教師と起業家精神(上) チョークジャックで授業革命

新規事業や商品の開発などで創造性を発揮し、リスクに対してもひるまずに挑戦する力、アントレプレナーシップ(起業家精神)。東京都立国際高校の佐野寛子教諭は、起業家精神を学ぶ教師向けの研修で、授業を生徒に委ねる「チョークジャック」を提案し、注目を集めている。第1回では「チョークジャック」が生まれたエピソードを基に、教師の意識が変革する瞬間を捉える(全3回)。


生徒が教師を変える
――研修で「チョークジャック」を提案することになったきっかけを教えてください。

昨年の10月、起業家らとのネットワークを基に教育プログラムを提供しているタクトピアが、経産省の「『未来の教室』とEdTech研究会」の実証事業に採択されたことをフェイスブックで知りました。タクトピアの活動には以前から注目しており、起業家精神と教師がマッチングしたらどうなるのかと興味を持ちました。

実証事業に採択された「Hero Makers」は、現職教員にアントレプレナーシップに関わる研修プログラムを提供するものです。研修では、IT企業の経営者、発明家、ゲームデザイナーなど、いわゆる「成功者」が登壇して、どうやって自分の事業を拡大させていったかを話してくれます。最終的には参加者が自ら起業内容を練り、プレゼンします。研修中のやり取りは全て英語です。

「チョークジャック」を提案した佐野寛子教諭

例えば、「教材をアプリにしたい」「外部と連携して校外学習を展開したい」などと教師が思っても、1人では何もできないし、学校組織が越えなければならない壁として立ちはだかることもあります。研修では、個々の教師が一事業主となって自分のやりたいことを提案し、資金調達や外部との連携を通じて課題をクリアしたりしていく力を養いました。

「チョークジャック」は、その過程で意識化されたものです。

――「意識化された」とは、どういうことでしょうか。

そもそも「チョークジャック」は国際高校で自然発生的に生まれたものです。国際高校は海外生活の長かった生徒が多く、生徒が気後れすることなく教師と「交渉」する場面が見られます。

ある日、数学の授業で1人の生徒が、「座学一筋」のベテラン教師に「その問題、私に説明させてください」と発言したんです。その教師がチョークを渡すと、あっという間に生徒同士のディスカッションが始まり、教え合いが起こりました。

その教師は、「アクティブ・ラーニング」という言葉は知っていたものの、興味はないし、自分の授業スタイルを変える必要もないと考えていました。そんな彼が生徒にチョークを渡したことがきっかけとなって初めて「アクティブ・ラーニング」を体感したのです。つまり、生徒が教師を変えたのです。

私はその話を研修の参加者に発表しました。そして、「こうした出来事がうちの学校では普通に起きているけれど、これをシステムとしてやってみたい」と提案したのです。

残念ながら、一緒に研修に参加した教師からは大した反響がありませんでした。「それは国際高校だからできるんだろう」「別に授業ではよくあることではないか」といった感じでした。

ところが、発表を聞いて「これはすごいよ、面白い」と興奮気味に反応してくれたのが、研修の主催者でありタクトピアの共同創業者の白川寧々さんでした。教師はプライドが高く、変わるのは難しいと思っていたけれど、生徒が教師を変える可能性がある――そんな風に、白川さんの中でパラダイムシフトが起きたようです。

私たち教師も、白川さんのような起業家と出会わなければ、学校の当たり前をメタ認知できず、その価値に気付けなかったかもしれません。

生徒の「I want」を引き出す
――「チョークジャック」にはルールや手順があるのでしょうか。

まず誤解しないでほしいのは、「チョークジャック」は生徒が授業を乗っ取るということでもなければ、授業に教師は不要だというメッセージでもありません。

生徒たちは良い授業は受けたいけど、自分から提案することで、教師からの評価が下がるのは嫌です。このジレンマを解消するのが「チョークジャック」です。「チョーク&トーク」をしている教師は、自身の授業法を肯定的に思っているわけで、いきなり生徒から提案を受けたら、やっぱり教師も人間ですから、気分を害するかもしれません。「チョークジャック」は、生徒と教師が互いに気持ち良くネゴシエーションする方法を研修として体系化したものです。

