(伝えたいこと)「ありがたい」と思えること

令和元年五月運動会閉会式のお話に寄せて

五月中旬に行われた運動会の閉会式で、子どもたちに次のような話をしました。

「運動会が無事終わりました。このことを先生は、『ありがたい』なと思います。『ありがたい』というのは感謝をするときに使う言葉ですが、『あることが難しい』という意味でもあります。簡単に言うと『当たり前』ではないということです。今日の運動会は、できて当たり前ではなく、いろいろな人の力や自然の条件が重なってできたのだと思います。まず天気に恵まれました。また、お家の人がみんなが健康でいられるように支えてくださいました。体操服の準備もしてくださいました。PTA役員の方が準備などを手伝ってくださいました。民謡クラブの方が十四山音頭を教えてくださいました。児童会の役員の皆さんが準備をしてくれたり、児童の皆さんがそれぞれの係をがんばってくれたりしました。そして、全校の皆さんが一生懸命練習してきました。先生は全てのことに『ありがたい』なと感謝をしたいと思います。皆さんはどうですか。皆さんも、今日まで支えてくださったいろいろな方に感謝の気持ちを是非伝えてください。」

子どもたちにこのような話をしたのは、前日に子どもたちからかけられた「ありがとうございます」という言葉がきっかけでした。私はその日、子どもたちの全校練習の様子を見ながら、児童の控え席付近の草取りをしていました。(校庭が広い割に児童数が少ないので、本校は校庭に草が生えます。)

その様子を見た子どもたちが私に向かって「ありがとうございます」という言葉をかけてくれたのです。私は、「いい子たちだな」と思いましたが、同時に、その子どもたちは、私のしていることを「ありがたい」ことだと思ってくれたことに気付きました。

人は、「当たり前」だと思っていることに感謝をしませんし誉めることもありません。むしろ、「当たり前」だと思っていることができないと腹を立ててしまうこともあります。

世の中に「当たり前」のことはそれほど多くは無いと思います。生まれたばかりの赤ちゃんが泣くことでさえ、様々な条件が必要で、決して「当たり前」だとは言えません。

教育に携わる者として、自分自身が「ありがたい」ことへの感性を高くし、子どもたちにも「ありがたい」と思えることの大切さを伝えていきたいと思います。

(加藤優子・弥富市立十四山西部小学校長)