共事業費が18.3%減と過去最大の削減幅となり、景気の低迷を長引かせているばかりか、雇用や地方経済への悪影響も懸念されており、現に深刻な事態も報告されている。
文部科学省がこのほど発表した文教施設関係の来年度予算案をみても、かなり厳しい状況がうかがえる。文教関係の目玉の1つは、「公立学校施設の耐震化等の推進」である。耐震化は、「人間の生命にかかわる」ことから優先的に予算要求がなされたものだが、政府予算案では、対前年度比約19億円減の約1031億円にとどまった。 文教施設に関しては現在、文部科学省に設置されている幼稚園施設部会、小中学校施設部会、環境を考慮した学校づくり検討部会が検討を重ね、この3月までにはすべての部会の最終報告がなされる予定だ。 これらの部会の討議を拝聴していて、強く感じたのは、施設(コンクリート)は、その中で活動する「人」を考慮した設計にしないと、有効な機能を発揮できないということだった。 各部会で出された委員の意見をアトランダムに紹介すると、そのことがよく理解できる。 幼稚園施設部会では、「ランチルームは、お茶の体験など、多様な活動ができるような多目的な部屋となればよい」「園内がオープンでお互いが見える空間とすることで、仲間外れをなくし、輪の中に入りやすくなるという効果がある」「保護者同士が井戸端会議のできるスペースが必要」「多様な体験活動の場となるような園庭が必要」などの意見があった。 小中学校施設部会では、「地域・学校の連携を促進するクラブハウスのような機能も必要。ボランティアなどの控え室を計画することも望ましい」「生徒が落ち着いて時間を過ごすための空間、教師が保護者などからの相談に応じる空間として計画すること」「ベンチなどを配置するなどして、自然との触れ合いを促す雰囲気に計画すること」などの意見があった。 この部会では、施設(コンクリート)が「人間抜き」の設計で建設された場合、非教育的な結果に陥るとの象徴的な議論がなされたことが注目された。 それは、普通教室と発達障害の関連で議論した際、特別支援教育の専門家の委員から「発達障害児は、広いオープンスペース施設で過ごさせると落ち着かない。むしろ小空間やコーナーなどで過ごした方が落ち着きを取り戻せる」などと述べた。「人」の配慮に欠けた施設整備だと非教育的になるという警告である。 環境を考慮した学校づくり検討部会はすでに「既存学校施設のエコスクール化のための事例集案」を発表しているが、ここでも、学校施設を、「児童生徒にとっての環境教育の場」と位置づけている。 新政権の「コンクリートから人へ」の方針からすれば、校舎の耐震化については、予算上の配慮がなされたといえるが、依然、「施設=コンクリート」という考え方から脱却できないという状況も根強い。それでは、教育的要素を欠いた施設、すなわちコンクリートの施設整備となる。各施設部会の提言である「施設=人間」となるような施策の実施を強く望みたい。こんな公共事業であるならば、大いに歓迎されることだろう。
[H22年2月1日]
秋田、福井両県の小・中学生が文部科学省の全国学力・学習状況調査で、トップクラスの成績を収めた要因は何か。 こんな興味深い催しがこのほど、都内で開かれた。社団法人日本家庭生活研究協会ほかの主催による「日本一の教育力を問う! 秋田vs福井」と題する教育シンポジウムで、出席した両県の教育長と県の教育事情に詳しい大学教授らが様々な角度から、学力水準の高さを“証明”した。
結論を先にいえば、両県の子どもたちの学力が高いのは、全県的に学習塾が少ないために、学校での補充学習や家庭での宿題に力を入れていること、「早寝早起き朝ごはん」の励行など、規律ある生活習慣を培っていること、家庭や地域の学校・教師に対する信頼感が醸成されていること、ということだった。もう少し両県の学力水準の高さを掘り下げると、様々な要因が絡み合って、それが相乗効果となって高まっているようだ。 秋田県の場合は、県教委が平成20年に制定した「学びの10カ条」、すなわち、(1)早寝早起き朝ご飯に家庭学習(2)学校の話題ではずむ一家団らん(3)読書で拓く心と世界(4)話して書いて伝え合う国語(5)難問・難題にも挑戦する算数・数学――などが各学校に浸透し、励行されていることが大きな要因になっている。 特に、学校と家庭との連携が強く図られているのが特徴的だ。 学校では、話し合いや意見交換を活発にする学習、補充的な学習と少人数学習・個別指導の実施などに力を入れている。これに対し、子どもたちは、落ち着いて学習する姿勢が目立っているという。 また、学習塾がないため、その分、家庭での学習習慣が定着、宿題などを通して、自学自習の習慣が充実していることがあげられている。 福井県の場合も、学習塾が極端に少ないことから「宿題日本一」と命名されるほどで、家庭では「宿題だけは必ずやらせる」「宿題をしなければ遊ばせない」という徹底ぶりだという。 学校でのきめ細かな教育も実施されている。特に、その特色として、(1)少人数教育の推進(2)小学校での漢字学習の徹底(3)国語、算数の宿題の励行(4)優秀教員(教育専門監)の学校派遣と他県との教員交流の実施――などがあげられた。 このうち、特筆されるのは、県独自の少人数教育の推進で、子どもたちの可能性を最大限に伸ばすために、各学年の特性を踏まえた学級編制基準が導入されている。 例えば、小学校1・2年生は、生活指導上のルール指導のために、平成23年度までに31人以上学級にし、非常勤講師を配置。3・4年生は40人学級を維持、5・6年生は20年度に36人学級にし、T・Tによる指導を導入。中学校1年生は30人学級を維持、2・3年生は23年度までに32人学級にし、生徒と向き合う時間を増やしているとのことだ。また、同県でも秋田県と同じように、家庭と学校との連携がよく図られていることが共通している。 今日、学力の低下が叫ばれているものの、その要因として、子どもたちの学習意欲の低下や学習習慣の崩壊などに帰結させて、具体的な処方箋が示されない傾向がある。 その意味で両県で実践されている処方箋は、具体的かつ有効な内容になっている。それは、あくまでも教育は自力学習を基本に、その教育の条件整備を工夫する努力を惜しまないことにつきるのではないか。
[H22年1月28日]
文部科学省が1月14日に発表した平成22年度の各局別の予算案のうち、初等中等教育局の主要な予算事項をみて驚きを禁じえなかった。
新政権が前政権の手法を踏襲せずに、独自の予算編成をする意気込みについてはよく理解できるが、それにしても、従来の手法と比べて大きく様変わりをみせた編成の仕方だった。その最も顕著だったのは、個別の主要予算が軒並み減額になったことだ。減額率の多い順に、その事業項目をあげると、次のようになっている。 「講習開設事業費等(教員免許更新)」(76.4%減)、「モデル事業・委託調査費」(74.3%減)、「英語教育改革総合プラン」(74.3%減)、「退職教員等人材活用事業」(52.4%減)、「道徳教育総合支援事業」(47.2%減)、「理科教育等設備整備費補助等」(45.0%減)、「全国的な学力調査の実施」(42.2%減)などである。 これらの施策が減額になったのは、新政権のマニフェスト優先と事業仕分けによる無駄の排除によるもので、予算案の編成前には、すでに想定されていたものである。 この中で、矢面に立たされていたのが「全国的な学力調査の実施」で、計画では22年度の「悉皆調査」が予定されていたが、事業仕分けにより「抽出率30%」の実施という形で予算が減額された。 学校現場の反応をみると、「学力調査」については、「悉皆調査」の役割は終わったとする意見も多く、「抽出調査」に対する批判はそれほど多くはないが、「モデル事業・委託調査費まで削減することは行きすぎだ」との声が強い。 「モデル事業・委託調査費」の今年度予算額は59億8300万円で、来年度予算案は、対前年度比で実に44億4400万円減の15億3900万円と落ち込んでしまった。これは新政権の「学校現場を対象としたモデル事業や調査研究事業の大幅な縮減を図る」との方針に基づいたものである。 新学習指導要領の本格実施を控えて、各学校に求められているのは、いかに自校の授業改革を推進するかだ。それに向けて、優れた研究や実践を参考にするためにも、調査費は欠かせない。「モデル事業・委託調査費」の大幅減額は、そうした改革の意欲を減退させることにつながる。 また、「英語教育改革総合プラン」の減額も問題である。この予算は、平成23年度から小学校で必修化される外国語活動に関して、国が作成する共通教材である「英語ノート」と付属の音声教材(CD)、「英語ノート」教師用指導資料をそれぞれ印刷・複製・配布するもの。子どもたち一人ひとりに副教材(印刷物)として手渡すのでなく、CDを聴かせて間に合わせることにより、無駄を排除しようという窮余(?)の一策だ。これで効果的な外国語教育が推進できるかどうかは疑問だ。 「道徳教育総合支援事業」にも同じようなことがいえる。副教材「心のノート」の扱いが注目されていたが、これも印刷物として手渡されるのではなく、Web利用の形で無駄を排除しようというもの。「心のノート」については、新政権を支える一部教職員組合の「道徳教育反対」の力学によって廃止の動きがあったほどである。 これら減額された事業は、それほど大きな額ではない。ただ、いずれも学校教育の質の向上に直結するものである。国会審議で増額修正されることを強く望みたいものだ。
[H22年1月25日]
教育崩壊の危機が叫ばれて久しい。その一つの要因として、子どもの暴力がある。 その根絶を期して学校・社会・行政のそれぞれが努力し、今年こそ本来の教育の復権年としたいものである。
文部科学省は昨年11月30日に、全国の小・中学校を対象にした平成20年度児童生徒の問題行動調査の結果を発表した。それによると、児童生徒による暴力行為は、前年度から約13%増の5万9618件と過去最高を更新した。この数は、見過ごしにできない数字である。 また、器物損壊を除く対人暴力では、4件に1件は被害者がけがをして医療機関で治療を受けていたという。 例えば、昨年9月、栃木県日光市の市立中学校での放課後の教室で、3年生男子が女性教師の顔などを殴り、全治1週間のけがを負わせた。その原因は、宿題の作文を書いてこなかったことから、その場で書くように指導しただけで、突然キレたあげくの暴力行為だったという。 暴力行為のうち、被害者が病院で治療したのは、「対教師暴力」で22%、「生徒間暴力」で26%であった。しかも、低年齢化傾向にあり、中学生だけでも4万件を突破している。また、暴力の内容がますますエスカレートしているのである。 その背景には、大人社会にみられる殺人、強盗、恐喝、家庭内暴力など暴力的事件の影響のほか、自己の感情を抑える力や他人とコミュニケーションを図る能力の不足、さらに規範意識の低下などがその要因として考えられる。 特に、加害者の意識にはゲーム感覚で暴力をふるうことも顕著になっている。それが事件の罪悪感を失わせることはもとより、「ああ、またやってしまったか」というあきらめの気持ちになってしまうのが恐ろしい。「暴力は悪だ」とする感覚がまひすることが心配である。 また、別の角度から暴力行為の背景をみると、少子化、環境の都市化などの影響で遊ぶ仲間、場所、時間が減り、インターネットなどの発達普及で他人と直接ふれあう体験も著しく不足していることがあげられる。 さらに、経済格差に苦しむ家庭でのストレスも考えられる。 かつての日本では、貧しくとも近隣助け合い、襟を正して生活することを価値とする文化を持っていたし、人間が社会的存在として生きるべきことを強く認識することを前提に、“おかげさま”の心を忘れずに生活することを文化として共有していたものである。 その文化を復興するべく学校での対応は、全校的に全機能を焦点化する必要がある。特に、「特別活動」に期待し、改めて重視することを指摘したい。 すなわち「特別活動」における集団指導の原理、集団を通しての個性伸長の原理、さらに体験させることの教育的意義の確認と尊重である。その活動の種々相を通して、それぞれの子どもの存在感の確保、あるいは成就感への期待ということである。 また、家庭との連携を通して基本的生活習慣の確立と定着も望まれる。 さらに問題発生時には、初期の段階での対応の大切さを認識してのあり方はもとより、当該担当教師だけの問題として考えずに、全校的に対応する体制を営々として築いておくことが大切である。
