子供たちの手が次々と挙がり、「主体的な学びの場がつくれる」と、教育界から注目を集めている「対話型鑑賞」。愛媛県美術館学芸員の鈴木有紀さんは、その手法を美術以外の教科にも活用・普及していく「えひめ『対話型授業』プロジェクト」をチームメンバーとともに進めてきた。インタビューの第2回では、鈴木さんと「対話型鑑賞」の出合い、学校現場への導入を進めていった経緯などを聞いた。
「対話型鑑賞」との出合い
――鈴木さんが「対話型鑑賞」に出合った経緯を教えてください。
愛媛県で学芸員になってから、最初は県内の自然・科学系博物館に配属されました。当時、「もっと来館者や学び手が主体の展示をやりたい」と考えていたところ、「ハンズ・オン」という展示方法に出合ったのです。これは実際に展示物に手で触れたり、操作したりするなどの体験を通じて、より博物館資料への理解を深めていくという手法で、ワークショップなどでも積極的に取り入れていきました。
この「ハンズ・オン」に出合った頃から、自分は学芸員として「教育普及」に力を入れていきたいと思うようになりました。大学でも児童教育を学びましたし、両親・親戚ともに教員が多い家庭環境だったということもあり、もともと教育への関心が高かったのだと思います。
その後に歴史系博物館への異動を挟んで、2001年から現在の愛媛県美術館に配属となりました。しかし、絵には触れられません。当時、「これまでやってきたことが通用しない。どうしよう」と落ち込んだことを覚えています。

それに、美術館に対して何となく敷居の高さも感じていました。同時に「学芸員の私がそう思うのに、来館者はもっとそう思うのではないか」とも思い、そうした「壁」を取り払うにはどうすればよいかを日々考えて続けていました。
そんな時、NHKの番組で元ニューヨーク近代美術館・教育部のスタッフだったアメリア・アレナス氏が、ニューヨークの高校生にレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』を使って「対話型鑑賞」の授業をやっている様子が放送されました。
「誰がユダなんだろう?」という問いから始まるのですが、高校生が「対話型鑑賞」をしているうちに、あの絵の中のイエス・キリスト以外のだれもがユダにみえてくるという面白い現象が起こっていたんです。たまたま視聴した私は、その番組を「へぇ~、おもしろいなぁ」と感心しながらみていましたが、これが「対話型鑑賞」との出合いでした。
子供の考えを拾い上げられなかった
――鈴木さん自身が実践するようになったきっかけについて、教えてください。
その後、当館で「鑑真和上展」という展示があり、鑑真和上座像をみながら小学生と対話するようなワークショップを実施しました。この時点では、テレビではみていたものの「対話型鑑賞」について詳しく知らなかったので、それを意識したものではありませんでした。
ワークショップから1~2週間後、小学生たちに鑑真和上座像に関する知識が定着しているかどうかを目的とした追跡調査を行いました。
その結果、知識の定着はできていました。それとは別に驚いたのが、子供たちが書いた感想です。「左側からみたら悲しそうにみえた」や「右側が厳しそうな表情」など、自分の目で鑑真和上像をみた感想を、自分の言葉で書いている子がものすごく多かったのです。
実際のワークショップでは「この像をみてどう思うか」というようなことをやっていたのに、現場で私はこの子供たちの素晴らしい考えや意見をまったく拾い上げていなかったわけです。私はがくぜんとし、「知識の定着だけを目的にしていたとは、なんてもったいないことをしてしまったんだろう」と思いました。
この出来事とNHKの番組でみた内容が、私の中で重なりました。そして、タイミングよくアメリア・アレナス氏が来日してセミナーを開催するという話を聞きつけ、千葉県のDIC川村記念美術館で行われた3日間の「対話型鑑賞」セミナーに参加したのです。
そのセミナーでの経験は素晴らしいものでした。私自身が学ぶ意欲を取り戻したとともに、「美術の知識は興味を持てば後からついて来る。鑑賞者と一緒にこれをやっていこう!」と、当館で「対話型鑑賞」を実践していこうと動き出しました。
――どのように、この活動を広めていったのでしょうか。
「対話型鑑賞」を美術館で取り組んでいくうちに、県庁から「美術館でボランティアを活用していきましょう」という話をいただきました。そして、いわゆる美術史の解説など、研究最前線の話は学芸員がするので、作品鑑賞が初めてに近く、「どういう風に作品をみていいのかわからない」といった方々を主な対象にして、「みる」ことは面白いことだと思っていただくために、「対話型鑑賞」のナビゲーターができるガイド・ボランティアを育てていこうということになったのです。

