生徒指導のパラダイムシフトへの挑戦(下)

世界各国の生徒指導を学び、日本の学校教育に適した包括的生徒指導プログラムであるMLAを開発してきた広島大学大学院の栗原慎二教授。インタビュー最終回は、世界の教員研修と比較して見えてきた日本の教員研修制度の課題、日本が目指すべき方向性などについて聞いた。


シンガポールは年間100時間の教員研修
――MLAは教員の力量形成プログラムでもあるとのことですが、世界各国の教員研修と日本との違いについて教えてください。

教員個人と教員集団の高い力量が、優れた実践を生むのは当然のことです。世界では研修を中心に、現職教員の力量形成が積極的に進められています。

例えば、シンガポールでは年間100時間の研修が義務付けられています。韓国では年間60時間、香港では3年間で150時間です。これだけの時間の研修を受けないと、教員免許が失効します。国によって差はありますが、世界的には年間40~60時間が平均です。

しかし、日本で免許状更新のために義務付けられた研修は、10年ごとに30時間、つまり年換算ではたったの3時間です。もちろん、日本の教員はそれ以外にも自主的に研修を受けていますが、それでも年間8~10数時間程度が平均値ではないでしょうか。

もちろん、各国において学校教育の状況が違うので、単純に比較することはできないでしょう。でも、日本では現職教員の研修意欲が高いにもかかわらず、スキルアップの機会が少ないと言わざるを得ません。そのための研修機会を、各教育委員会がもっと提供していくべきだと思います。

「教育委員会が研修機会をもっと提供すべき」と栗原教授
――日本の研修プログラムの課題はどのようなことでしょうか。

世界的に見れば、教員研修プログラムは行政と大学や民間団体などの研究者が共同で作るのが一般的です。

ところが日本の場合、例えば教委と大学が提携しているといっても、多くの場合は教委が研修プログラムを作り、「この回の研修をお願いします」と研修プログラムの一部のみを大学側に依頼するといった形です。質の高い研修プログラムを研究者と共同で作るという発想が、そもそも教委側にないのです。

もう一つの課題は、PDCAでいう「Do(実行)」にばかりエネルギーと時間を費やし、「Plan(計画)」や「Check(評価)」「Action(改善)」が、ほとんどできていないことです。自分たちの実践を外から見なければ相対化はできず、研修をただやるだけになってしまいます。

MLAの取り組みで大きな成果が出ている岡山県総社市や宮城県石巻市、兵庫県加古川市などの場合は、行政が変わってくれました。私たち研究者と理念を共にし、手を組んで、生徒指導の研修プログラムを作り上げていったのです。

ただ、私たちも単独では、全国全ての学校や自治体からの要望に対応できません。そこで、私たちの持つ教育相談、生徒指導、学習指導、カウンセリング、アセスメント、マネジメントなどのノウハウを届けるために、「学校教育開発研究所(AISES)」を設立しました。

この研究所では、対面とeラーニングの二つの方式による教員免許状更新講習や一般研修などを行っています。

教育リソースがない日本でどうするか
栗原教授は「世界と比較しても、日本の教員は非常に優秀で協働性が高い」と語る
――世界各国と日本とでは、教育リソースや体制も違います。

米や英など生徒指導の先進国では、スクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)など、多様な専門家によるチームとしての支援がごく普通に行われています。しかし、日本の学校はそうした役割を専門家チームではなく、教員がほぼ単独で担っています。

近年はSCやSSWの配置が進んではいますが、全ての学校に配置されるのは10年以上先のことと予想されます。状況がすぐに改善されることはないでしょう。

だからこそ、子供たちの「自分でできる力」と「友達同士で支え合う力」を育成していかなければいけません。

日本の強みは二つあって、一つは教員の質の高さです。世界各国と比較しても、ポテンシャルの高さは抜きんでていると思います。一生の仕事として、使命感を持って教員になっている人も多い。もう一つは、教員の協働性の高さです。

逆に弱みは、教育リソースがない。また、包括的生徒指導という概念や哲学がなく、教員研修が少ないことも弱みと言えるでしょう。

これらの強みと弱みを踏まえた上で、どうすればいいのか。リソースがなく、マンパワー的にも教員しかいない。でも、その教員は非常に優秀で、協働性が高い。ならば、その優秀な教員が協働しながらやれる包括的な生徒指導のプログラムを提供すれば、レベルの高いことができるのではないか。日本の学校はまだまだ変われるのではないかと考えています。

私は日本における生徒指導のパラダイムシフトが必要だと思っています。そう思って開発してきたのが、日本版の包括的生徒指導プログラムであるMLAです。

相対貧困率が上昇し、問題行動が増加
――生徒指導のパラダイムシフトが起これば、子供たちの問題行動は減少していくのでしょうか。

私がこれまで関わってきた学校や地域は、どこもその地域で最も困難な状況を抱えていました。しかし、包括的な生徒指導を取り入れたことで、子供も、教員も、学校も、地域も変わっていきました。

ただ、教育だけで全てを変えられるかというと、それは難しい。例えば、岡山県総社市は「だれ行き」に取り組み、大きな成果を出してきましたが、それでも1%弱は不登校の児童生徒がいます。そうした子供たちは、学校以外の医療機関や警察なども加わった広域のネットワークを作ることによって、救えるのではないかと考えています。

日本における生徒指導上の問題(反社会的行動と非社会的行動の合算値)は、OECDの中では最も低い水準にあります。しかし、所得格差(経済格差)が大きくなると問題行動が増大することが分かっており、近年は日本の所得格差が拡大方向にあることから、相対的貧困率が先進国の中でも上位に位置するようになってきました。このデータは、日本における問題行動が今後、増加する可能性が高いことを示唆しています。

また、幼児期をそうした環境で過ごした子供たちが将来、人格的にも社会的にも厳しい状況に置かれることは避けられません。すでにその兆候はあり、それが教育活動の困難となって現れ、教員がつぶれるという現象が起きているのです。

――今後、教員にどのような資質が必要だと考えますか。

私自身が変わったのは、世界を見たからです。世界を見たことで、自分を知りましたし、日本の教育を知ることができました。世界を見ることで、自分や日本の教育にはここが足りない、ここを変えていかなくてはいけないと気付けました。

「世界を見る」という言葉が適切かどうかは分かりませんが、いろいろなものを見ることは必要です。自分の教育実践はもちろん、日本の教育実践をきちんと相対化できないと、「自分がやっていることは正しい」と思い込んでしまいます。

自分が受けてきた教育の枠組みの中だけで教育活動をしていても、成長はありません。多くの実践を見て、頭を柔らかくし、オプションを広げていくことが大切だと思います。

(先を生きる取材班)