[H22年1月21日]
新年早々、中東のドバイに世界一の超高層ビル「ブルジュ・ハリファ」(828メートル)が開業した。建設中の東京スカイツリー(完成時634メートル)は早くも世界一の夢がついえた。国威発揚の場として、各国は高さ、スピード、経済規模をめぐり、オリンピックのように一番乗りにしのぎを削る。
「なぜ世界一でなければだめなのか」。新政権による国の事業仕分けで、次世代スーパーコンピュータの開発に対し、仕分け人から象徴的な疑問が提起され、科学技術分野をはじめ、国の予算編成について、広く国民の関心が高まった。戦後60余年、国の巨額の予算編成は、財務省(旧大蔵省)主導の下に行われ、透明性を欠き、政官癒着の温床ともなった。予算編成の過程が公開されたのは、日本が近代国家になって初めての出来事だ。先取権を争う科学技術には、すぐに追い抜かれる虚しい宿命がある。02年から2年半、世界一の計算速度を誇った日本のスパコン「地球シミュレータ」(演算速度毎秒1兆回)は、第31位に転落した(昨年11月現在)。現在トップ10のうち8つをアメリカが独占し、中国が5位、韓国が14位だ。日本の次世代スパコン開発は、演算速度毎秒1京回(1兆の1万倍)で世界一の奪回を狙う。だが、アメリカの方がいち早く実現しそうだ。 日本の次世代スパコン開発費(平成22年度予算)は、事業仕分け後の議論の結果、減額のうえ復活した。その影響を受け、大型国家プロジェクトの宇宙開発、原子力、南極観測・海洋地球科学技術・地震防災に関する研究開発費などが削減された。 科学技術の研究開発には、理論と実験が欠かせない。その対象が巨大で複雑または極限で危険すぎたり、膨大な費用や時間がかかったりすると、実験は難しい。シミュレーション(模擬実験)の可能なスパコンだと、その答えが見つかる。次世代スパコンを開発する理化学研究所は、対象分野として、自動車の安全設計、迅速な新製品開発などのものづくり、航空機開発などの航空宇宙、新物質を設計するナノテクノロジー、新薬開発などのライフサイエンス、地球温暖化の予測、地震や津波を予測する防災など、主に8分野を挙げている。 新興国の猛追を受ける日本には、社会保障重視の内需型の政策だけでなく、新技術を開発し、製品化して輸出する外需型の政策が必要だ。次世代スパコンの開発は、その足がかりとなる。日本では科学技術予算は聖域化され、事業仕分けで明確な情報の開示と十分な説明が遅れていることが、明らかになった。 例えば、地球シミュレータによる研究成果。文部科学省は、地球温暖化の予測を中心課題に据え、国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)第四次評価報告書に貢献し、IPCCはノーベル賞を受賞した。だが他の課題や、地球シミュレータ全体の研究成果については、国民は多くを知らなかった。 文科省は、研究課題の成果について厳正な評価制度をつくり、もっと国民の目線で理解できるよう、情報の公開と十分な説明を図るべきだ。巨費を投じる次世代スパコンの開発と研究成果には、まさにそれが問われているのである。 日本の財政基盤はきわめて脆弱で、今年度末に国と地方の借金(長期債務残高)は862兆円という天文学的な額に達する。国債の発行高が税収を上回る異常下では、来年度の予算編成時に、さらに厳しい事業仕分けが待ち構えているだろう。
[H22年1月18日]
深刻さを増す「小1プロブレム・中1ギャップ」問題の課題解決のため、東京都教育委員会は、「教員加配」を重視した体制づくりに乗り出した。
小・中学校の入学直後は、その後の学校生活を送る基礎固めの重要な時期である。この時期に学習規律が確保できず、学校不適応が発生したりすると、学力を身につけさせる上での基盤づくりが難しくなるとされている。都教委の昨年夏の調査によると、小1プロブレムは、4人に1人(23.9%)の割合で発生している。中1ギャップの場合は、「不安を抱える中学1年生の割合」でみると、入学前が80.8%、入学3カ月後でも49.7%に達している。「すべての学校でいつ問題が発生してもおかしくない」状況である。 また、同じ調査によると、問題発生の要因は、教員の指導力、子どもの耐性に大きく左右されていることがわかった。 都教委が「教員加配」で課題解決に乗り出したのは、このような状況を勘案して決めたもので、その新しい施策は、「東京都の新しい学級編制方針」「段階的な導入と効果検証など」「3年間の所定定数及び所要経費の見込み」からなる。 新しい学級編制方針では、(1)教員の加配(2)学校の実情に応じた加配教員の活用(3)一定の学級規模の加配――など、きめの細かな教員の配置をするものである。 このうち、学校の実情に応じた加配教員の活用では、「現場の判断を尊重する。学級規模の縮小、チームティーチング、学校不適応を解消するための適応指導担当などが想定される」などと規定している。さらに、段階的な導入とその検証を重視していることが特色だ。 段階的な導入では、「22年度は小1・中1について、教員加配の算定基準を1学級39人として積算する」「23年度は小1・中1について、教員加配の算定基準を1学級38人と積算するとともに、小2は学年進行により1学級39人として積算する」としている。 検証については、毎年度検証を行うとともに、3年後に総括的な検証をする(22年度1000万円計上)。また、指導方法の改善(指導資料の作成・配布に同200万円)にも努めるという。 3年間の所要定数は、22年度が128人(経費7億円)、23年度が320人(同17億円)、24年度が551人(同29億円)で、この4月から実施することになっている。 「小1プロブレム・中1ギャップ」克服のための新しい施策は、福井県などでも積極的に、しかも柔軟に実施されている。同県の「教員加配」は、非常勤講師なども大胆に配置し、学力向上などの面で、大きな効果をあげているという。 全国の小・中学校の公開授業などを見るにつけ、公開であっても、「小1プロブレム・中1ギャップ」の問題は、想像以上に深刻である。「授業中、勝手に教室の中を立ち歩いたり、教室の外へ出て行ったりする」「授業中、居眠りをして、先生の話をまったく聞いていない」などは、日常茶飯のことであるという。 すでに教師の指導力を超えた状況に陥っているといってもよく、早急な対策が求められている。 そのためにも、「教員加配」に対する学校現場の期待は大きい。都教委の取り組みが課題解決のための有効な処方箋になることを願いたい。
[H22年1月14日]
文部科学省はこのほど、「事業仕分け結果・国民から寄せられた意見と平成22年度予算(案)における対応状況」と題する冊子をまとめた。 昨年11月に行われた政府の行政刷新会議の事業仕分けの結果とその後に寄せられた国民の意見、それらをもとにした来年度予算案の対応策を盛り込んだもので、その数は70項目にも及ぶ。
このような手法による予算編成の組み立て方、特に、「政治主導」による査定の仕方は、初めてのことなので、その成果については、今後の国会審議を待たねばならないが、これへの疑念の一端を指摘しておきたい。来年度予算案については、事業仕分けの段階で、各事業項目に対して、「廃止」「予算縮減」「地方・民間への移管」などの仕分けをしたが、実際の予算額の査定では、あくまでも仕分けの結果と、その後国民から寄せられた意見を参考に「政治主導」で実施したとしている。 ただ、このやり方に異論を挟むとすると、査定の段階で、「国民の意見」に耳を傾けたことは認めるが、事業によっては、ある権威の“圧力”が大きく影響した「政治主導」で査定されたことは否めない。 その最も象徴的なのが(独)理化学研究所の次世代スーパーコンピューティング技術の推進だ。仕分け作業の過程で、同事業の予算縮減を主張する仕分け人、蓮舫議員が「なぜ世界一を目指さなければならないのか。2番目ではいけないのか」などと発言し、多くの科学者から強い反発を買った事例があった。野依良治同研究所理事長をはじめ、ノーベル賞受賞者が一堂に会して、仕分け作業を批判する異例の行動をとったことでも知られた。 この予算の要求額は約268億円という巨額であるが、仕分けの段階では「来年度の予算計上の見送りに限りなく近い縮減」となっていた。マスコミ報道に影響されたのか、この事業に対して国民から寄せられた意見は約2200件にも達し、しかも仕分け結果に対して約9割が反対した。 査定された来年度予算額は約227億円で、事実上、「世界一を目指す」予算を認める判断を示した。ノーベル賞受賞者による“圧力”が功を奏したといってもよく、世論に押されての「政治主導」が働いていたといえよう。 それに比べて、学校教育関係者が強く望んでいた「学校ICT活用推進事業」は、仕分け段階で「廃止」とされた。国民から寄せられた約260件の意見のうち、約8割が仕分けに反対する意見だったが、最終的にはゼロ査定ということになった。 この推進事業は、教師や児童生徒の情報活用能力を向上させるための予算(要求額7億1700万円)で、基礎・基本の技術を扱う領域である。当然、将来のスーパーコンピューティング技術とは連動するもので、これをゼロ査定にすることは、整合性という意味からも、矛盾した扱い方といえるだろう。 もう1つ、これも学校現場が強く望んでいた(独)科学技術振興機構の「理科支援員等配置事業」(要求額22億円)は事業仕分けで「廃止」とされ、最終的には予算額を10億円とされることになったが、3年後には「廃止」の運命にあるという。 このような小さな事業は、次世代スーパーコンピューティング技術の推進などのように「政治主導」とは縁がないのであろうか。本来の「政治主導」とはかけ離れたような気がしてならない。今後、厳しく検証する必要がある。
[H22年1月11日]
2010年を迎えた。 2000年代に入って10年になる。この間、教育改革が矢継ぎ早に実施されてきた。特に、教育基本法が改正され、教育振興基本計画が策定された。これは今後10年間に目指すべき教育の姿を明らかにするとともに、平成20年度から24年度までに取り組むべき施策を総合的・計画的に推進するものである。その中の一文に「学校・家庭・地域の連携・協力を強化し、社会全体の教育力を向上させます」とある。政権が変わったとはいえ、文言には異論はあるまい。いま学校・社会を取り巻く状況はたいへん厳しい。
