(こだま)アフターコロナの学び……

「どうして勉強しなければいけないの」。こんな質問を子供から投げ掛けられた親は多いだろう。

映画『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督・脚本、藤沢周平原作)の中に同様の場面がある。井口清兵衛は、夕刻の終業の太鼓の音を聞くと真っすぐ自宅に帰り、家事と内職にいそしんでいた。老母と幼い2人の娘の世話、そして死んだ妻の薬代などでかさんだ借金を返済するためだ。そんな清兵衛に娘が、「どうして学問が必要なの」と尋ねる。清兵衛の答えは、「考える力がつくからだ。その力があれば、困ったときでもなんとかなる」。

昨年、新学習指導要領が小学校で完全実施された矢先の新型コロナウイルス感染拡大。3カ月の休校後、再開されたものの、失われた授業時間を取り戻すことに躍起で、本来授業の中心になっていたであろう「主体的・対話的で深い学び」は頓挫したままだ。

コロナ禍においては「主体的・対話的で深い学び」ほど似つかわしくない学習はない。「三密」(密閉、密集、密接)を避けることを前提とするなら、「アクティブ・ラーニング」として取り組まれてきたグループでの学習活動や話し合い活動をすることさえ難しくなっている。かつてないほどの長期にわたる休校の影響で、「学校とは何か」「学びとは何か」が問われているのだ。

広島県教育長の平川理恵氏は、『FUTURE EDUCATION!学校をイノベーションする14の教育論』(教育新聞編)の中で次のよう述べている。「新型コロナウイルスによって、私たちはこれまでの生活スタイルや世界観を考え直す必要に迫られました。この状況をしのいでいく手だてだけを考えるのではなく、ポストコロナ時代を前提に、生き方や在り方そのものを考えるときが来たのかもしれません」。

先行きが不透明な今、子供たちの問い掛けに清兵衛のように自信をもって答えられるにはしばらく時間が必要なのかもしれないが、そんな今だからこそ前向きに「ピンチをチャンスに!」したいものだ。