(こだま)学校感染の是非……

 夏の余韻が今も鮮明に残っている。東京パラリンピック競泳女子100メートル背泳ぎで、日本史上最年少で銀メダルに輝いた山田美幸選手。生まれつき両腕がなく、長さが違う両脚で巧みに水を蹴って前へ進む姿に感動を覚えた人は多い。

 パラリンピックに関わって「学校観戦」の是非が問われたことがあった。「学校連携プログラム」は、関係自治体・被災地の小中高生を対象に、会場で「生」の臨場感を味わってほしいという趣旨で行われたものである。その「是」は教育的意義であり、「非」は新型コロナウイルス感染による子供たちへの感染リスクである。

 振り返れば、当時感染者数が増大し、東京都では「緊急事態宣言」が延長されるという状況にあった。そんな中で、「感染するリスクがある場所へなぜ行かせるのか」「もしクラスターが発生したらどうするのか」などの声が上がり、多くの自治体が取りやめることとなった。

 子供の命を最優先と考えればやむを得ないことだが、教育的な意義について本質的な議論に発展しなかったのは残念だった。パラリンピック観戦には、共生社会を実現するための教育的価値が大きく、「ダイバーシティ&インクルージョン」(個々の違いを受け入れ、認め合い、生かしていくこと)を推進するために大いに役立つものなのだ。

 批判意見の中に気になるものがあった。「実物を見なくてもテレビ観戦で十分」というものだ。新城市で毎年行われる「設楽原決戦場まつり」に参加したことがある。連吾川を挟んで武田軍と織田・徳川連合軍が相まみえ、信長が鉄砲を駆使して、その後の合戦のありようを大きく変えた「長篠設楽原の戦い」が意外に狭い場所で行われていたことに、それまでのイメージが一新された。やはり実際に見、聞き、手に取った実感というものは何物にも勝るものがある。

 情報化社会の進展により、「本物」が分かりにくくなっている。「百聞は一見にしかず、されど百見は一行にしかず」である。

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