アメリカのある有名な未来学者は、『富の未来』の中で、工業社会は知識社会に変化する。国家が衰退し、知識が勝利すると述べており、「知識が社会の基盤をつくっていき、社会がたえず変化していく」としている。社会がたえず変化していくことに、学校、教師はどう対応していくのか、これは大きな課題である。変化に対応できる学校、教師になってこそ、学ぶ児童生徒は、社会の変化に対応できる力を学び取ることができる。いま最も必要かつ強化すべきことは、学校、家庭、地域の連携・協力であり、それが社会の教育力を高める。その突破口は、学校運営協議会である。しかし、設置は思うようには進んでいない。 学校運営協議会は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第47条の5により、設置することができる制度。学校を設置する地方公共団体の教育委員会の判断により、指定する学校ごとに置くことができる。同協議会の委員は、保護者や地域住民から、教育委員会が任命することになっており、その権限は、校長の策定する学校運営の基本的な方針を承認するとともに、当該学校の教職員の任用に関して意見を述べることができる。このことから学校運営に当たる校長からは、運営のやりずらさや厄介な組織と考えられていないか。 この制度に先立って、平成12年1月の学校教育法施行規則の改正により、同年4月から学校評議員制度が導入された。これは地域住民の学校運営への参画の仕組みを制度化したものである。眼目は、校長が学校運営に当たって、学校の教育目標・計画や地域との連携の進め方などに関することに、保護者や地域住民の意見を聞き、理解や協力を得ながら、魅力ある学校や地域に開かれた学校にすべきことにある。学校運営協議会と違って、学校運営に関して何らかの拘束力や制約のある決定などを行うものではない。あくまでも校長の推薦により学校評議員を設置者が委嘱し、校長の求めに応じて個人として意見を述べる。 学校運営協議会は、新しい公立学校の運営の仕組みとし、コミュニティ・スクールの設置を考えて導入された。保護者や地域の声を学校運営に直接反映させ、保護者・地域・学校・教育委員会が一体となって学校をつくっていくことになる。さて、設置状況であるが、例えば、神奈川県の場合、横浜市が33校、川崎市が8校で、ほかの市町村には広がっていない。その理由は住民の学校運営のためらい、学校側の協議会のメリットが描けない、日常業務の多忙、校内の問題の対応で手一杯、学校人事への影響の懸念、委員の確保の困難などである。 児童生徒は、学校だけでは育てられない。地域社会で育てることを考えれば、学校・家庭・地域の連携・協力の要は、学校運営協議会にある。国・地方公共団体は、内容などの不十分さを精査、充実を図り、設置推進に全力をあげるべきである。
[H22年1月1日]
改正教育基本法の施行に伴い、平成20年7月に、教育立国を目指した「教育振興基本計画」が策定された。 中長期的な目標としては、「公教育の質を高め、信頼を確立する」「『知』の創造・継承・発展に貢献できる人材を育成する」などが打ち出された。策定後、政権が代わり、その策定に早くも暗雲が立ちこめている。特に、未曾有の財政難の渦中にあるとはいえ、「教育」に対する積極的な財源投入が控えられ、全体的に萎縮した状況が生まれようとしている。「教育」の振興が国の礎を築く上で最重要課題であるとは、古今東西、自明の理である。新政権はこの哲理を踏まえ、「教育」に積極的に投資し、豊かな国にする政策を打ち出してもらいたい。
国の未曾有の財政難の中で、いかに国民生活を守るかが、いまの日本の置かれている状況である。それは、鳩山新政権にとって、前政権の“負の遺産”を引き継いだ苛酷な宿命といってもよく、財政の健全化が大きな命題として突き付けられたことは確かだ。ただ、新政権はそれを裏切るように、来年度概算要求に総額95兆円という巨費を計上した。今年度の税収は46兆円の予測を大幅に下回り、38兆円程度になるというのに。あとは赤字国債の発行という安易な手法で乗り切るしかないというのだ。それは当然、文部科学省所管の教育・科学・文化予算をも直撃した。 新政権が財務省の意向をくんで、「教育」の予算削減に積極的な姿勢をみせたのは、いわゆる行政刷新会議による「事業仕分け」である。ここで、「廃止」と断じられたのは、「子どもの読書活動の推進と子ども夢基金」「英語教育改革総合プラン」「学校ICT活用推進事業」「理科支援員等配置事業」などである。 これらの事業は、小・中・高校の新学習指導要領の本格実施のためには、欠かせない教育環境の整備である。これらの条件整備なしには、とても教育の質向上などは望めない。“無駄の排除”という次元の政策ではないのである。 「教育」の予算をこうまでして削り取ろうというのかと、慨嘆させられるのは、財務省が昨年末に発表した「平成22年度予算編成上の主な個別論点(文科省予算について)」と題する資料である。文科省は、直ちに反論する「見解」を明らかにしたが、ここで、財務省の「教育」に対する理解不足がまざまざと露呈された。 義務教育費国庫負担金をめぐる議論を例にとろう。この問題は、「事業仕分け」の対象になったものの、十分な議論もないままに、文科省対財務省の議論に引き継がれたものだ。 文科省は来年度の概算要求で、教職員の定数改善として5500人(126億円)を計上したが、早速、やり玉にあげられた。 財務省は、「児童数減の状況の中で、教職員数を増加させるのはおかしい」とした上で、「平成に入って以降、児童生徒数が3割減となる一方で、教職員数(公立小・中学校)は、マイナス8%にとどまっていることから、児童生徒40人当たりの教職員数は34%増となっている」と指摘した。 これに対し、文科省は、「児童生徒数の減少の割合に比べて、教職員数が減少していないのは、平成元年以降、40人学級の完全実施やティームティーチング、少人数指導の実施のため、計画的に教職員数を増員し、教育条件の整備を進めてきたことによるもの」などと反論した。 これは、当然の反論で、財務省の主張は「教育効果」を無視した“数字合わせ”を論拠にしただけで、説得力がない。 「わが国の教員の授業時間は短い」というOECDの資料を盾に、教員増の要求を抑制しようというのが、財務省の方針だ。 これに対し文科省は、「わが国の教員は、授業以外に生徒指導や学校行事などを多く行っており、授業時間以外に子どもを指導する時間を多く持っている」と反論、むしろ「わが国の教員の勤務時間は諸外国に比べて長い」と切り替えしている(初等教育の法定勤務時間数は、日本1960時間、OECD1662時間)。 日本の教師の勤務実態については、「平成18年度教員勤務実態調査」(文科省)に詳しい。財務官僚の見解は、この実態を無視したものだ。 もう1つ例をあげると、「教員の給与水準」である。財務省は、OECDの勤続15年(小学校)の法定教員給与をあげて、「わが国の教員の給与水準は高い」としている。
[H21年12月21日]
「ユニクロ栄えて国滅ぶ」。経済学者の浜矩子さんが文藝春秋10月号に、同名の論説を発表して、大きな反響を呼んでいる。
それによると、ユニクロのように低価格で商品を販売する企業が続出すると、企業間で安売り競争が激化し、各企業の利益が縮小され、ひいては人件費の切り下げにつながることは必至だというのだ。その上で、浜さんは、このような経営は、「自分さえ良ければ病」と批判、「せめて安いモノを買うことが自分と他人の値打ちを互いに下げていることに思い至ってほしい」と訴えている。 この論説に反論する経済学者も多い。その中に、池田信夫という経済学者は、自らのブログの中で、「ユニクロや弁当の値下げは、貨幣的なデフレではなく、相対価格の変化なので、価格が限界費用と均等化すれば止まる。そして、価格が下がれば需要は増えるので、ユニクロのように高い利益が上がる場合も多い」というのだ。 どちらの意見が正しいかを判断する能力を持ち合わせてはいないが、同じ文藝春秋の新年特別号で、作家の塩野七生さん(在イタリア)のエッセイを読み、浜さんの指摘を重く受け止めるべきだと思った。 塩野さんのエッセイのテーマは、「価格破壊に追従しない理由」というもので、イタリアでも日本と似たような価格破壊の状況が起きていると指摘したあと、「イタリアの伝統でもあり、高度な技能とアイデアの豊かさを誇っていた職人層が壊滅的な打撃を受けた」「帰国してみて驚いたのは、何もかも安ければ良しとする風潮に、日本もまた、染まっているということだった。しかも、この風潮は、服やバッグに留まらず、書籍にさえ及んでいるという。これはもう、価格破壊の先に待つ文明の破壊になると思い始めた」と述べている。 これらの指摘は、教育の面でも重く受け止めるべきである。特に、若者が真面目に技術や技能を学ぶ教育の機会を喪失させるばかりか、本来の「価値」あるものに接することができず、精神的な「ゆとり」を奪い去ってしまう危険があるのではないか――と。 現在、文部科学省では、部会を設置し、キャリア教育・職業教育について真剣に討議している。 そこでは、「キャリア教育とは、『子どもたちがこの激しい社会の変化に対応していく能力、主体的に自己の進路を選択・決定できる能力、社会人・職業人として自立していくことができるようにする教育』である」と規定している。 特に、学校におけるキャリア教育推進の基本方向としては、1つには働くことへの関心・意欲の向上と、それを学ぼうとする意欲を向上させることをあげている。 そのために、職業や進路選択など、キャリアに関する学習と教科・科目の学習との相互の補完性を重視し、職業体験やインターンシップなどの体験を教科と有機的に関連づけて、進路への関心、意欲を高めるよう工夫し、学習意欲と結びつけることを指摘している。 また、社会人・職業人としての資質・能力を高める指導、自立意識の涵養など早期からの人間力向上の必要性をあげ、このことをもってキャリア教育を推進させるようにするとしている。 浜さんのいう 「自分さえ良ければ病」にかかれば、キャリア教育そのものが瓦解することは必至である。経済の有り様は、当然、教育にも大きな影響を与えるだけに、1日も早い経済の立て直しが望まれる。
[H21年12月17日]
未曾有の経済不況の中で、「投資」の意義について論じるのは、場違いな感がしないでもないが、先日、OECDが発表した「日本の政策課題達成のために」と題する報告書には、この問題を考える上で、示唆に富んだ内容が盛り込まれている。
この報告書には、日本の将来にとって重要な9分野、すなわち内需主導の成長戦略、雇用、環境と気候変動、教育、税制改革、医療・介護、年金、地域政策と地方分権、そしてパブリック・ガバナンスが取り上げられ、OECDとしての政策展望が紹介されている。 このうち、「教育」については、「将来の経済的繁栄への戦略的な投資である。財政的な制約にもかかわらず、日本政府は、現在、教育システムの質、公正性、効率性を強化し、長期的な経済成長を高める機会を得ている」と指摘したあと、「教育投資」の必要性について次のように述べている。 ▽日本の家計に占める教育費の割合は、OECD加盟国の中で2番目に高いが、これにより就学率の急激な伸びが支えられてきた。しかし、同時に、家計にとっては、大きな負担になっており、経済危機によって一層深刻になった。 ▽日本の大学では、高い年間授業料を課している一方、日本には、教育ローン、奨学金、助成金を組み合わせた学生への十分に発達した経済的支援の仕組みがない。 ▽他国の例をみると、こうした仕組みは公財政による教育支出への負担なしに、それどころか、長期的に財政面でリターンを生み出しつつ実現できることが分かる。 例えば、教育ローンについてみると「日本における現行の学生向け教育ローン制度は、固定的な返済計画を伴っている。その結果、おおむね3分の1程度の学生しか教育ローンを受けていない。現行のローン制度を将来の所得を条件とした返済方式に移行することは、教育ローンをより一層魅力的なものとし、高等教育へのアクセスを改善すると考えられる。こうしたローンは、それがなければ、大学に通う余裕のない学生向けの世帯収入に応じた奨学金によって補完できる」と述べている。 ちなみに、OECD諸国では、様々な学生への支援策を講じているが、一般化した基礎的助成制度を採用している国は、ほとんどない。また、能力ベースの奨学金制度を併せ持つ国もあるが、世帯収入に応じた奨学金制度が最も一般的な形態だという。 その上で、報告書では、「借入人である学生が卒業後、所得に応じて返済することを認めたり、世帯収入に応じた奨学金を拡大することなどの学生支援システムの再構築を通じて、高等教育のアクセスを改善すべきである」と提言している。 これは、非常に貴重な提言で、特に、日本で問題になっている大学生による「奨学金返還未納問題」の解決を考える際にも有効である。 OECD教育局のシュライヒャー指導分析課長は、講演などを通して「高等教育の社会的コストは、将来的に社会が得る便益(高収入の職に就くことによる税収など)に比較すると、価値ある投資である」と強調。「教育費に占める公的負担が低いわが国では、教育ローンなどの学生支援システムを整備して高等教育へのアクセスをより容易にすることが重要だ」と述べている。 日本人の意識の中には、「教育が経済的な繁栄への戦略的な投資である」との考え方に、馴染まない向きがあるが、この際、OECDの提言に謙虚に耳を傾け、この問題を真剣に考える必要があろう。
