病院訪問教育の物語(下) 実践者と漫画家の邂逅

病気などで長期入院を余儀なくされた子供に授業をする「病院訪問教育」をテーマにした漫画『マジスター 見崎先生の病院訪問授業』(小学館)が発売された。原作者の山本純士教諭に聞いた第1回に続き、第2回では作画を担当した漫画家の棚園正一さんに、病院訪問教育への思いが作品になるまでの経緯などを聞いた。自身の不登校経験を基にした作品も出している棚園さんが、病院訪問教育で描きたかったテーマとは――。


大人から「透明の文字」が見える

クラスで学芸会の台本の読み合わせをしていたところ、読んでいるところが分からなくなった。先生に「分かりません」と言うと、頬を強くたたかれた――。

棚園さんの漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』(双葉社)での一場面。棚園さんが小学1年生の頃の実体験を描いたものだ。この出来事を機に棚園さんは学校へ行けなくなり、不登校になった。その経験を基に描いた『学校へ行けない僕と9人の先生』には、不登校だった頃に感じていた気持ち、学校や世間の居心地の悪さなどがリアルに描写されている。

「もともと学校は苦手だったのですが、あの日にたたかれたことで、不登校のスイッチが入ってしまった。実を言うと、この作品の最初のタイトルは『月はチーズの蓋(ふた)のよう』でした。昼間は家から外に出るのが嫌で、夕方になって玄関の前に座っていると、まだ薄暗い空に月がぼんやり見えたんです。それがスーパーで売られている6個入りの丸いチーズのふたみたいで…」と棚園さんは当時を振り返る。

不登校になった後、棚園さんはさまざまな「先生」と出会う。学校の教師だけでなく、家庭教師の大学生やカウンセラー、不登校問題に取り組む学習塾の経営者など、職業も性格も違う多彩な大人たちが、棚園さんに関わっていく。

不登校の子供の心情をリアルに描いた漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』のワンシーン((c)棚園正一/双葉社)

当時は、不登校に対する世間の理解が乏しく、「学校に行くのが当たり前」の時代だった。作品の中にも、親が学校に行かせようとしたり、教師が気遣ってクラスメートに迎えに行かせたりする場面がある。

棚園さんは「学校に行かせようとする大人の考えを、子供は全てお見通し。透明な文字で見えます。子供はそんな大人の気持ちを忖度(そんたく)し、期待通りに演じようとして苦しみます」と指摘する。

絵が好きだった棚園さんが出会った9人目の「先生」こそ、大人気漫画『ドラゴンボール』の作者、鳥山明さんだった。その出会いがきっかけで、棚園さんは鳥山さんに作品を見てもらうようになり、漫画家を目指して外の世界へ足を踏み出すようになった。

「この作品を読んだ人は、登場する『先生』が主人公にとってあまり役に立っていないように映るかもしれません。でも、振り返れば決して無意味ではなかったんです。僕は学校に行かないという負い目もパワーになって、今があります。不登校の子供にとって、前に進もうともがいている時間こそが大切なのです。こうすれば解決するという答えはありません」と棚園さんは語る。

懸命に生きる人の姿を描きたい

『学校へ行けない僕と9人の先生』の発表後、棚園さんは次回作のテーマを模索していた。そんな中「精神的な問題で学校に行けない不登校をテーマに作品を描いたので、次は病気やけがで学校に行けない子供を描きたい」と思い、院内学級などを取材する中で病院訪問教育の存在を知った。

実際に特別支援学校に頼み込み、院内学級や病院訪問教育の現場を取材した棚園さんは、そこで大人びた子供たちの姿を目の当たりにする。

取材のために病院訪問教育の現場にも足を運んだという棚園さん

「ある子供は小児ガンが進行する中で、薬剤師になるための勉強をしていました。入院していた子供はみんな、病気を抱えているのにネガティブさが全くなく、前向きで元気に振る舞っていたんです。でも、その裏にはきっと、想像できないくらいの葛藤がある。葛藤があってこその強さだと思います。取材を通じて感じ取った彼、彼女らの気持ちを、そのまま漫画にできればと思いました」と棚園さんは振り返る。

