「ペリー幼児教育計画」に学ぶ(上)

1962年に米国・ミシガン州で始まり、50年以上の年月がたった現在もなお追跡調査が続けられている「ペリー幼児教育計画」。幼児期に良質な教育を受けた子供は、受けなかった子供よりも成人期の収入や持ち家率が総じて高い、という調査結果は、幼児教育が人生に及ぼす影響の大きさを示した。

この計画で実践されたのが、「ハイスコープ教育研究財団」(High Scope Educational Research Foundation)が提供する「High Scopeカリキュラム」である。非認知スキルの育成を軸にしたそれは、OECDが認定する世界5大幼児教育カリキュラムの1つでもあるが、日本ではあまり知られていない。長年の研究に基づく「質の高い幼児教育」はわが国でも実践できるのか、その内容と日本での認知向上に向けた動きを追った。


ペリー幼児教育計画が示したもの

ペリー幼児教育計画は、貧困を原因に学業不振に陥る子供たちの救済策を探る中で発案された。

図1:ペリー幼児教育の効果

低収入のアフリカ系米国人家庭の子供と低IQの子供(3~5歳)計123人を2つのグループに無作為に振り分け、一方のグループのみに質の高い教育を施す試みを2年間実施した。その後、継続的に調査した結果、グループによって図1のような違いがみられた(教育を受けた=ペリー群、受けていない=比較群)。

計画を成功に導いた提案者の一人、研究者のデビット・ワイカート氏は「質の高い幼児教育を受けることは、子供の人生の可能性を豊かにする極めて効果的な方法である」と語っている。

ノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・ヘックマンシカゴ大学教授は、教育を受けた子供たちの犯罪率の低さ、成人後の収入が高くなることでの税収増加などから、幼児教育への投資1ドルに対して7~16ドルの見返りがあったと分析している。

こうした結果からOECD(経済協力開発機構)は2004年、科学的根拠に基づく「世界5大幼児教育カリキュラム」の1つとしてHigh Scopeカリキュラムを紹介した。

カリキュラムの特長

High Scopeカリキュラムの構成を示しているのが「学びの輪」(図2)だ。カリキュラムは①大人と子供の対話・関係②学びの環境③毎日のルーティン④評価――の4つの柱と、その中心に据えた「アクティブ・ラーニング」(AL)で成り立っている。High ScopeのALは、一見するとただ遊んでいるだけだが、子供の興味を呼び起こし、子供自らが選択して物事を行うよう、大人(教師)が慎重に促している。

図2:学びの輪(出典:ハイスコープ教育研究財団)

ALを実践するには、①の大人と子供の対話が重要になる。大人は全てをコントロールしたり強制したりするのではなく、子供のよきパートナーとして遊びに参加し、対話を重ねる。また子供の思考や言語表現を広げるために具体的な言葉で励まし、何か問題が起こったときには子供だけの力で解決できるよう、試行錯誤の場を設ける。

③の毎日のルーティンも子供たちにとって大きな意味を持つ。1日のスケジュールには自由に遊ぶ時間のほか、必要なスキルを大人から学ぶ「スモールグループタイム」と「ラージグループタイム」が盛り込まれている。決まった日課を行うことは、子供たちに安心と落ち着きを与え、とりわけ生活時間が不規則になりがちな貧困家庭の子供にとっては、生活習慣の基盤を身に付ける一助にもなるという。

子供だけが対象ではない「評価」の中身

High ScopeはKDI(Key Developmental Indicator)と呼ばれる、これまでの研究成果をベースに策定した独自の発達指標を持つ。教師は、8領域・58項目に上るこの指標を全て子供たちが身に付けられるよう考えながら指導計画を立てる。

8領域とは▽学びに向かう姿勢・力▽社交性、情緒発達▽体の発達と健康▽言葉・文字とコミュニケーション▽算数、数量、図形▽創造性▽科学・工学▽社会――で、認知スキル(学力)に相当するものも含まれているように思えるが、知識を授けるわけではない。

例えば科学・工学に関して、教師たちが教えるのは「観察する」「予測する」といった科学的な考え方やものへの対応方法だ。こうした学びが脳の実行機能を育て、衝動的な行動や感情をコントロールする力を養うという。指標を一つ一つ満たしていくことによって、どの教師も質の高い指導ができるシステムになっている。

そして子供の発達評価もまた、このKDIを用いて行う。先述の8領域に照らして、子供一人一人の発達レベルを評価していく。教師は毎日子供の言動を記録し、1年の最初と中盤、最後にそれをまとめて評価する。

教師にかかる負荷の大きさが気になるところだが、オンラインの評価ツールが日々の記録作業を援助している。このツールはKDIとリンクしていて、例えば「他の子供と関係を築く」という項目であれば「0=他の子供を見る」「3=相手に一言発した」「7=言葉でやりとりする」というように、8領域の項目ごとに0~7のレベルが設定されており、教師が見取った行動をすぐに入力できるようになっている。

入力のない項目は画面上で一覧できるため、教師はこのツールを手掛かりに活動を組み込んだり、意図的に行動を観察したりしながら、8領域全てをもれなく見取る。年3回の評価(スコア化した記録)を並べると、子供一人一人の発達レベルの推移が分かる仕組みであり、この評価は保護者もオンライン上で見ることができる。

また、評価の対象は子供だけでなく、カリキュラムそのものも含まれている。PQA(Program Quality Assessment)というツールを用いて4つの柱の質を評価し、支援体制など不十分な項目があれば改善を図っている。

「話を聞きに来た日本人は初めてです」

今年3月、このHigh Scopeカリキュラムの視察ツアーが実施された。主催した子どもの発達科学研究所は日本でのカリキュラム普及に向け、数年前から同財団とコンタクトを取り合ってきた。同研究所の和久田学主席研究員によると、「きっかけは1通のメール」だったという。

「『質の高い幼児教育』とは何だろうと興味を持っていたところ、ハイスコープの研究グループに日本人の研究者がいらっしゃると分かりました。当時、研究センター長を務めていた若林巴子先生です。メールを送り、見学させてほしいと申し出ると快諾してくれました」

翌年米国まで訪ねていくと、「きちんと話を聞きにきた日本人はあなたが初めてです」と言われた。各国からの視察が相次ぐ中、和久田氏は日本からのアプローチがないことに驚いたが、教師養成、子供の評価、カリキュラムなどシステムが教育の質を担保するこの幼児教育に大きな可能性を感じたという。以降、国際学会への出席などを経て理解を深め、財団と連携してハイスコープ・ジャパンの設立を目指すことになった。

3月の視察ツアーには大学教員や心理士をはじめ幼児教育の従事者など、関心を寄せる約20人が参加した。視察先の幼稚園には発達障害のある子供もいたが、他の子供や教師たちの輪にごく自然に加わり、のびのびと過ごす姿があった。

(クローズアップ取材班)