[H21年12月14日]
「低炭素社会の実現に向けて、すべての学校でエコスクールを目指す」。こう高らかに宣言したのは今年の3月。 前政権の時代に文部科学省の学校施設整備指針策定に関する調査研究協力者会議が「環境を考慮した学校施設(エコスクール)の今後の推進方策について」を公表し、注目された。
それが現政権の「コンクリートから人へ」という方針に影響されたのか、エコスクールを含めた学校施設の整備費にも厳しい査定が下されようとしており、関係者の思いは複雑である。昨年3月の報告書には、全学校のエコスクール化の視点として3つの柱が掲げられている。 1つ目は「既存学校施設の『エコスクール』づくりの一層の推進」。これからは、新築時や改築時だけでなく、既存学校施設についても、喫緊の課題である耐震化や老朽化対策に併せて、積極的にエコスクールづくりを行う。 2つ目はベンチマークを活用した効率的な施設運営。エネルギー消費実態などを、データに基づき、的確に状況把握するとともに、都市部、寒冷地など地域特性などに応じて省エネ対策を実施する。また、エネルギー消費やCO2排出についてのベンチマークを活用する。 3つ目は積極的に省エネ対策、省CO2対策を進めると同時に、教育環境の質的改善の実施。適切な教育環境の確保などを目的とした質的改善や学校開放などを推進するとともに、再生エネルギーの導入を検討し、総合的にCO2の排出を抑制する。 また、同省では、「エコスクール・モデル事業」(平成9年度〜23年度)も実施し、今年8月現在、951校を数えている。学校施設への太陽光発電の導入にも力を入れている。 同省の最近の動きをみると、学校施設の在り方に関する調査研究協力者会議の下部組織である環境を考慮した学校づくり検討部会が「既存学校施設のエコスクールづくりに関する事例集」をまとめるため、熱心な協議が続けられている。 12月7日に開かれた第3回会合では、既存の学校施設のエコスクールづくりの推進のための課題の克服など、細部に踏み込んだ検討が加えられ、来年3月にも事例集としてお目見えする。 この事例集は、各都道府県、各市町村がエコスクールを建設する際の指針となるもので、これが完成すれば、今後のエコスクールの建設に弾みがつこう。また、事例集には、エコスクールのモデル校として、東京都杉並区、神奈川県藤沢市、東京都荒川区立第七峡田小学校、岐阜県高山市立北小学校などが取り上げられる予定だ。 エコスクールの最大のメリットは、何よりも、学校の建設・使用・解体に要するエネルギーや資源使用量の全体の増加をできる限り抑えることにより、環境負荷の低減ができることである。 また、次世代を担う子どもたちに対し、環境・エネルギー消費に対する関心を高め、認識を深めていく学習の場として、極めて有効だという。会合でも「エコスクールの工事期間中に子どもたちに現場を見させるだけでも環境教育としての意義はある」と発言をする人が多かった。 エコスクールの建設に対しての反対論は少ない。既存の学校施設と比べ、建設費がかさむエコスクールは、いかに財源を捻出するかにかかっている。財政難という厚いカベをいかにクリアするかである。「環境」を重視する現政権の決断が待たれる。
[H21年12月10日]
台風一過のごとく、各省庁の来年度予算案の「無駄」を削る政府の行政刷新会議の「事業仕分け」が終わった。 公開査定という前代未聞の出来事に拍手喝采を浴びせる人もいれば、「廃止」などを突きつけられた当事者には深刻に受け止めた人もいる。
この「事業仕分け」に対して、一部の大臣から批判が出る一方、「あくまでも事業仕分けを基本に予算編成をする」(藤井財務大臣)という意見もあり、政府内で不協和音も聞こえてくる。鳩山首相が最終的にどのような判断を下すのかが注目される。「事業仕分け」の切り込み方は、当初、(1)「費用対効果」という尺度で必要があるのかどうか(2)天下り官僚に高額の報酬を出している財団やその基金をどうするのか(3)事業によっては、地方自治体や民間でもできるのではないか――との観点で行われる方針だった。それが議論の推移の中で「費用対効果」の論点が突出し、「無駄」の排除というよりも、政策そのものを排除する方向に傾いていったことは否めない。 例えば、文部科学省関係では、「英語教育改革総合プラン」が「事業仕分け」で「廃止」の烙印が押された。このプランには平成23年度から本格実施される小学校の外国語活動を推進するための補助教材「英語ノート」の費用が含まれている。それが認められないとすると、たちまち小学校の外国語活動は立ち行かなくなる。 「事業仕分け」の経過の中で、仕分け人から「なぜ小学校で英語を教えなければならないのか」といった議論が相次いだ。「そもそも論」が仕分け人から噴出したのである。これはまったくおかしな話で、聞いていて大きな違和感を感じた。 小学校の外国語教育のあり方については、中教審で長い時間をかけて議論し、結論を得てきた経緯がある。それが専門家でもない仕分け人が自説を述べ合い、短時間で「廃止」と結論づけたことは、暴挙といってもよい。しかも、「デジタル化して学校ごとに印刷すればいい」といった教育の本質からかけ離れた短絡的な意見もあり、仕分け作業の限界をみる思いだった。 この問題を重視した全国連合小学校長会(向山行雄会長)は、11月25日に川端文科相に対し、「行政刷新会議における『英語教育改革総合プラン』の『廃止』評価への意見書」を提出、同事業の「廃止」の撤回を求めた。 意見書では、(1)「廃止」を決めた第3WG評価コメントへの疑問(2)本事業の「廃止」によって引き起こされる問題状況――を指摘したあと、「もしこの事業が廃止になると、その研究経費は学校や自治体が負担せざるを得なくなり、中途で研究活動を断念する学校が生じることも考えられる。すなわち、全国規模で外国語活動の進展・充実が大きく後退することは明らかだ」とし「同事業の継続に向けて最大限の努力を払っていただきたい」と結んでいる。 文科省によると、すでに小学校現場などから「廃止反対」の意見メールや電話が300件以上も寄せられているという。手探り状態にある小学校英語教育にとって、副教材なしで指導することへの不安がいかに大きいかを示したものといえよう。 これは、英語教育だけの問題ではない。予算縮減となった「道徳教育総合支援事業」(「心のノート」の作成ほか)なども単に「無駄」として片づけるわけにはいかない。これら政策的な事業に対しての「そもそも論」は、新たな審議機関などを通じてじっくり議論した上で、それなりの措置を取るのが筋ではないか。
[H21年12月7日]
12月3日から9日までは「障害者週間」である。 75年の国連総会で「障害者の権利宣言」が採択され、81年の国際障害者年に国民の障害者問題に対する理解と認識を深め、障害者福祉を高めるために設けられたものだ。
「障害者週間」にちなんで障害児(者)の教育上の問題点を考えてみたい。千葉県障害福祉課に寄せられた教育関係の事例の中に、障害児(者)差別に当たると思われるものに、次のようなものがあった。「障害のある子をクラスのいじめからかばっていた娘が、担任から『普通の子と遊びなさい』と言われた。抗議すると、クラス全員の前で、その子を指して、『この子は、病気で頭に血が回らないのだから、みんなでカバーしなさい』と言ったそうです」 「車いすという外見だけで、何でも『できない』と思われたり、言われたりすること。教科書を読んでいたら『あいつ、わかりもしないのに見てる』と言われ、悔しかった」 「小学校普通学級の障害のある次男がクレヨンを床に落としたら拾えなかった。担任は、長男を呼び出して拾わせた」 「養護学校での保護者参観日に、土運びをしている生徒に、教員が『早く行け』と腰の当たりを足で蹴るようにして促したり、『バカ、のろま』という言葉を浴びせた。怒りを感じても、重い知的障害の子をお世話になっているので、何も言えない」。このように、寄せられた事例は、多岐にわたっており、教育現場の人権意識の未熟さを露呈しているといえよう。 文部科学省が発表した人権教育の指導方法等の在り方について(第1次取りまとめ)では、学校教育における人権教育の現状について、知的理解にとどまり、人権感覚が十分身に付いていないなど、指導方法の問題があるとしている。 世界40カ国には、すでに障害者差別を明確に禁止する法律がある。わが国にあるのは、理念法としての障害者基本法であり、その中で、何人も障害者に対して、障害を理由として差別すること、その他の権利利益を侵害する行為をしてはならないとしている。 さて、わが国の障害児(者)の教育の歴史は、1878年、京都盲亜院に始まる。1948年に盲学校、聾学校の義務制が開始された。約30年後の79年に養護学校義務制(知的障害、肢体不自由、病弱)が開始された。 そして、07年4月から幼稚園、小学校、中学校、高校、中等教育学校および特別支援学校で、障害のあるすべての幼児児童生徒の教育の一層の充実を図るための特別支援教育が実施された。 これは画期的なことであった。実施されて2年半が過ぎたが、各教育現場では、混乱と困惑の状態があると聞く。障害者週間に際して、いま一度、障害児(者)の教育を考えてみる必要がある。障害児(者)が自立や社会参加に向けて、主体的に取り組みをしていくことを指導・支援することが大切である。 一人ひとりの教育的ニーズを把握し、本人の持てる力を高め、生活や学習の困難を改善・克服できるように指導・支援していくことである。 そのためにすべての教師は、障害の理解・指導・支援法・個別のカリキュラムの作成などを研さんし、身につけるべきである。それが、すべての人たちが生き生きと活躍できる共生社会の形成につながる。
[H21年12月3日]
「ニュース畑」という自由にコメントできる掲示板がある。「公共性のある話題」について気軽に投稿できる場とある。 そこに、ニュース性の高い行政刷新会議ワーキンググループの「事業仕分け」への意見が寄せられている。
