【上田信行教授】学びをデザインする「教育建築家」の挑戦(上)


「プレイフル・ラーニング」(夢中になってワクワクする学び)の提唱者であり、学習環境デザインとラーニングアートの先進的な研究を行ってきた同志社女子大学の上田信行教授。かつて留学した米国では数々の学習研究者と出会い、自身の学習観や教育観を揺さぶられ続けてきたという。上田教授を突き動かしてきたものとは何か、その原点に迫った。全3回。


セサミストリートとの出会い
――プレイフル・ラーニングを研究・実践され続けています。その原点は47年前、米国のテレビ番組『セサミストリート』との出会いだったそうですね。

セサミストリートのレギュラー放送が日本で始まったのは1972年、僕が大学4年生の時でした。当時、僕は法学部政治学科の学生で、教育とは全く違う道を歩んでいました。

セサミストリートは、視聴覚教育や教育工学の研究成果を反映した幼児教育番組です。今では当たり前に放送されているTV教育番組ですが、当時はとても画期的でした。

それまで学校的な学びしか知らなかった僕は、キャラクターが楽しそうに歌っていて、コマーシャルのようにテンポも速くてかっこいいその番組を見て、「教育や学びは楽しくてもいいんだ」と衝撃を受けました。そして、教育学のこともまだ何も分かっていない状態でしたが、「これを学びたい」という思いだけで渡米したのです。

「プレイフル・ラーニング」の提唱者である上田信行教授

当初は視聴覚教育を学ぶためにミシガン州の大学に留学していましたが、休暇で訪れたニューヨークで、セサミストリートの制作スタジオ「チルドレンズ・テレビジョン・ワークショップ(CTW)」を見学させてもらえることになりました。そこでは低所得者層の子供の学力を向上させるというミッションを持ち、プロデューサーやリサーチャーなどのプロフェッショナル集団が「まだ誰も見たことのない番組をつくるんだ!」と楽しそうに番組を作っていました。その姿を見て、なんて素晴らしいんだと感銘を受けました。

CTWのスタッフからハーバード大学教育大学院でセサミストリートの研究をしていることを聞き、どうしてもそこで勉強したかった僕は、CTWのアドバイザリーボードの委員長をしていたジェラルド・レッサー教授に面談をお願いしました。

「先生、ここでセサミの勉強をして、その哲学と情熱を日本の教育者やテレビ関係者に伝えたいんです!」と訴え、翌年、ラッキーにもミシガン州の大学を卒業後、ハーバード大学に入学。ついに、憧れのレッサー教授の下でセサミストリートを学ぶことになったのです。

僕の全てはここから始まり、今があります。自分に何ができるかなんて分からないけれど、「何か新しいものをつくっていきたい」「日本の教育を変えたい」というそのパッションだけで走り続けていた時代でした。

「教える」から「学ぶ」への変化
――ハーバード大学では、どのようなことを学んだのですか。
同志社女子大学の「学習環境デザイン」の授業ではムービー作りが行われていた

セサミストリートの番組づくりの核となる「フォーマティブ・リサーチ」について学びました。セサミストリートは、マガジンフォーマットと呼ばれる短い番組のシーンをつなぎ合わせて1時間を構成しています。作られたパイロットセグメントを子供たちに見せて、何に注視し、画面のどの部分を見ているのかなどを調査して、番組にフィードバックし、作り直すのです。この番組をフォームするためのリサーチが番組成功のキーになっています。

その後、1974年に帰国し、大学に勤めながら研究を続け、メディア教育や学習環境デザインに関わるようになりました。フォーマティブ・リサーチの手法を用いて、NHK教育テレビの『おかあさんといっしょ』のコーナー制作にも携わりました。

しかし、もう一度テレビの勉強を基礎からやりたいと思い、1981年に再びハーバード大学の博士課程に入ります。そこで僕はまた大きな衝撃を受けることになるのです。

――具体的に、どんな衝撃を受けたのでしょうか。

テレビの勉強を基礎からやろうと思って米国に渡ったのに、驚いたことに米国ではすでにテレビよりも、コンピューターの時代に入っていたんです。

マサチューセッツ工科大学(MIT)では、シーモア・パパート教授が子供のためのプログラミング言語「LOGO」を開発し、教育にコンピューターを使う研究が始まっていました。パパート教授によると、これからはコンピューターが教育を変えるというのです。

