【教師力・人間力(38)】本当に伝えたかったことは

ずいぶん前のことです。確か酒の席で、大先輩に当たる方から次のようなお話をいただきました。

奈良県にある法隆寺は、もともとは学問寺です。明治から昭和にかけて、長期にわたりその学問を世の中に広めるという大きな仕事をされた佐伯さんという方が見えました。全国津々浦々より多くの志ある僧侶や尼が佐伯さんのもとに集まり、教えを受けたようです。雨の日も風の日も、佐伯さんの講義は続けられたのでした。

受講者の中に、どこかの地方からやってきて教えを受けていた一人の若い僧侶がいました。彼は非常に真面目な人間で、1回も休まず、全身全霊を傾けて講義を聴き、予習も復習もして必死に学ぼうとするのですが、一向に理解できないのでした。

その若い僧侶は、非常に純情な青年だったのでしょう。あるとき、佐伯さんの前に出てこう言いました。

「先生、実はお別れを言いに参りました。私は毎日、先生の講義を真剣に聴き、予習も復習もして、自分なりに理解に努めてまいりました。しかし、どうも私には才がないらしく、先生のお話が理解できません。このような学問には向いていないようですので、田舎に帰って畑でも耕しながら寺を継ぎ、地元の方々と共に暮らして生きていきたいと思います。長い間ありがとうございました」

自分の才能に見切りをつけ、田舎へ帰るということなのでしょう。佐伯さんは、その若い僧侶の話をじっと聞いておられたのですが、その後で、ぽつんと一言、こう言われたというのです。

「千日、聞き流しせよ」

今年の夏、このお話を再び耳にする機会に恵まれたのですが、大先輩に当たる方が、このエピソードを通して私に何を伝えようとしていたのか、度々考えていました。

私は、以前から他者に何か言われるのが嫌いで、助言は聞いているようなふりをするのが得意な人間でした。気に障ることがあると、不機嫌な表情を平気で見せていたような気がします。そんな私を気に掛けてくださり、「人の話をじっくり聞きなさいよ。我慢することは大切ですよ」と諭そうとしていたのではないかと思いました。

また、人にはそれぞれの歩みがあることを伝えたかったのかもしれません。子供も大人も同じだと思うのですが、毎日穏やかに過ごす子もいれば、日替わりでいろいろな姿を見せる子もいます。また、常に特別な支援を必要としている子もいます。「人は十人十色。いろいろな子供がいるのが当たり前ということを肝に銘じなさい」と伝えたかったのではとも考えました。

さらに、次のようにも考えました。「一言一句漏らさないように聞いても、本当のことは分からない。頭で理解しようとするだけでなく、声色や表情、目の動き、身ぶり手ぶり、間の置き方など全てを通して聞くことが大切ですよ」と言いたかったのかもしれません。

今は、感染防止対策を施しての学校生活が続いています。しかし、マスクで顔を半分覆い表情が見えないような状況での授業、タブレットの画面を通して見る子供たちの姿、これが通常の生活様式になってしまうとしたら、それはとても悲しいことだと思います。

今となっては、理由を尋ねることはかないませんが、自分を見つめ直したり磨いたりする機会を与えてくれるお話の一つとして、これからも大切にしたいと思います。

(後藤克史・設楽町立名倉小学校長)

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