全体的に「事業仕分け」に対して「期待する」は80コメント(31%)、「期待しない」は151コメント(58%)、「どちらでもない」は29コメント(11%)で、否定的な意見が6割にも達している。これとは逆に「事業仕分け」を評価する意見が7割に達している調査結果もある(フジテレビ系で11月22日放映。首都圏男女500人が対象)。「事業仕分け」に対する賛否は分かれているといってもよい。 「事業仕分け」に期待しない「ニュース畑」のコメントの中には、「確かに事業仕分けをして、無駄を無くすことは必要だが、問題なのは事業仕分けを行う目的で、財源を確保するための事業仕分けにしか見えない。そのような目的では、予算を確保するために必要な事業も廃止される可能性がある。新たな雇用促進や消費活動の活発化への効果が低い高速道路無料化、子ども手当、高校無償化などの政策を廃止すべきではないか」という意見があった。 確かに、「子ども手当」1つをとってみても、年間予算は2.3兆円の支出が見込まれている。この財源を捻出するために、多くの教育施策が「無駄」と称して切り捨てられてよいものかどうか、検証する必要がある。 また、「仕分け人の人選」の不透明性を指摘する意見もあった。「仕分け人の人選のプロセスも、採用の判断基準も不透明。国の予算という重要な問題の審査において、国民が投票で選んだわけでもなく、また、明確な基準を持って選抜されたのでもない少人数のグループに突如、権力が与えられたわけだ。残りはそれこそ国民にしてみれば“どこから湧いてきたのかわからない”人間たちである」というものだ。 少し言い過ぎの感もあるが、例えば、文部科学省に関わる仕分け人は、現場のことを知っている教育関係者はほとんどいない。また、どのような人選が行われたか、不明確である。これでは“どこから湧いてきたのかわからない”といわれても仕方がないであろう。 「議員や政党が議員以外のブレインをかかえたりするのはかまわないことだが、国家予算の各項目についての議論は当然、国会議員が行うべきである」という意見にも耳を傾ける必要があろう。 さらに、「期間と準備の不足」を指摘する意見としては、「メンバーの選抜が不透明かつ場当たり的であることからしても、本当に今回の『仕分け人』たちが、予算の各項目の必要性を判断するに足る知識や経験を持っているのか、また予算の各項目にまともな見識を述べられるだけの『予習』をしているのか疑問に思う」との意見もあった。 そして、極めつきの意見には、「最初に削減すべきは、国会議員の給料だ」という、すこぶる納得のいく提言があった。官僚といわれるお役人の給料は停滞気味であるが、「政治家の給料には手がつけられていない。自らの痛みを棚に上げて切り捨てるというやり方では、国民を納得させることができるとは思えない」という意見だ。 政府は、ワーキンググループによる「仕分け作業」のあと、来年度予算の策定作業に入るが、こうした国民の声を重く考えて実行に移してもらいたい。
[H21年11月30日]
師走を控え、交差点を急に曲がったり、夜間に無灯火で走ったりする自転車の危険運転に神経を尖らせなければならなくなった。 自転車の交通事故は、警察庁の統計によると、05年に全国で約18万3700件も発生し、全交通事故の約20%を占める。歩道上で自転車が歩行者と接触する事故は、この10年間で4.6倍に急増した。
同年の自転車事故の死者は約1100人(全交通事故死者の14%)にのぼり、うち約68%が頭部の損傷などで死んでいる。自転車の法令違反は、安全運転違反、交差点の安全進行違反などが70%近い。無視できないのは、自転車事故を引き起こす年代で、13歳から19歳の中・高校生などが、全自転車事故のうち、約23%と最も多い点だ。自転車で通学途中に歩行者に衝突し、せき髄損傷の重傷を負わせ、賠償金6008万円を支払うことになった高校生もいる(警視庁)。 日本の自転車保有数はいまや8600万台を超え、自動車と原動機付き自転車を合わせた保有数約9000万台に相当する(自転車産業振興協会)。高齢化の進行と地球温暖化をもたらす二酸化炭素削減対策などに伴い、環境にやさしい身近な交通手段として、自転車が一層増え、歩行者の安全がますます脅かされる。 自転車は、道路交通法で、「軽車両」と位置づけられている。しかし、幼児から高齢者までだれでも簡単に利用できることから、自転車は運転免許制度の対象外とされてきた。自転車が車両の一種だという認識の希薄化と事故の急増は、日本社会の行き過ぎた自由謳歌の風潮と道徳の低下と軌を一にしている。 自転車事故を減らすには、道交法上の自転車の取り扱いを明確にして、安全走行の義務化と取り締まりの強化を徹底し、併せて歩行者と自転車を分離する道路対策を促進することが欠かせない。 国の財政の悪化で道路対策は予断を許さないので、自転車の安全走行の義務化と取り締まりの強化に力を入れる必要がある。自転車の安全走行の義務化は、道徳教育の根幹である人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を身につけ、実社会の中で生かすのに適している。 しかしながら、教育基本法の改正で設けられた小・中校の道徳教育の時間は、教室内での道徳の講義に限定され、自転車の安全走行教育は、総合的な学習の時間や行事などに回され、分離されている。中央教育審議会が、学習指導要領の改善に関する答申で指摘したように、小・中学校の道徳の時間は形式化し、学年が上がるにつれて、道徳の時間が「楽しい」「ためになる」と感じる子どもが減少している。 道徳教育は、大人が「何でもありの犯罪」を犯す社会で、講釈を垂れるだけでは子どもは従わない。道徳は実践を伴う。 東京の警視庁管内では、09年は8月末現在、3万6876件の交通事故が発生し、死者133人のうち、自転車事故で小学生3人が死亡している。2年4カ月間、死亡事故ゼロの記録を更新する世田谷区の北沢警察署(龍一文署長)では、同年すでに29回(小学校20回、中学校3回、高校1回、高齢者3回など)自転車実技教室を開き、スタントマンも活用し、自転車事故の怖さとマナー向上に努め、効果を上げている。 文部科学省は、自転車の安全走行教育を総合的な学習の時間や行事などではなく、道徳教育の時間に組み込み、実践の交通教育から社会道徳改善の道筋を開いてもらいたい。
[H21年11月23日]
前号に続いて新政権が設置した行政刷新会議の「事業仕分け」問題を取り上げたい。 来年度概算要求の無駄を洗い出し、全体の歳出をカットするという大義名分のもとで、肝心な施策そのものを「廃止」に導くことが、果たして政治主導といえるのかどうか、という視点から論じたい。
文部科学省関係の「事業仕分け」をした第3ワーキンググループ(WG)では、11月11、12日の2回の作業で「子どもの読書活動の推進と子ども夢基金」「英語教育改革総合プラン」「学校ICT活用推進事業」「理科支援員等配置事業」が「廃止」と断じられた。義務教育費の国庫負担金などの国の在り方に関わる大きな案件も取り上げられた。「無駄をなくす」という定義は難しいが、今回の「事業仕分け」の場合は、「予算縮減」という形での無駄の排除だけではなく、「廃止」「地方・民間移管」という、事業そのものの排除につながるところまで踏み込んだことに特色がある。 ここで問題にしたいのは、各施策に対する「事業仕分け」という手段が「予算縮減」などの形で無駄を削ぎ落とすということであれば理解できるが、施策そのものに改廃を言い渡す権限まで与えるのが妥当かどうかは、議論の分かれるところだ。 特に、教育の分野に関しては、そうした感を強くする。第3WGでは、政治家、有識者合わせて二十数人が仕分け作業に携わっていたが、ほとんどの仕分け人が教育の専門家でないばかりか、1事業1時間程度という短時間の審議で、いとも簡単に「廃止」と決め付けるやり方をしていた。 これまで新しい教育施策を打ち出すまでには、中教審をはじめ、数々の審議会、または専門家会議の議論を経て実施するという手法をとってきた。 今回の「廃止」の結論が最終決定されるのであれば、その妥当性について、それなりの場で十分審議を尽くした上で、その理由付けをしてほしいものである。 このような「事業仕分け」という短絡的な手法が新政権の政治主導というものであるのだろうか。「教育」という普遍妥当性を尊重すべき分野に、こうした手法を持ち込むことは、かえって混乱を来たすことになりはしないか。 また、新政権の文部科学省は、中教審などの審議機関に頼らず、大臣、副大臣、政務官の政務三役で施策作成にも携わる方針を掲げているようだ。新しい機関を設置せずに、政務三役だけで決めるということであれば、独断主義に陥らないか。ここにも、危うさがうかがわれる。 一方で、このような「事業仕分け」という手法で、予算の無駄を削減することに意味があるのかという疑問の声さえ出ている。 国会議員は、予算のおおもとになる施策や法律の見直し、改廃に目を向け、各個別の施策の予算の縮減などは、財務省の主計局に一任すべきだという論である。 至極妥当な的を射た意見である。政治家は、予算の縮減などといった重箱の隅をつつくほどの暇はないはずだ。これは、むしろ政治主導に反する行為といえないだろうか。 ここで、ぜひお願いしたい。行政の政策立案過程で、国民の意見を募るパブリックコメントを実施することを求めたい。最終的な判断は、国民の声を聞いてからでも遅くないだろう。今回の「事業仕分け」の決定がそのまま実行に移されると、教育界は混乱するだけである。
[H21年11月19日]
政府の行政刷新会議(議長・鳩山首相)は11月11日から、来年度予算の概算要求から無駄を洗い出す「事業仕分け」を開始した。 初日は文科省を担う第3ワーキンググループ(WG)の「事業仕分け」が行われた。「子どもの読書活動の推進」「子ども夢基金」「英語教育改革総合プラン」「学校ICT活用推進事業」などが「廃止」に追い込まれ、予算の大幅縮減、地方自治体への移管などが次々に決められた。同省に激震が走った日である。
ここでの決定が即実行ではなく、同会議で最終決定したあと財務省の予算編成作業を通して実行される段取りだが、仕分けの決定の重みもあり、「廃止」の烙印を押された事業を復活させるのは難しいだろう。会場となった都内の大きな体育館は、公開ということもあって、大勢のマスコミと一般傍聴者でごったがえすほどの混雑ぶりで、異様な光景だった。 文科省関係を審議した第3WGのデスクには、仕分け作業の総括担当ともいえる民主党の国会議員と有識者からなる仕分け人19人、それに財務省主計局幹部、文科省の担当局幹部などが顔を揃えた。 審議は、まず、事業を管轄する文科省の担当職員から7分間の「事業説明」が行われ、仕分け人(有識者)に対し、該当する事業の要点を述べ、事業の有用性を訴えた。このあと「査定説明」(5分間)に入り、査定を担う財務省主計局担当者から「事業の論点や視点」について説明があり、仕分け人の間で話し合った。 審議の模様を見聞していて、これは一種の公開裁判ではないかと強く感じた。所管省庁の担当官を被告にし、財務省主計局の担当官が検察という図式である。国会議員と仕分け人の有識者は、当然、公平な裁判官の役割を担うはずだが、第3WGの審議を見た限り、仕切り役の国会議員の1人は明らかに検察に加担しているとの印象を強くした。被告は、吊るし上げの状態にあるといっても過言ではなかった。 教員研修センターと女性教育会館の「予算縮減」に言及したとき、その象徴的な場面があった。財務省主計局の担当官が「教員研修センターについては国が教員を1カ所に集める必要性はないのでは。女性教育会館も(縮減の方向へ)議論を絞り込む必要がある」と追及。その上で、さらにその国会議員が「女性教育会館の稼働率は?」とたたみかけると、同館の女性理事長は「44%」と答えたが、「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」などと声を荒らげた。 1事業当たり1時間程度の審議で無駄かどうかを判定するやり方は、まさに横暴であり、ナンセンスである。仕分け人の統括責任者である枝野幸男衆院議員は「仕分けの目的は(事業としての)効果があるかどうかだ」と強調していたが、むしろ短時間で効果を立証できるかのほうが疑問だ。 もう1つ指摘しておきたいのは、教育の本質にかかわる問題に対して無駄という基準で判断を下すことに、妥当性があるかどうかだ。例えば、「廃止」となった「英語教育改革総合プラン」の中には小学校の外国語活動を円滑に進めるための経費が盛り込まれている。有識者委員19人の中に「初めに削減ありき」の人選が優先してか、現場の教育を知っている人はほんの一握りであることも問題だ。このためある有識者からは、この場面で「なぜ小学校英語は必要か」などと場違いな質問まであった。 このような仕分け作業自体、あまりにも問題が多すぎる。継続を中止すべきだ。