2003年から2年に1回の割合でガイド・ボランティアを募集し、研修・トレーニングを重ねています。今は8期生のトレーニングをしているところです。
こうしてガイド・ボランティアの方にもナビゲーターをしてもらうことで、より多くの来館者により丁寧に「対話型鑑賞」を行えるようになっていきました。
また、その間にも、日本での「対話型鑑賞」の第一人者である、京都造形芸術大学の福のり子教授を当館にお招きして、講演会とワークショップを行ったり、私たち学芸員が同大に行って学ばせてもらったりしながら、「対話型鑑賞」への理解を深めていきました。
子供の自ら学ぶ力、学ぶ意欲が高まる
――学校への「対話型鑑賞」の導入は、どのように進めていったのでしょうか。
課外授業の一環として当館にやって来る小学生や中学生に対して「対話型鑑賞」を実施していたのですが、そうした実践は1回きりで終わってしまいます。子供たちや先生に「楽しい」という感覚は分かってもらえるものの、この手法が定着したり普及したりという広がりは期待できない状況でした。
ちょうどそのころ、伊予市立郡中小学校の先生が、当館のガイド・ボランティアとしてトレーニングを受けていました。その先生が「対話型鑑賞」を学ぶうちに、「うちの学校でもやってみたい」と言ってくださり、2013年にその先生が担任をする1年生のクラスで、10回連続の「対話型鑑賞」の授業を実践させてもらえることになったのです。
授業はその先生が行い、私は後ろからみているという形で10回行いました。この段階では、まだ愛媛県でプロジェクト化するなんて思ってもいなかったのですが、ある男の子の変化が私を突き動かしてくれました。
先生によると、その子は1学期の終わり頃から学ぶ意欲が落ちてきていたそうです。「対話型鑑賞」の授業でも、当初は全く手を挙げませんでしたが、5回目以降の授業から、徐々に手が挙がり始めたんです。それは他の教科の授業でも同様だったそうです。発言内容も自分の思いを自分の言葉で伝えようと変わってきて、彼の学ぶ意欲がどんどん高まってきている様子を目の当たりにしました。

この出来事から、子供たちにこうした学びを少しずつでも続けていけば、子供たちの自ら学ぶ力や学ぶ意欲のようなセルフ・エデュケーション力が身に付くのではないか。そうすれば、子供たちがそれぞれどんな人生を歩もうと、たくましく生き抜いていけるのではないかと思ったんです。
福のり子教授からも「対話型鑑賞」を続けることによって、子供たちには「考え続ける力」が付くようになると学びました。「わからないから、もういいや」ではなく、「わからない。だから知りたい」という力です。何事にも「これはなんだろう」という問いが立ち、学ぼうとする意欲が付きます。
そうした出来事があったことで、美術館が持っている「対話型鑑賞」のスキルを学校の先生方に渡そうと考え、「えひめ『対話型授業』プロジェクト」を立ち上げました。
視覚教材は絵や作品に限らず、写真などでもいいので、どの教科でも実施できます。そこで、「対話型鑑賞」のナビゲーターのスキルと考え方を先生方にお伝えしながら、最初は美術作品で、その後は他教科での研究授業もやってもらい、どんどん事例を作っていくことにしました。そうした形で4年間のプロジェクトを進めていったのです。