私の初任地は、田原市の六連小学校です。「むつれ」と読みます。その当時、一学年一クラス、全校児童は115人の小さな学校でした。始業式で、全校児童の前に立ったとき、その人数の少なさに驚いたことを昨日の出来事のように思い出します。小さな学校に、新任の教員が来るのは珍しかったようで、私はその学校では久しぶりの若手教員だったそうです。
始業式の次の日の朝、日直の子供が、職員室で座っている私の後ろにやってきて、先生が来るまでの間、教室で何をしていればよいのかと尋ねてきました。すぐに答えることができず、困っている私の横にいた昨年までのその子たちの担任の先生が、「読書させておけばいいよ」と優しく教えてくれました。
分からないこと、できないことはたくさんありましたが、目指していた教員となって過ごす毎日はとても楽しく、あっという間に過ぎていきました。
教員になって初めての給料日には、こんな楽しいことばかりなのに、お金をもらって本当によいのかなと感じました。まだまだ、教職の厳しさを知らず、大学生気分が残っていたのだと思います。
授業力が未熟な私でしたが、たった一つ、他の先生方よりできていたことがありました。それは、子供と遊ぶことでした。昼休みには必ず、運動場に出ていき、子供たちと遊びました。熱中しすぎて、授業時間まで遊んでいたこともしばしばありました。
保護者にお願いして、夜の学校に子供たちを集め、星の観察をしたこともありました。観察の合間に、花火や肝試しを楽しんだこともよい思い出です。
忘れられない出来事もありました。理科の学習に使うジャガイモを植えるため、子供たちと一緒に畝(うね)を作った日の授業後のことでした。
「矢野君、ちょっといいか」と私は校長室に呼ばれました。汗をタオルで拭きながら、校長先生は「野菜の育て方」という本をそっと私に手渡されました。
「さっき、畑を見に行ったけれど、畝が曲がっていたね。私が、直しておいたから」
「すっ、すいません。ありがとうございます」
恐縮する私に、さらにこう言われました。
「子供に教えるならちゃんと自分が勉強せんといかんよ」
恥ずかしさと情けなさで、顔が真っ赤になりました。
そのとき先生に言われたこの言葉は、立場が変わった今に至るまで、私の頭から決して離れることはありませんでした。
研究授業を計画するときには、その単元の先行研究事例を探しました。
学習指導要領や指導書の関連の部分を熟読してから指導案を作るようになりました。経験のみに頼った指導であった部活動のバスケットボールについても一から勉強し直しました。本を何冊も買って指導法を研究しました。大会までの日数を数えて、練習メニューを何度も作り直しました。
頑張ったことは、結果として表れるもので、市内大会で二十校の頂点に立つこともできました。それから30年以上たちましたが、その言葉は、今でも私を支えてくれています。
最後に、若き教師の皆さんに私からのメッセージです。
若き教師の皆さん、ぜひ、教師という仕事を楽しんでください。そして、たくさん学んでください。
教師は、自分を成長させることができるとてもすてきな職業です。
(矢野正明・田原市立神戸小学校長)