「Yes-Noチャート」

「チョークジャック」で生徒が教師に交渉する際の「Yes-Noチャート」も作成しました。提案は1人ですると個人的なわがままと受け取られてしまいかねないので、同じ問題意識を持つ仲間をつくり、クラスの総意として伝えることがポイントです。また、テスト直前などは嫌がる人もいるので、タイミングを見計らうことも大事です。

教師から授業の主導権を奪うのではなく、より良いものを提案して改善していくのが「チョークジャック」の狙いです。その点では、主権者教育でもあります。国を変えようと思ったときに、受け身にならず主体的に投票や立候補をして、制度や法を変えていこうと行動する。国であっても授業であっても、その空間をつくる当事者の1人だと自覚し、行動する力を養う。これが「チョークジャック」のコンセプトです。

そのためには、生徒が何でも自由に意見を言えるような雰囲気を学校やクラスにつくることが重要です。私は4月の授業開きから「あと何分ほしい?」「どれで実験する?」「確認テストは授業の前半?後半?いつにする?」など、生徒に授業を動かす選択肢を提示して選んでもらいます。すると、次第に生徒が授業で行いたいことを逆に提案するようになります。教師はできる範囲で授業に取り入れていくと、生徒による提案型の授業にシフトしていくのです。

大切なのは、教師が頭ごなしに否定したり、理由がはっきりせず、生徒が納得できない抑制をしたりしないこと。ある種の度量が問われます。生徒の「I want」をどう引き出すかを教師が常に意識し、環境を築くためにも、研修が必要だと思っています。

――「チョークジャック」は今後、どのように発展していくのでしょうか。

タクトピアと共に、この研修を学校以外の機関でも展開できないかと考え、研修制度やそのための資格を整備しようと計画しています。

「チョークジャック」のシステム化に向けて、白川さんはまず、生徒がなぜそう言い始めたのか、エビデンスを取るよう私に伝えました。起業家が周りを動かすには、誰もが納得するような具体的な数字をグラフで示さなければならないからです。そこで私は、生徒にアンケートを採ってみました。ただ、教師が生徒にアンケートをすると本音が探れない可能性もあるので、生徒を介して取ることにしました。

その結果、授業に不満があるという意見が、全体の89.2%にも上ったのです。これは教師の想定を上回っていました。授業について教師に意見を言いたいという生徒も同じくらいいました。「生徒はみんな静かに席に座っているし、寝ている生徒も少ないから、多くても5~6割くらいだろう」というのが、大方の教師の見立てだったのですが、大きく裏切るエビデンスが示されたわけです。

現在、国際高校では「チョークジャック」を生徒が自発的にやるようになっています。関心のある教師には研修をしていて、少しずつ広がっています。

教師の生徒観が変わると語る佐野教諭(佐野教諭提供)

「チョークジャック」が浸透してきた結果、教師の生徒を見る目が少しずつ変わってきています。座学の授業では、教師は生徒のバラつく理解度をリアルタイムにつかみきれません。そして自身の授業について生徒がどう思っているか、「しっかり向き合っている」と自信を持って言える教師はそう多くないと思います。

「生徒たちは分かっているだろう」という前提で、どんどん進んで行く中で、突然生徒から「ストップ」と言われることで初めて齟齬(そご)が生じていたことに気付きます。それは、教師にとってもありがたいことで、すぐに進度調節でき、生徒と良い関係が築けるはずです。そうして教師の生徒観が変わり、授業改善につながっていくのです。

(藤井孝良)


【プロフィール】

佐野寛子(さの・ひろこ) 1981年、東京都生まれ。獣医師免許を持つ「生物」の教師として、非常勤講師を経て、2015年より東京都立国際高校に赴任。理科の「生物」「環境科学」を担当。NHK高校講座「生物基礎」講師。モットーは山本五十六の「助け合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」。趣味はドキュメンタリー映画の鑑賞。