(こだま)校長しつでいつもなにを…

「校長しつでいつもなにをしていますか。きゅうしょく一人でたべてさみしくないですか」これは、第26回一筆啓上賞「日本一短い手紙」コンクールの大賞に選ばれた福井市大関小のハウカ乃瑛琉君(小2)の作品。縄跳びを教えてくれた教頭兼体育教諭が校長に昇任し、少し遠い存在になってしまった寂しさを込めたという。

そもそも校長室はなぜ存在するのか、そしてなぜ広いのか。そんな当たり前のことを考えたことがある。『校長室はなぜ広い』(森隆夫著・教育開発研究所)によると、校長室は「制度的権威」の象徴であり、広いのはその地位を誇示するため。それに対するのが「人格的権威」で、その人の持つ高潔な人格を指す。両者は相互補完関係にある。校長室にある歴代校長の写真を毎日見て、先輩校長の名に恥じないように精進して自らの人格的権威を高める糧とするのもその役割の一つ。

森氏はこうも言う。校長には学校経営の戦略・戦術を決断する前に今一度熟考・瞑想(めいそう)する場が必要である。それが校長室なのだ。校長室の使い方はそれぞれだが、あるじがずっとそこにこもっていては子供たちもかわいそうだ。時には開放するのも妙手かもしれない。

同じく大賞に選ばれた知多市八幡中の永田晴基君(中2)は「僕の事知ってますか? 僕は全体の中の一人です。いつか見つけてみて下さい」と校長先生に問い掛けた。

「雑魚という魚はない。雑草という草はない」という言葉がある。子供たち一人一人にはかけがえのない命があり、その子にしかない個性がある。教育に携わる者にとって十把一からげで子供を見ることは厳に慎まなければならない。永田君からの手紙は校長先生への強烈なメッセージではないか。

この4月県内小中学校に275人の新校長が誕生した。一人一人の子供たちに寄り添ったとき見えてくるものがある。「一人を粗末にするとき教育はその光を失う」と言った先人の言葉が改めて胸を突いてくる。肝に銘じたい。