(読者の窓)教学一如

本校応接室に、「教学一如」と書かれた額が飾られている。地域の方が当時の文部大臣に依頼し、揮毫(きごう)していただいたと記録にあった。

よく似た言葉に「心身一如」というものがある。鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元の言葉で、心と体がつながっていて互いに影響し合い、集中している状態をいうのだそうだ。

「教学一如」の意味をここから考えると、教えることと学ぶことがつながっていて互いに影響し合い、集中している状態ということになる。教えるのは教師であり、学ぶのは子供たちである。

若いころ、先輩の先生の授業を見せていただいた。先生が問う。その問いに対して子供たちの手が挙がる。当てる。1対1であったり、1対多であったり。答えの中には、授業のねらいから外れたものもある。先生はそれをうまく取り入れながら、あるいは手の挙がっていない子の様子を見て指名しながら授業が進んでいく。子供たち一人一人の表情が生き生きしてくる。そこには、教師と子供たちが一体となった、まさに「教学一如」の授業の姿があった。

文科省が公表した2030年に向けた教育ビジョンでは、一斉一律の授業の学校から、個人の進度や能力、関心に応じた学校に変わるという。

ただ、「個」という言葉のみが独り歩きし、いたずらに個別学習を取り入れた授業になることが危惧される。洗練された一斉授業があってこそ、子供たち一人一人は生きるのではないだろうか。

 (立岡昌之・名古屋市立陽明小学校長)

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