そんな中、棚園さんが出会ったのが、病院訪問教育に長年取り組んできた山本純士教諭が自身の経験を基に書いた小説『15メートルの通学路』(角川文庫)だった。

「『15メートルの通学路』には、取材で出会った子供たちと同じパワーを感じました。作品制作にあたっては、病院訪問教育を知ってもらいたいということはもちろん、それ以上に、試行錯誤しながら一生懸命に生きている人たちの姿を描きたいと思いました。幸運なことに、山本教諭は同じ愛知県在住。『学校へ行けない僕と9人の先生』で教育関係の知り合いが増えたので、そのつてをたどって会うことができました。そして『15メートルの通学路』を基に漫画を描きたいと頼み込みました」と棚園さんは振り返る。

そして、山本教諭が原作、棚園さんが作画を手掛ける形で、病院訪問教育をテーマにした作品づくりに取り組むことになった。

その時点では作品をどこに発表するかも決まっていなかったが、棚園さんの思いに山本教諭が応える形で作品づくりが始まった。二人の関係性は、気持ちが先行して猪突(ちょとつ)猛進する梅先生と、それを叱咤(しった)激励する見崎先生に似ていた。実際、棚園さんは梅先生の表情やしぐさの一つ一つに、自分自身を投影させていったという。

やがて作品の輪郭が出来上がると、棚園さんはいくつかの出版社に企画を持ち込んだ。編集者の評価はどこも高かったが、「テーマが地味だから、商業的に考えて掲載できるかどうかは分からない」と難色を示されることも多かった。最終的に、企画が通った出版社の中から小学館の雑誌「ビッグコミックスペリオール」に決定し、2018年から不定期で連載がスタートした。取材を始めてから、実に2年の歳月が過ぎていた。

『マジスター』では、教師の言動が子供を追い詰めてしまう場面も描かれている((c)山本純士・棚園正一/小学館)

『マジスター』では、梅先生が事故で片足を切断した小学生の男の子を励まそうとしたのが原因で、その子が自傷行為に及んでしまう事件が起こる。事件後、見崎先生は梅先生に「教師の言葉は時に刃となる」と告げる。

棚園さんはそのシーンを振り返って「大人のちょっとしたしぐさや言葉、行動に子供が敏感に反応し、傷つけることがあります。特に病院ですごしている子供たちは、大人の言動を鮮明に覚えていて、過剰に受け止めてしまいがちです。だからこそ、教師は気を付けないといけない。そういうメッセージが、作品の中にはいろんな場面にちりばめられています」と語る。

「時に刃となる」ほどの影響力を持つ教師の言動。山本教諭と棚園さんがおのおのの経験を織り交ぜながらつくり上げた『マジスター』は、教師や教育の在り方を考える上で多くの示唆を与えてくれる。

(藤井孝良)


『学校へ行けない僕と9人の先生』あらすじ

棚橋正知少年は小学1年生の頃、担任の教師からたたかれたことがきっかけで学校に行けなくなる。その後、さまざまな大人や友人と関わる中で、夢中になった漫画『ドラゴンボール』の作者、鳥山明氏と出会い、漫画家への道を歩み出す。自らの経験を基に不登校の子供の気持ちをリアルに描いた作品。

【プロフィール】

棚園正一(たなぞの・しょういち) 1982年、愛知県生まれ。13歳で鳥山明氏と出会い、漫画家を志す。2005年に「集英社少年ジャンプ第70回手塚賞」、08年に「集英社少年ジャンプ 第68回赤塚賞」を受賞。15年に自身の不登校経験を基にした漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』(双葉社)が注目を集める。『マジスター 見崎先生の病院訪問授業』(小学館)の作画を担当。