[H21年11月16日]
雇用問題が危険水域に達している状況にある。 特に、大学や高校の新卒者においておや、ということである。大学は出たけれどの嘆きがつぶやかれ始め、高校生にとっては、地域内の就職が極めて困難になり、求人の少ない地域では、若者の県外流出が問題視されている。この現象は、少子高齢化に拍車をかけることになり、地域の限界集落化を加速させていく問題でもある。
原因はいろいろ考えられるが、不況のグローバル化により、わが国もその流れのまっただ中にあることが最大の要因である。しかし、その流れをむしろ強めているのは、わが国の政策上の問題がある。すなわち、その対策は、不況克服対策の焦点を政策支援の、いわば「川下重視型」であり、これが川上にある企業の戸惑いを招き、逆風としてとらえられていることに一因がある。例えば、子ども手当や高校教育無償化のことがある一方、製造業への派遣禁止、最低賃金の引き上げ、CO2の25%減、さらに円高進行への不作為、郵政事業の民営化停止などのことである。 これらのことが企業の海外逃避・シフトを招き、企業が雇用(人件費問題)に慎重にならざるを得ず、それに伴い、求人数の減少になっていると考えられる。 景気との相関での雇用の過剰感から企業は、雇用にことさらに慎重にならざるを得ず、正社員として採用しても、トヨタ自動車の例のように、半年程度の予定で全員が工場のラインに組み込まれて働くことになるということさえある。 このことは、いわゆる非正規労働者の採用を極力避け、派遣労働がらみの諸問題を防ぎ、繁忙期の労働手当を乗り切ろうとの考えからである。 このような情勢をみて、政府の危機感も日増しに強くなっているようだが、「雇用調整助成金」も無駄排除との視点から打ち切られるというチグハグさもみられる。 大学に進学しない若者の就職は、問題の深刻さが増し、高卒の内定率はこの9月は過去最低である。特に、海外シフトが進む製造業では、求人が減り続けているが、若者のキャリアをどう形成するかは、日本経済の長期的成長の可能性のカギでもある。 今日的には、製造業の新卒採用のシェアは大きく低下していることから、広義のサービス業に目を向けるべきであるが、そこでは、対人関係能力やコミュニケーションスキルを磨くことが重要になってきているといえるのではないか。 「会社の説明会で携帯電話をいじってばかりいる生徒がいる。職業観はおろか、生活態度に問題を感じる生徒も少なくない。コスト競争に追われる企業に、社会人としての教育をする余裕はない」と、企業人のつぶやきを聞いたことがある。 学業成績というある意味で客観的な尺度以外に、交友関係の広さやクラブ活動の経験など、社会的スキルの「代理変数」が重要になるのである。学力以外に子どもを育てる環境づくりの強化が欠かせないといえよう。 マニフェスト作成時には想定しなかった生きた経済、生の社会が抱える問題がここにもある。 友愛の理念のもと、政治主導を掲げる新政権に求められているのは、単なるマニフェストの教条的な履行だけではない。不安定な景気、雇用情勢をにらみつつ、日本経済の活性化のための政策を具体的に実現できるか、まさに構想力が問われているといえよう。
[H21年11月12日]
グローバル化時代に入って、日本在住の外国人が増え続けている。 総務省統計局の各種調査によると、90年頃ごろから急速に増加し、08年度では225万人、国民総人口の1.76%である。総人口に占める外国人の割合が約10%にも達しているドイツ(約800万人)やフランス(約500万人)と比べると、日本における外国人数はいかに少ないかがわかる。
また、日本の場合、国別の外国人は、中国などアジア人の167万人、ブラジルなど南米人の39万人が大部分を占めている。その職業はかつては製造業などが多くを占めていたが、最近では、農業、漁業、介護・看護の仕事のほか、世界各国からの留学生、英会話講師、ビジネスマンなどが占めるようになった。このような現実の中で、いま、日本における外国人問題の大きな課題の1つになっているのは、外国人の児童生徒の教育をどうするかである。 文部科学省の調査によると、平成20年5月1日現在、全国の公立小・中・高校に在籍する児童生徒は、約7万5000人を数えている。また、外国人学校には、3万人程度の外国人児童生徒が在籍している。 一方、公立の学校における日本語指導が必要な児童生徒数は、2万8000人に達しているが、昨年秋以降の経済不況によって、外国人学校から公立学校への転校が増加しているため、この数はもっと増えることは間違いないとみられている。 外国人児童生徒の教育の在り方を考える上で参考になるのは、文部科学省の「初等中等教育における外国人児童生徒の教育の充実のための検討会」が昨年6月にまとめた「提言」である。 この提言は、(1)外国人児童生徒の受け入れ状況と外国人児童生徒教育の意義(2)国・地方公共団体等の役割(3)外国人の子どもに対する就学支援(4)外国人児童生徒への適応指導や日本語指導(5)地域における児童生徒等の教育の推進――からなっている。 この「提言」について検討会の池上久雄座長(東京大学総長室顧問)は、「公立校で外国人が学習していくことの意義は、まずは将来のわが国の構成員として、日本社会に問題なく溶け込んでいく素地を教育することにある。同時に日本人児童生徒にとっても、異なる文化を持った人々とともに生きるという国際人としての能力や態度の教育が期待できるという意義が確認された」と述べている。 また、同座長は、「基本的には、日本人が外国人をわが国にとって必要な人材であることを認め、その構成員として柔軟に受け入れていくという気持ちが大切である。ややもすれば、昨今の日本人が内向きとなり、世界の中での孤立が憂慮されるような状況の中で、外国人教育に前向きに取り組んでいくことは勇気のいることであろうが、わが国の長期的な展望に立ってさらなる取り組みと発展を期待するものである」と指摘している。 これらの考え方は、外国人児童生徒の教育を考える上での前提であり、結論とでもいえる重要な指摘である。 一般に日本人が外国人に対応するのと同じように、外国人児童生徒の教育への対応の仕方も、経験不足ということもあって、とかく閉鎖的になりがちである。対応の仕方がわからずに、戸惑いを見せているといってもよい。 今後は、この検討会の「提言」に基づいた政策の早急な実施と、教職員の共通理解を図るような啓発活動が求められる。
[H21年11月9日]
鳩山総理が主唱した東アジア共同体構想が注目されているが、文部科学省の国際教育交流政策懇談会は10月27日、省内で第8回会合を開き、同共同体構想に向けた教育交流の推進について話し合った。
この共同体構想の最近の動きをみると、その慌ただしさがわかる。10月10日に中国・北京で開かれた日中韓サミットでは、鳩山総理が大学間交流を取り上げ、3国の大学間の単位互換や交流のプログラムなどの質の高い交流を行うための有識者会議の設置などを提案した。 10月25日にタイで開かれた東アジアサミット(ASEAN、日中韓、インド、オーストラリア、ニュージーランド)の首脳会議に鳩山総理も出席。議長声明で、日本による東アジア地域における質の保証を伴った大学間協力の促進にかかる国際会議を開催する提案を歓迎するとの文言が盛り込まれた。 10月26日に開かれた第173回国会での所信表明演説で鳩山総理は、「留学生の受け入れと派遣を大幅に拡充し、域内の各国言語・文化の専門家を飛躍的に増加させる。そして日中韓で大学同士の単位の互換制度を拡充することにより、30年後の東アジアやアジア太平洋協力を支える人材の育成に、長期的な視野で取り組んでいく」などと述べた。 文部科学省では、これら一連の首脳会議や総理の所信表明演説、各国の提案などを踏まえ、(1)中韓当局と話し合いながら日中韓有識者会議を早期に開催し、日中韓の連携の枠組みの構築に向けて取り組む(2)東アジア地域における質の保証を伴った大学間協力の促進にかかる国際会議の開催に向けた準備を進める――ことで対応することにした。今回の国際教育交流懇談会は、その対応策を構築するために開かれたもので、特に、大学間交流や英語教育の重要性に関心が集まった。 大学間交流については、総理が表明した大学間の単位互換の促進に異論はなかったものの、「大学院教育のグローバル化」を通して、大学教授間の連携を優先すべきとの意見や留学制度の拡充については、高校生の留学を含めて、改めて構築し直すべきとの意見が目立った。 また、語学教育の充実に関しては、母語、英語、もう1カ国の言語を習得する「トリリンガル」の教育が必要だとの意見があった。 留学制度や語学教育の充実は、国際交流教育にとって欠かせないものであるが、その具体策については、昨年5月に教育再生懇談会が発表した報告が参考になる。 提言では、日本の国際競争力を高める観点から英語教育の「抜本的強化」を強調、小学校3年生から英語を必修化させるほか、毎年10万人の高校生を英語圏に留学させることなどを打ち出した。 英語教育の早期化には、一部に批判もあるが、国際交流の促進という観点からみれば、前向きに検討する必要があろう。 また、高校生の留学促進に関しては、今年度予算で3200万円の予算がついたものの、対象人数は60人にすぎない(派遣期間1年間、支援金額50万円)。来年度の概算要求でも同額で、「拡充」にはほど遠いのが現状だ。 国際教育交流という一大国家プロジェクトを構築する手立てとしては、お寒い状況である。これを打開するためにも、まずは小学校段階からの英語教育の充実、高校留学生制度の促進などの施策も着実に実行していくことが必要ではないか。
[H21年11月2日]
11月は「児童虐待防止推進月間」である。内閣府の09年版「青少年の現状と施策」(青少年白書)によると、07年度の児童相談所での児童虐待に関する相談件数は過去最多で、初めて4万件を突破し、ここ5年間で約1.5倍に増えた。
ともすると、学校では、いじめ、不登校、非行などの対応に強い関心を示すが、児童虐待への対応には、一歩引いている状況がうかがわれる。児童虐待が福祉の問題であって、教育の問題ではないと考えているふしがある。確かに、児童虐待問題は、児童相談所などを中心とした福祉行政の仕事なのかもしれないが、児童生徒が1日の多くを過ごす学校としても、看過できない緊急性のある課題である。 「児童虐待防止法」によると、児童虐待の定義は、次のようになっている。 1,児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること(身体的虐待) 2,児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること(性的虐待) 3,保護者としての監護を著しく怠ること(ネグレクト) 4,児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと(心理的虐待) また、学校の役割としては、「児童虐待の早期発見などについては、学校及び学校の教職員は、児童虐待を発見しやすい立場にあることを自覚し、児童虐待の早期発見に努めなければならない」としているほか、児童虐待の防止のための教育、啓発に努めることを責務として課している。 文部科学省の研修教材「児童虐待防止と学校」の中には、虐待が疑われるケースに遭遇した場合は、「しかるべき機関にその旨を通告する義務もある。学校・教職員に求められているのは、自身で確実な証拠を見つけることではなく、適切に疑い、虐待と思われる場合は、直ちに通告して、関係機関による安全確認に協力していくことである」と規定している。 学校は、子どもの人権を守る立場にあり、学校教育は、学齢期のすべての子どもに関与する唯一のシステムである。このことは、学校に求められている教育機能や期待度を示している。 一方、東京都の調査によると、虐待を行った者の内訳は、実の母親が58.6%と最も多く、続いて実の父親が24.2%、実父以外の父親4.8%、実母以外の母親1.7%、その他10.7%。実の両親による虐待が何と、8割以上も占めている。また、虐待者の年齢をみると、男性は30〜40歳代が約6割、女性は20〜30歳代が約8割を占めている。 このように、いま子どもたちを取り巻く環境は、大変厳しい状況にあるが、日本学術会議が平成19年7月に出した「我が国の子どもを元気にする環境づくりのための国家的戦略の確立に向けて」と題する報告書は参考になる。 報告書はその中で、「成育環境の変化への対応は、いずれも個別的な対策としてなされてきたに過ぎない。そのため、十分な成果が上がっておらず、体系的、また、予防的・長期的な観点から論じる必要がある」としている。 児童虐待の解決のためには、学校・教職員が、このような長期的な視点に立ち、地域の諸機関と協力して、「子どもの健やかな成育」を前提に取り組む必要があろう。大きな成果を期待したい。
