教師力・人間力―若き教師への伝言(24)先生と呼んでもらえる

最近、本校の職員に次のような話をした。

「私は、もう何年も生徒に自分のことを『先生』とは言いません。生徒が『先生』と呼んでくれるからといって自分のことを『先生』と言うのってどうなのでしょう」

この話をするときにセットのように思い出されるのが、次の二つの話である。これがあったからこそ、ここまでやれたと思っている。

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「先生、T君ばっかりひいきしないでください」

新任教師として勤めた小学校。担任した学級にTという、やんちゃな子供がいた。「ぼっくう小僧」という言葉がぴったりの彼は、とにかく手が掛かり、叱ってばかりの毎日だった。それでも担任として、授業らしきことをやり、学級の子供と毎日を楽しく過ごしていた。

半年を過ぎた頃、Kさんが作文に書いたのがこの文だ。Kさんは、毎日、授業が終わるたびに近くにきて楽しそうに話す、明るい子だった。

そんな彼女が書いた「ひいき」という言葉に愕然(がくぜん)としたし、不満があることにショックを受けた。その後も変わらず明るい様子のKさんだったが、私は学級全体に目を配ることを意識した。

T君を何とかしなくては、という思いで厳しく接してばかりだったが、彼女には、ことあるごとにT君に手をかける担任は、ひいきしているようにしか見えない、と気づいたのは随分たってからである。

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「それは、先生の自己満足じゃないの?」

中学校2年生を担任した時である。昼休みにコロッケを買いに集団で学校を抜け出した生徒がいた。指導したあと、当時の生徒指導方針として、彼らをそのまま帰宅させた。

夕方、それぞれの家庭に電話をかけた。ある家庭で、保護者が不在だったため、電話に出た兄に指導内容と、帰宅させたことを伝えた。

兄は、「その程度のことをいちいち電話してこなくてもいい。親だって悪いことはわかっている」と言った。指導を学校と家庭と共有したい旨を伝えた時に返ってきたのがはじめの言葉だ。さらに、「毎回、小さなことまで言われて親は参っている」と言われ、はっとした。

学校でのことを保護者に伝えるのは生徒指導の原則。それが学校と家庭の信頼関係を築くうえで大切なことである、そう信じてやってきたし、それで保護者に助けられたことも多くあった。

しかし、問題を繰り返す彼の家に何度も電話し、気づかないうちに「方針通り」をなぞるだけの冷たい対応となっていた。

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私たちは、信念を持って子供を指導している。「正しさ」「こういう人間になってほしい」などの信念があるからこそ、子供のために、と思って指導するのである。

しかし、その「正しさ」「理想像」は皆と共有されているか。そこに不一致があれば、信念は、単なる独り善がりになり下がる。また、「正しいことなら、必ずわかってもらえる」と一方的に考えるのは思い上がりである。

「先生」は、一般的に敬称である。子供が「先生」と呼んでくれるので、つい「先生はね」と言ってしまう。しかし、自他の区別がつきはじめる年齢の子供を相手にして、自分のことを「先生」と言うのは無頓着すぎないか。それが思い上がった気持ちにつながっていかないか。

周囲の人から「先生」と呼ばれることに感謝しつつ、それにふさわしい人間になれるよう、努力したい。

(豊田聡彦・豊橋市立高豊中学校長)