これまでは先生が子供に教えてきたのですが、今度は子供がコンピューターに教える(プログラムする)時代になると言われました。

つまり1980年代、米国のメディア教育の潮流が「テレビ」から「コンピューター」にシフトしただけでなく、同時に「教える教育」から「子供が自ら学ぶ教育」へと変化が起こっていたわけです。その変化によって、先生は一方的に教えるよりも学びをサポートしていく、学びの場をつくるデザイナーとして活躍する時代になるだろう、と。

この学びの革命の中にいた僕は、その時、学習環境(learning environment)デザインを研究しようと新たに決意したのです。

パパート教授が構築した学習環境は「マイクロワールド」と呼ばれる世界で、子供たちがコンピューターの中に存在するタートルと呼ばれるオブジェクトとの対話を通して、数学的知識や学びそのものをつくりあげていくものでした。

私はそれをもう少し広げて、コンピューターの中だけでなく、教室やラボのような物理的な環境も含めて、学習環境をデザインする理論と方法を、実践を通してつくっていこうと考えていました。

ゼミ生のファシリテートで行われている「学習環境デザイン」の授業
成長的な能力観か、固定的な能力観か
――米国ではすでに1980年代から、大きな学びの変革が起きていたのですね。

もう一つ、同じくらい大きな出会いがありました。それがマインドセットの研究をしていたハーバード大学(現在はスタンフォード大学)のキャロル・ドゥエック教授です。

彼女の理論は、「動機付け」「やる気」というものは、その人の性格や気分の問題ではなく、個人の考え方、ものの捉え方、世界の認識の仕方の問題であるというものです。

例えば、「賢さ」に対するイメージは二つ考えられます。一つは「勉強すれば、努力すれば伸びていくものだ」という成長的な考え方。もう一つは「その人が賢いのは生まれつきのものだ」という固定的な考え方。「頑張ればどんどん変わっていける」と成長的な能力観を持っている子と、「自分は頑張ってもムリだ」と固定的な能力観を持っている子がいるわけです。

学びに対してどんなイメージを持っているか、自分の可能性をどう捉えているかによって、「学びの姿勢(マインドセット)」は変わってきます。成長的なマインドセットを持つ方がずっと学習機会が増えるのです。

このキャロル・ドゥエック教授の理論と、シーモア・パパート教授の大きな学びの転換が、僕の中で重なり合いました。

パパート教授の「LOGO」のプログラミング環境では、子供たちは「プログラムとは最初からうまく動かない」という経験をします。つくりながら考え、考えながらつくっていきます。それを何度も何度も繰り返していくのです。それが、ドゥエック教授の新しいことに挑戦し、まだまだやれるという成長的マインドセットを喚起するような学びの場と合致したのです。

約40年前の米国でこうした学びの大変革を目の当たりにし、「学びそのものが楽しく、没頭して夢中になれて、子供が自分の興味があることを耕していけるような学びの環境を日本でも作ろう」と決意したのです。

(先を生きる取材班)


【プロフィール】
上田信行(うえだ・のぶゆき) 1950年、奈良県生まれ。同志社女子大学現代社会学部現代こども学科特任教授。専門は教育工学。ネオミュージアム館長、一般社団法人follow your MUSE未来構想理事。同志社大学卒業後、セントラルミシガン大学大学院でM.A.、ハーバード大学教育大学院でEd.M.、Ed.D.を取得。ハーバード大学教育大学院客員研究員、MITメディアラボ客員教授などを務め、現職。著書に『プレイフルシンキング:仕事を楽しくする思考法』(宣伝会議)、共著に『プレイフル・ラーニング:ワークショップの源流と学びの未来』(三省堂)、『教育の方法と技術』(ミネルヴァ書房)、翻訳に『発明絵本 インベンション!』(アノニマ・スタジオ)など。