[H21年10月29日]
まさにチェンジというべきか、国民の意識改革をも迫る当今の民主党の政策対応である。
第2次補正予算がらみの無駄排除ということでの見直しと、その後の査定でダムの建設中止、高速道路の無料化、子ども手当の支給、高校教育の実質無償化などと、あっと驚くほどの矢継ぎ早の政策立案である。それぞれの施策は、財源問題などとのからみで、実現の可能度が案ぜられるほどである。 このうち、教育に関しては、子ども手当の支給という家計側面からの義務教育への支援に加え、いっそ高校まで義務化したらと思うほどの流れである。現段階では、単なる目玉的提唱であって、細目はこれからであろう。 いうまでもないが、マニフェストのすべてに、国民の理解と支持が得られているわけではない。にもかかわらず、すべての支持を得たかのように政策判断と実施を急ぐ姿には、若干の違和感を覚えることも否定できない。 その典型的な例として、八ツ場ダムの問題をみることができる。公約のかたくなな遂行でどのような問題が生ずるのか。一方的な費用対効果で計ることは危険である。 問題があるとすれば、それにどのように対応するのか、常に国民的な目線での計画、実施、評価が望まれるし、説明責任を継続して果たすことが取るべき姿勢であろう。当然ながら、国民の理解と支持を深めながら、一歩ずつの前進であってほしいものである。 さて、民主党のマニフェストには、教員免許更新制度の見直しがある。教員養成課程を医師並みの6年制(修士を原則)にするという政策である。 制度の見直しは教員の資質向上のためというが、その効果はどうか。更新制の実施は当初、指導不足など不適格教員排除のために検討されたが、最新の知識や技能に刷新する制度という位置づけに変わった。 それは、対象人数の多いことや講習内容の問題、それに教員の経済的時間的負担が大きいことなど、当初から問題点が指摘されていたが、この制度については、民主党の支持母体の1つである教員組合の反対もあり、早急に制度の廃止がなされるといわれている。 一方の教員養成6年制は、主として教育実習期間の延長を意図していることだが、大学院教育に値する教育の質を保証しつつ、カリキュラム編成や指導教授の確保が実現できるかどうかは疑問である。旧制大学時代の教員免許状取得要件はいうまでもないが、今日的な「開放型教員養成制度」は歴史的転換を迫られることになる。果たしてこれでよいものか。 6年制の中身やその体制については、その内容を原案の段階から提示した上で、国民的な視点でその是非を議論することが必要である。 その際の視点としては、多くの若者が修士までの費用と時間にどれだけ耐え得るか、幸い教師になって、待遇や勤務時間などで、教職に魅力を感じられるのかどうかである。 研修以外に教育の王道はないと考える。子どもの教育の保障の点から慎重に考えるべきであろう。むかしの検定復活とまではいわないが、社会人を含めて広く人材を求め、子どもへの愛情は誰にも負けないと言い切れる若者の登用を考えると、この修士制度は凍結してもよいと考える。
[H21年10月26日]
ICTを活用した授業づくりが注目されているが、それを実現するためには、文部科学省が今年3月に作成した新学習指導要領対応の「教育の情報化に関する手引」の活用いかんにかかっている。
この新しい手引は、これまでの「情報教育に関する手引」からタイトルが変わっただけでなく、その内容も大きく様変わりした。新手引は、(1)情報教育(子どもたちの情報活用能力の育成)(2)教科指導におけるICTの活用(各教科等の目標を達成するための効果的なICT機器の活用)(3)校務の情報化(教員の事務負担の軽減と子どもと向き合う時間の確保)――の3つが大きな柱である。 このうち、特に「教科指導におけるICTの活用」が強調されている。「新学習指導要領において、教員によるICT活用、児童生徒によるICT活用のいずれについても充実が図られ、教科の目標や内容に情報活用能力の育成に直結している要素が含まれている」としている。 「教科指導におけるICTの活用」の最大のねらいは、「学力の向上」である。ICTの活用により、いかに学力を向上させるかが新手引の大きなねらいであるといってもよい。 この問題を考える際の参考になる論文を紹介しよう。財団法人教育調査研究所は月刊誌「教育展望」10月号で「ICT環境の整備と活用」を特集しているが、この中に、永野和男聖心女子大学教授の「新しい学習指導要領のねらいと情報教育」と野中陽一横浜国立大学准教授の「ICTを活用した授業づくり」の2つの論文が掲載されている。 永野教授は、「『学力向上のためのICT活用』といわれるが、ここでいう『学力』とは何か、教科の知識内容を記憶することか、情報活用能力を含むのか、この点をはっきりさせておくことが今後の議論のために必要になる」とし、その上で、「重要な点は、教科の授業展開において、子どもたちが自ら情報を収集し咀嚼したり、自分の考えをまとめ発表したりする活動が中心の課題解決型学習にすることであり、それが直接、教科の学習を身に付けることにもつながるという点にある」と述べている。 また、野中准教授は、「教科指導におけるICT活用の効果」を探るため、横浜国立大学が文部科学省の委託を受けて、「全国学力・学習状況調査」(20年度)と「学校における教育の情報化の実態等に関する調査」(19年度)のデータを分析したが、その結果から次の3点が明らかになったとしている。 (1)普通教室のICT環境整備とICT活用の頻度には関連がある。さらに学力とも関連があることから、普通教室のICT環境整備を進めることは重要である。 (2)ICT活用の頻度と学力には関連がある。週に1回以上ICTを活用する場合に正答率が高くなるということは、特別な授業、単元での活用ではなく、日常的にICTを活用することによる効果だと考えられる。 (3)教員のICT活用に加え、児童生徒のICT活用を行うことが、より学力の向上に寄与している可能性がある。 これらの分析結果は、今後、教育の現場でICTを活用する際の指針にもなろう。教師一人ひとりの積極的な取り組みに期待したい。あとは、政府が「スクール・ニューディール」構想などを通して、ICT環境をいかに整備・充実するかである。
[H21年10月22日]
鳩山連立政権が発足してほぼ1カ月経った。 衆議院選挙で圧勝した「政権交代」だけに、大きく期待されての船出である。
新政権の政策バイブルといえるのは、選挙前に公表したマニフェスト(政権公約)である。発足間もない現在、各大臣は、マニフェスト通りに実行するという姿勢を貫いている印象を受ける。マニフェストには、5原則が掲げられている。 その5原則は、(1)官僚丸投げの政治から政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ(2)政府と与党を使い分ける二元体制から内閣の下の政策決定に一元化へ(3)各省の縦割りの省益から国益へ(4)タテ社会の利権社会からヨコ型の絆の社会へ(5)中央集権から地域主権へ――である。 この中で、目玉とされる「官僚丸投げの政治から政治家主導の政治へ」という原則は、そのまま実行に移されつつある。大臣の主導のもとに、副大臣、政務官の活躍をみただけでも、政治家主導が発揮されていることがわかる。今後、大臣補佐官などの名目で、国会議員が相当数配置されるとのこと、ますます政治家主導は強化されるのは間違いない。 その政治家主導に水を差すわけではないが、マスコミなどを通してみた各省大臣の行動、発言をみる限り、独善的とはいえないまでも、独断的な姿勢すらうかがえる。大臣直下型の政策決定の図式である。 例えば、国土交通大臣は、就任早々、勢いよく「高速道路の無料化」を打ち出したものの、すでに「平成25年度から地方を中心に実験的に実施する。具体的個所は未定」とトーンダウンした。十分な検証なしに打ち出されたことで、関係者からの反発を買ったためだ。 また、その無駄遣いの象徴とされた八ツ場ダムの建設中止を唐突に発表した結果、多くの地域住民から「話し合いをせずに決めた」ことで大きな反発を受け、いまでもこの問題はくすぶり続けている。 厚生労働大臣が来年6月後半に支給を表明している「子ども手当」(中学卒業までの子ども1人当たり年31万2000円、月額2万6000円を支給)についても、所得制限などを課すかどうかの検証なしに実施に移されようとしている。 その代替案なのか、前政権時代に公明党主導で創設された「子育て応援特別手当」(3〜5歳の子どもを対象に1人当たり年間3万6000円支給)の廃止を決めた。この決定に対して、この手当を生活設計に組み込んでいる多くの家庭から強い不満の声が出ている。 文教関係に目を転じると、文部科学大臣の主導でクローズアップしている「高校の授業料の無償化」は、その具体的な内容が明らかにされないまま、「来年の通常国会に関連法案を提出し、来年度から実施」という日程で進行している。 多くの識者からは、私学の扱いや所得制限などの課題解決を求める意見が強く出されている。 これら一連の大臣の発言、行動をみると、何か「危うさ」が感じられて仕方がない。それは、大臣の意向のみが先行した「独断」に対する「危うさ」である。 この際、マニフェストを金科玉条のごとく扱うのではなく、見直すべきところがある場合は大胆に見直すという、柔軟な姿勢が必要ではないか。その際、熟達した官僚の手を借りることは、必ずしも“脱官僚”に反するとはいえない。鳩山首相の指導力が問われる。
[H21年10月19日]
今年5月、新型インフルエンザの第1号の感染者が出て以来、わが国の感染者は増加を続け、すでに本格的な流行期に入っており、これから秋、冬に向けてさらなる感染の拡大が憂慮されている。
