(こだま)「鳥」と「烏」、「釘」と「針」…

「鳥」と「烏」、「釘」と「針」。似て非なる漢字だ。「怒」と「恕」もそう。「怒」は怒り、「恕」は思いやり。

「論語」(衛霊公篇第十五)の中にこうある。弟子の子貢が孔子に「一生行っていくに値することは何か」と尋ねた。孔子は「其恕乎。己所不欲。勿施於人」(人生で一番大切なこと、それは恕だ。自分がされたくないことは人にはしてはならない)と説いた。つまりは他を受け入れ、認め、許し、思いやる。そのことこそ、人生で一番大切なことだと孔子は教えたのである。

今年1月、千葉県野田市で起こった虐待事件には心がふさぐ。小4女児は、父親から日常的に虐待を受けていた。首をわしづかみにされたり、冷水のシャワーを浴びせられたりするなどの暴行を受け死亡した。その後の調べで、女児には服によって隠れる腹部にあざが集中してあり、父親が発覚しないように暴力を加える箇所を選んでいた可能性がある。

女児の通う学校で行われたアンケートに、「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたり、たたかれたりしています。先生、どうにかできませんか。」と小さな心が張り裂けそうな訴えをしている。学校が、そして教師がしてやれることはなかったか。

児童虐待が後を絶たない。全国児童相談所における児童相談対応件数(平成29年度)が13万件を超えた。27年連続で増加している。5月、遅ればせながら、児童福祉法等改正案が衆議院本会議において全会一致で可決した。改正案では、児童相談所が虐待した保護者に対して再発防止に向けた医学的・心理的な指導をすることを努力義務とした。早急の対応を望む。子供たちの命を守るのはすべての大人の責任であることに間違いはない。

児童虐待の加害者の多くは、「しつけだった」と主張する。しかし、暴力の伴うしつけは決して子供の成長につながらないということを理解する必要がある。そこに「怒」はあっても「恕」はないのだ。