(読者の窓)一本の団栗

 我が家に一本のドングリが立っている。15年程前に我が家にやってきた。担任するA君がくれたものだ。A君は心優しい反面級友とのけんかが絶えない存在だった。だからかもしれないが、なぜか愛着が湧き下校はいつも一緒だった。そんなA君が、神社で拾ったドングリを鉢で育てた苗だった。鉛筆の芯ほどの枝に小さな葉が、確か2枚ついていた。

 猫の額ほどの庭に、A君がくれたドングリを植木鉢ごと無造作に置いた。数年、冬に葉を落としては、春に一回り成長し、気が付くと根が植木鉢を突き破っていた。今では私の腿より太い幹が庭に根付いている。その立ち姿は凜としていて、成長したA君の姿が脳裏を巡ると共に、職場に出掛ける私の心を、毎日奮い立たせてくれる。

 凜として庭に立つドングリの姿は、尊敬する恩師の姿をほうふつする。師は新任5年目に転任した中学校の校長先生だ。出来の悪い私が口にするのもおこがましいが、師を超える立派な校長先生に、私は出会ったことがない。

 あるとき、生徒が教えてくれた。

 「校長先生、朝礼や舞台でお話するとき、いつも指先まで伸びている」

 生徒の言う通りであった。師は、生徒が整列する最中も、朝礼後に教室まで移動するときも、決して動かず、指先まで伸ばして正体の姿勢を崩されることはなかった。

 私も、師にあやかろうと指先まで精神を整えて、児童の前に立つよう、日々心掛けている。思えば、一本のドングリが今も私を支えてくれている。

 (寺島真澄・岡崎市立六ツ美西部小学校長)

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