【教師力・人間力(36)】評価で苦しむ教師になろう

文科省の言うことが分からない

今、「評価で苦しむ」と書くと、新指導要領の「主体的に学習に取り組む態度」が浮かぶのではないか。

本校も講師を招いたり、授業研究をしたりしている。でも難しい。

ちまたでも文科省資料が分かりにくい、現場で日常的に使える内容になっていないなどという声をよく聞く。

だから「指導と評価の一体化」

しかし本稿の趣旨はそれではない。これからの先生方に向け、文科省資料のタイトルでもある「指導と評価の一体化」という語に戻ってみようという普通の呼び掛けである。

まず確かめたいのは、私たちは先に指導者であり、単なる客観的立場の評価者ではないということである。

揚げ足取りと言われそうだが、学級通信などで「運動会が行われます」、保護者へ対し「規則正しい生活をさせたいものです」などという表現を見ることがよくある。

私はこの表現で教師の立ち位置に引っ掛かる。この文からは「学校行事はやらされているのでなく、自分が主体的にやっているのだ」「保護者への教師としての強い意志だ」ということが伝わってこない。そういう自覚があれば、「運動会を行います」「規則正しい生活をさせてください」と自然に言い切れるのではないか。

われわれは、まず一生懸命に指導する。その結果、子供の姿から指導を反省し改善する。この一体化の営みは評価の観点が変わろうと不変である。

子供を伸ばす評価者であれ

客観的評価は大切だが、それが子供の力を伸ばしたいという教師の願いを消すものになってはいけない。

もし、客観的事実による教科等の評価が△であっても、いろいろな方法で、学期中進歩したことや今後の改善策を伝えることは重要である。

また、通知表に合わせて書く所見を記号の評価と同じ、事実を突き付けるだけのものにしてはいけない。

所見を考えながら、その通知表を見る親子がどんな会話をするか想像してほしい。家で怒られ続けている子には、学校ではこんないい所があると子供を応援する所見、家庭で指導しているのになかなか改善しないと保護者から相談を受けた子には、家での取り組みを応援する意味合いを含んだ所見、というように通知表の所見も子供への指導の一環だ、という思いを込めて書ける人は、一人一人の姿を的確に捉え、力を伸ばす指導も見える教師に違いない。

評価できる手だてを仕組む

本文最初の評価の話に戻ろう。

この評価に関わる二側面について、「粘り強い取り組み」を見取るなら、指導の中に活動を続けたくなる魅力的な学習活動を仕組むこと、またポートフォリオなど、頑張る気持ちを継続して表出、確認できる場の設定、さらに取り組みを温かく支える学習記録への朱書きや励ましの声掛けといった工夫が有効ではないか。

「学習を調整しようと」する姿を見取るなら、単元の学習の見通しを子供が把握できるようにし、自分のめあてや取り組みの計画をはっきりさせる学習計画書などの作成を指導に組み込むこと、また途中で自己の取り組みを振り返り、軌道修正できる場を設定するなどの工夫を凝らすことが有効だろう。

当然二つの側面は関連しあっており、手だては共通する部分もある。また、それぞれを行うことで両方が見やすくなり、資質能力として高めることにもつながるだろう。

「楽しく」苦しんで評価しよう

新指導要領の方向性自体は間違ってはいないと思う。ただ指導をどう仕組むか、どう評価するかはやりがいがあるが難しい。

指導と評価の一体化の重要性を実感して取り組んだ指導によって、見られるだろう一人一人の子供の笑顔を想像しながら、「楽しく」苦しむことこそ、この時代の教師のやりがいだと理解したい。

(森雅広・名古屋市立高蔵小学校長)

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