世界の教室から 北欧の教育最前線(31)「選ぶこと」と民主主義

スウェーデンから帰国して日本の保育園に通い始めた息子が、ある日、「今日はみんなで登り棒をした。何をして遊ぶか選べなかった」と驚きをもって話してくれた。そして「日本の保育園では何も選べない。おやつもだよ」と言う。面白い!と思った。ここには、日本とスウェーデンの教育がもつ価値観の違いがよく表れている。

日本では、「良いものを全ての子供に」という考えが強く、良い経験や良い食事をみんなに平等に与えることが重視されている。一方で、スウェーデンの教育は別の論理で組み立てられている。教育の第一目標は、民主主義を民主的な方法で学び、社会に参加させるということなのだ。その素地(そじ)を作る1つ、「選ばせる」教育について報告する。


1歳児にも選ばせる

ウプサラ市にあるプリスクール(スウェーデンでは幼保は一体化されている)では、午前中のおやつは毎日果物だ。先生がバケツいっぱいにりんご、バナナ、洋梨、オレンジなど、さまざまな果物を入れてきて、子供たちの前に座る。そして、果物ナイフで手際よく果物を切り、子供たちに一切れずつ渡していく。

このとき、必ず一人一人の子供に「何がほしい?」と聞く。まだ言葉が話せない子供には、2つ以上の果物を見せて、「どちらにする?」と聞き、指させる。

サンドイッチの具材を選べるプリスクールの間食

小さい子供たちを前にして、果物をその場で切って配るだけでも手間なのに、もうひと手間かけるのだ。そのくらい、「選ばせる」ことはプリスクールの先生方の言動に浸透していると言える。

プリスクールにいる間、子供たちはほとんど全ての場面で「選ぶ」「自分で決める」ということをしている。園庭で遊ぶときは、どの遊具を使って誰と遊んでもいい。ランチの時間にはビュッフェや大皿から自分が食べたいものをとり、牛乳か水かを選ぶ。近くの公園や図書館に行くときに、先生が子供一人一人に「今日は行きたい?」と聞き、園にとどまる選択肢も与えられる。

先生たちは、子供たちができる範囲で、可能な限り自分で選ばせようとしている。スウェーデンに来て間もない移民の子供にも選ばせるし、特別支援を必要とする子供にも選ばせる。

子供の参加と影響力を重視

小さいころから「自分で選ばせる」ことを重視するのは、スウェーデンに根付く文化と言える。これはカリキュラムにも明記されている。すなわち、自分で選び、自分と自分の周囲に影響を与えることが、民主主義の要素とされているのだ。

特別支援学校では絵カードを使って何を先に食べるか選ばせる

プリスクールのカリキュラムでは、プリスクールは「民主主義に基づく」と明記されており、そこでの教育は民主的な形で行われ、社会に参加するための基礎をつくると書かれている。基礎学校や特別支援学校のカリキュラムでは、「責任ある自由」をもって社会に参加できるようにすることが、学校の任務だと表現されている。

そして、「選ばせる」ということは、「子供の参加と影響力」に関連づけられる。すなわち、「自分の状況に影響を与えるために考えや意見を表明する」ことへの関心や能力を発達させることが、目標の1つに挙げられているのである。

民主主義への小さい積み重ね

確かに、自分が食べたいものを選ぶ、自分がやりたいことを選ぶのは、「自分の状況に影響を与えるために考えを表明する」実践だ。そして、自分の選択には責任が伴うことも子供自身が感じることになるだろう。

こうした実践は、「自己責任論」に陥る危険性ともろ刃の剣でもある。「好きなものしか食べない子供はそのまま偏食になってしまうのか?」「公園や図書館に一度も行かない子供がいても良しとするのか?」

あんばいが難しいが、スウェーデンの教員の専門性は、こうした場面でのやりとりや見守り、活動の作り方などにおいて発揮されると言えるかもしれない。

「選ばせること」を重視することで、失うこともあるかもしれない。息子は、日本の保育園に通って好き嫌いなく食べられるようになったし、竹馬やなわとびができるようになった。どちらが良い悪いというわけではなく、重視する価値観が違うとも言える。

しかし、物心ついたころから「選ぶ」という行為と経験を積み重ねてきた場合と、そうでない場合とでは、大人になったときに自分や社会に対する見方が全く異なってくるのは確実だ。

「選ばせる」教育は、スウェーデンが教育を通してどのような社会を実現したいか、そのビジョンをうかがわせる事例ではないか。

(中田麗子=なかた・れいこ 東京大学大学院教育学研究科特任研究員。専門は比較教育学)

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