政府は、10月1日、全閣僚が出席する新型インフルエンザ対策本部(本部長・鳩山由紀夫総理)の会合を総理官邸で開き、「基本的対処方針」を改定するとともに、「ワクチン接種の基本方針」を決めた。鳩山総理は、この日の会合で、「新型インフルエンザのウイルスの特徴を踏まえ、国民生活や経済への影響を最小限に抑えつつ感染拡大を防ぐとともに、重症者や重篤化しやすい基礎疾患を有する者などを守るという目標を掲げ、新たな『基本的対処方針』を決定した」などと述べ、国民に理解と協力を求めた。 この決定を踏まえ、文科省は、同日、都道府県教委などに対し、「特に留意する点」として、以下の5項目をまとめ、各市町村教委や学校に周知するよう要請した。 (1)外出に当たっては人込みをなるべく避けるとともに、手洗い、うがいなどを呼びかけること。咳などの症状のある者には、感染拡大を防ぐために、なるべく外出を避け、咳エチケットの徹底、込み合った場所でのマスク着用を呼びかけること。 (2)学校においては、時差通勤・時差通学、自転車通勤・通学などの容認、発熱者に休暇取得を促すことなど、教職員や児童生徒などの感染機会を減らすための工夫を検討すること。 (3)集会、スポーツ大会などについては、主催者において感染機会を減らすための工夫を検討すること。 (4)運用方針において「学校・保健施設などの臨時休業については一定の効果があったところであり、引き続き、学校・保健施設などで患者が発生した際には、都道府県などが感染拡大防止など、公衆衛生上必要だと判断した場合、当該学校・保健施設などに対する臨時休業を要請する。また、感染拡大防止のため、特に必要と判断した場合、都道府県などは、患者が発生していない学校・保健施設などを含めた広域での臨時休業の要請を行うことが可能である。臨時休業の要請がない場合であっても、学校・保健施設などの設置者は必要な臨時休業が行うことができる」とされたこと。これを踏まえ、平成21年9月に送付した「学校・保健施設などの臨時休業の要請などに関する基本的な考え方」を参考にし、臨時休業の措置が講じられるようにすること。 (5)ワクチン接種の基本方針において、「インフルエンザ患者の診療に直接従事する医療従事者(救急隊員を含む)、妊婦及び基礎疾患を有する者(1歳〜小学校低学年に相当する年齢の者の接種を優先)、1歳〜小学校低学年に相当する年齢の者、1歳未満の小児の保護者及び優先接種対象者のうち身体上の理由により予防接種が受けられない者の保護者などの順に優先的に接種を開始する。さらに、小学校高学年、中学生、高校生に相当する年齢の者及び65歳以上の高齢者についても、優先的に接種する」とされたこと。 新型インフルエンザへの対応については、学校だけに責務を負わせることはできない。市町村の教委、保健所、医師会はもとより、保護者会(PTA)、地域住民などの協力体制が絶対に必要である。 今からでも遅くない。全国各地で新型インフルエンザを防止するための「地域対策本部」のような組織を立ち上げてもらいたい。万全を期してほしいものだ。
[H21年10月12日]
全国学力・学習状況調査の市町村別、学校別の結果を開示しないのは条例違反だとして、市民団体「市民オンブズ鳥取」が鳥取県教育委員会の文書非開示処分を取り消すよう求めた訴訟の判決で、鳥取県地方裁判所(朝日貴浩裁判長)は10月2日、「開示により、国が実施するテストの適正な遂行に支障を及ぼす恐れがあるとはいえない」とし、非開示処分を取り消し、開示を求める判決を言い渡した。 同調査の結果の開示を認める判決は全国初である。
訴状によると「市民オンブズ鳥取」は、昨年8月、平成19年度分の市町村、学校別の結果について公文書開示を請求したが、県教委は「過度な競争の恐れがある」「開示すれば、市町村教委からの参加協力が得られなくなる恐れがある」などとして開示しなかった。非開示の根拠は、都道府県による学校別成績の開示を認めていない文部科学省の実施要領に基づくものだ。ただ、同県では、昨年12月の県議会で、県情報公開条例の改正案が可決されたため、今年9月7日、平成21年春に実施したテストについては、一部を除くデータを請求者に開示したいきさつがある。 訴えに対し、地裁では、「鳥取県では、情報公開条例が改正されて今年度分の結果が開示されることになり、各市町村は、これを認識して今年度の参加を決定している。開示により参加しなくなる事態が生じる蓋然性があったとは言い難い」と指摘。 また、過度の競争や序列化の恐れについても、県が02〜06年度に実施した独自の学力調査の市町村別の結果を公開したことに言及、「問題を生じたという指摘はなく、弊害が生じる恐れは乏しい」と判断した。 報道によると、この判決に対し、原告側は記者会見で、「完全勝訴で十二分に納得できる」と判決を評価。敗訴した鳥取県教委は、「主張が認められず残念。控訴するかどうか相談したい」としている。 この判決で気になる点は、市町村別・学校別の開示を認めていない文部科学省の全国学力・学習状況調査の実施要領について、判決では、「拘束力はなく、開示の可否は県条例を尊重すべきだ」とした点だ。 同実施要領(平成21年度)によると、あくまでも「非公開」を前提に実施したもので、情報公開条例の開示を予期してのものではない。 同実施要領の「調査結果の公表」の中身は、(1)国全体の状況および国・公・私立学校別状況(2)都道府県ごとの公立学校全体の状況(3)地域の規模等に応じたまとまり(大都市=政令指定都市および東京23区、中核都市、その他の市・町村・へき地)における公立学校全体の状況――などである。 この調査に、市町村・学校別結果の開示が含まれていないのは、同実施要領の「調査結果の活用」の目的が教育施策の成果と課題を検証し、その改善に取り組む資料にすると謳っているからだ。各学校には、「各児童生徒の全般的な学習状況の改善等に努める」、各市町村には、「調査結果を踏まえ、それぞれの役割と責任に応じて、学校における取組等に必要な支援を行う」と記述されている。 このように同実施要領では、市町村別、学校別の結果の開示を最初から想定していないのである。「開示」を前提に、同調査を実施するのであれば、調査の目的そのものが変質してしまう。同実施要領に照らしても、市町村別、学校別の結果の公表はすべきではないと判断する。ただ、この地裁判決を契機に、「開示の在り方」について根本的に検討することは必要である。
[H21年10月8日]
川端達夫文部科学大臣は9月25日の記者会見で、来年4月からの実施を目指す高校の無償化問題に言及、「請求権は個人(保護者)にあるが、現金が請求者に流れていく制度は避ける。 事務経費がかからないようにする」と述べ、約330万人分の授業料の給付を保護者や生徒への直接給付方式ではなく、都道府県などを通じて交付する間接給付方式とする考えを明らかにした。
民主党のマニフェスト(政権公約)では、「公立高校を実質無償化し、私立高校生の学費負担を軽減する」を大きな柱にし、「家庭の状況にかかわらず、すべての意志ある高校生・大学生が安心して勉学に打ち込める社会をつくる」を政策目的に掲げ、その具体策として、(1)公立高校生のいる世帯に対し、授業料相当額を助成し、実質的に授業料を無料とする(2)私立高校生のいる世帯に対し、年額12万円(低所得世帯等は24万円)の助成をする(3)大学などの学生に、希望者全員が受けられる奨学金制度を創設する――を打ち出している。川端文科相の発言は、高校の実質無償化という大問題に対して、十分な議論がないまま、マニフェストに沿って支給方法に言及したにすぎないという印象を強くした。 文科省は、高校の無償化問題を議論する際、これまで3つ論点をあげている。1つは財源問題。マニフェストでは、高校の実質無償化には、5000億円の財源が必要としているが、これをどう確保するかが明確にされていない。2つめは、家庭の経済状況にかかわらず、一律にすべての高校の授業料を無償にするのがよいのかという問題。3つめは、行政コストがかかる煩雑な手続きをどうクリアするかという問題だ。 今回の大臣の発言は、手続きの問題だけに言及しただけである。 高校の授業料等の軽減については、前政権が設置した「教育安心社会の実現に関する懇談会」で、すでに指針が示され、「教育費負担の軽減」という形で実現を目指していた。 具体的には、「幼稚園・保育園」は、「希望するすべての3〜5歳児を対象に無償化する」、「小・中学校」では、「授業料や教科書の無償に加え、どの市町村でも自治体の財政力に左右されずに十分な就学援助(学用品、修学旅行費等)を受けられるようにする」とある。 「高校」に関しては、(1)特に低所得者層の家庭の生徒を対象に、授業料等の負担を軽減する(2)入学時に必要な経費など、高校生活を送る上で、必要不可欠な教育費の負担を軽減する(3)高校生が家庭の経済状況に左右されずに安心して学業に専念できるよう、新たな修学支援に関する方策を検討する――とある。 この提言を踏まえ、文科省では、「高校奨学金事業費等の充実・改善」費として、来年度の新規予算に455億円を要求している。 新政権が「高校の授業料の無償化」を打ち出している以上、「授業料の負担軽減」を盛り込んだ概算要求とは矛盾しているわけで、この要求が見直しの対象になるのは間違いないことだろう。 同懇談会の提言は、学識経験者らの長時間にわたる審議を経てまとめられたもので現時点では良識的な結論を出している。 仮に、新大臣がまったく新しい発想で「無償化」問題を推進するのであれば、大臣直属の懇談会を設置するなどし、内容を十分に検討した上で実行に移すべきだ。このままでは、あまりにも拙速にすぎるといわざるを得ない。
[H21年10月1日]
いま、急激な情報化が進展し、人間関係が希薄になり、学校、家庭、地域の教育力が低下しつつある。 知識伝達の中心的な存在であるはずの学校は、携帯電話、パソコン、テレビなどで、簡単に知識を得ることができるため、存在が弱体化しつつある。それらの利器は、知識の信用性や意味、情報の発信者などは問われることなく、強い影響力を与えている。
そういう状況の中で最も懸念されるのが児童生徒の心をいかにはぐくむかである。文部科学省の校訓等を活かした学校づくり推進会議がこのほど、「校訓を活かした学校づくりの在り方について」と題する興味ある報告書を発表した。校訓というと何となく古めかしい感じを持つが、報告書では、「校訓は、学校で教育上の理念・目標を成文化したものである」としている。 長い歴史と伝統のある学校と比較的新しい学校とでは、当然、校訓のとらえ方が違ってくる。伝統校では、よく「質実剛健」などの校訓が掲げられているが、最近では、学校の児童生徒が教員とともに目標・スローガンなどを定めるというケースも多くみられる。それは、「創立○○周年」といった節目に、学校で起こっているいじめ・暴力行為などの問題行動に対応する形で考えられている。 さて、校訓の存在意義は、児童生徒、教職員、地域社会にそれぞれ影響を与え、意識や行動に変化を与える。「こういう学校にしたい」という価値観を共有し、具体的な目標に向かって一致団結して取り組みを進めることである。 児童生徒にとっては、学校への帰属意識を持ち、協力して物事に取り組むようにする。教職員にとっては、学校が目指す児童生徒の育成像、学校で共有する価値観を持つことになる。 北欧のデンマークでは、その学校の関係者は、見学時に必ず自分の学校の特色はこうであると、自信ありげに話してくれる。 学校の教育制度は同じでも、地域社会の特色を生かしながら、特色ある学校づくりをするには、金太郎あめのように、どこの学校も同じでは、児童生徒の心に訴えるものがないし、地域社会からみると、特色ある学校にはならない。 昔から学校は、地域コミュニティの中心的な存在であり、地域の児童生徒の教育を担う存在として、重要な役割を果たしてきた。その学校の校訓は、時代や世代を超えて学校と地域を結ぶ紐帯として、大切なものである。 報告書では、「校訓を活かした学校づくり」として次の事例をあげている。参考にしてほしい。 1 地域に根ざした伝統的な校訓を教育活動に活かした事例 2 家庭と連携して、子どもたちに身につけさせたいマナーを定め、地域の思いを学校づくりに具現化した事例 3 生徒が主体的な活動により、積極的な生徒指導を展開した事例 4 生徒・保護者・教職員の希望を結集して定めた「生徒憲章」を中心に学校づくりをしている事例 5 英語の校訓で多種多様な背景の児童生徒を統合する取り組みの事例 |
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