【先生の先生】教師人生を支える「教育観」を磨く

漫才師のスキルを学ぶ「笑育」や新聞記者のスキルを学ぶ「新聞教育プログラム(記者トレ)」など、独自の教員養成プログラムが話題を呼んでいる東京理科大学の井藤元准教授。インタビューの第2回では、学校現場で活躍する3人の元教え子に集まってもらい、井藤准教授の実践の成果に迫るとともに、真のプロフェッショナルを輩出するために大学の教職課程が目指すべき方向性を探る。


無意識に「笑育」を実践している
――実際に「笑育」「記者トレ」などを受講し、役立ったと感じていますか。

竹内 私は大学時代、授業や「笑育」で井藤先生には大変お世話になりました。昨年から公立高校の教員として勤務しており、2年目を迎えます。

「笑育」について振り返ると、生徒との関係づくりに生かせています。授業中に生徒を引きつける手法であったり、生徒が教師をどう見ているかの客観的な視点であったり、「笑育」のおかげで意識できるようになったと感じます。

副担任としてホームルームを担当することがあるのですが、「今日はどんなことを話そう」「どういう接し方をしよう」などと、通勤電車の中で考えるのが日課になっています。

その際はクラスの生徒たちの顔を思い浮かべながら、どんな対応をするかを考えていますが、一人一人に合わせた接し方を考える工程が、「笑育」で取り組んだネタづくりのプロセスに似ています。

横田 私は現在、大学院生で、非常勤講師として私立の中高一貫校で数学を教えています。正直、学校現場で「笑育」の学びを生かしている意識はなかったのですが、こうやって振り返ってみると無意識に取り入れている部分があって、自分でもびっくりしています。

授業の内容を振り返る井藤准教授と教え子ら

漫才では序盤で伏線を張って、終盤で回収するといった手法が使われることがあります。そうすることで聴衆の興味を引けたり、印象に残せたりするんです。この手法を授業づくりでも多用しています。

例えば数学の授業で難しい問題に取り組むとき、まず黒板の端の方にその問題を書いて、「これ難しいよね」と生徒と共有しておきます。それから、「ウオーミングアップがてら」と言いながら、その難問を解く上でヒントとなる基本的な公式や簡単な問題を解いていきます。

そうして生徒たちの理解を深めた後、「あとはこの難問を解けばいいだけなんだよな」と言いながら、ちらりと基本公式に視線を送るのです。そうすると生徒たちは「この公式を応用すれば解けるんじゃない?」と考え、夢中になって問題と向き合います。

こうした授業をごく自然にやっていましたが、「笑育」で身に付いた発想が生かせているのだと思います。

松本 私は「笑育」の他に、落語家の月亭方正さんを講師として迎えた「落語教育プログラム」、「記者トレ」など、井藤先生の全プログラムを受講しました。

「記者トレ」では、記事の見出しのつけ方を学んだ際、どんな言葉を選べば読者に情報が届きやすいのか、興味・関心を引きやすいかなどを深く考えました。受講しながら、生徒の興味・関心のポイントを客観的に見抜くための訓練だなと感じました。

「落語教育プログラム」では、話し方や声のトーンでこんなにも伝わり方が違うんだと身をもって体感しました。いつか自分が教師として教壇に立ったとき、すごく役立つ体験だろうなと思ったものです。

学生に「本物を浴びる」経験を
――皆さん、しっかりと井藤先生の狙いを受け取っているようですね。

井藤 そうですね。こうした話を聞くと、私の想像以上に吸収してくれていて感動します。

どのプログラムも、2つのポイントを念頭に置いています。

1点目は、学生自身が、講師である本物の漫才師や記者を「師匠」に見立て、弟子入りするつもりで受講すること。集中的に、深く関わることで、学生たちは「師匠の視点・ものの見方」をインストールしていきます。

学生に「本物を浴びる」経験をさせたいと話す井藤准教授

プログラムでは、師匠の声や空気、息遣いなど「本物を浴びる」経験を重視しています。全員参加型の「弟子入り」を目指しているので、受講人数は20人程度に絞っています。学生一人一人が能動的に「師匠」の教えを受け取れるような環境を整え、より充実したものになるよう意識しています。

2点目は、プログラムを通して学生の「直観」を磨くこと。私の意図する「直観」とは、「生きたものを生きたまま捉える」といった意味合いです。

私たちは「Aさんはこんな人」などと他人や物事にレッテルを貼り、自分の凝り固まった固定概念だけで判断してしまいがちです。

その点、講師を務める表現者の方々は、日々「直観」を働かせています。例えば漫才師の場合、同じネタでもお客さんが違えば、間の取り方や言葉遣いなどを変えます。そのため常にアンテナを張り、相手の感覚と自分の表現との間のチューニングを怠らないのです。

教師も「直観」を磨き続けることが大切です。同じ内容の授業でも生徒の反応を見ながら伝え方を変え、一人一人の生徒の変化に気付きながら、臨機応変に対応していかなければなりません。

教師も未完成である
――プログラムを含め、井藤先生の授業を受けたことで、自身が描く教師像に変化はありましたか。

横田 井藤先生の授業は、教師も未完成であるという前提に立って進んでいくのが印象的でした。他の教職課程の授業は「教師はこうあるべき」といった絶対的な理想論があり、聖人というイメージを持って受講せざるを得ませんでした。

井藤先生は「ドラマやアニメに出てくるような、誰からも好かれる人気者で、授業も部活も何でもこなせる教師になるのはほとんど不可能に近い」と常々言っていました。そして、教師が完璧ではないことありきで、「では、君たちはどんな教師になるのか」と常に問い続けていました。

教え子は「井藤先生の授業が学校現場で生きている」と語る

技術的なテクニックは、何歳からでも身に付けられるかもしれません。一方で「なりたい教師像」を確立するための「本物を浴びる」体験は学生時代にしかできないと感じます。その点、私たちは井藤先生にさまざまな分野の価値観を見せてもらい、教師像の基盤となる経験を吸収させていただきました。

竹内 私もそう思います。井藤先生は、学生それぞれが理想の教師像を探すためのヒントを、毎授業で提示してくれました。

一番記憶に残っているのは、教師による体罰の問題がマスコミに取り上げられたときに、当事者の教師の気持ちを考えてみるテーマの授業で、「教育の暴力性」といった切り口の話でした。「生徒のため」という自分の価値観を押し付けること自体が、既に暴力性を孕(はら)んでいるのではないかといった展開で、学生たちが意見を述べ合いました。

成功事例や正論だけではなく、失敗事例も題材にしながら考えを深めさせてもらったのは貴重な体験です。

松本 私がこれまで受けてきた授業は教員が説明して、学生が問題を解いて、それをまた教員が解説するといった一方通行のものが多かったように思います。

それに比べ井藤先生は教え方自体が独特で、「こんなスタイルの授業があるのか」と新鮮で、面白かったです。毎回、正解の無い質問がバシバシ飛んでくるんです。先生が私たちの解答を否定することはなく、何を言っても間違いとは言われなかった。だから安心して自分なりの答えを考え、発表できたように思います。

教育観を磨き続けるセンスを
――教え子の話を聞いて、どう感じられましたか。

井藤 みんなよく覚えてくれていてうれしいですね。

私が授業で再三言っているのは教育に関する価値観を磨くこと、つまり教育観を磨いてほしいということです。

大学生のうちに積める実践経験には限界があります。学生ができることといえば、自分の中の引き出しを増やし、教育観を磨き続けるセンスを養うことだと私は考えています。教育観は教師人生を通じて絶えず磨き続けなければいけないものですし、時代とともに更新していく必要もあります。

授業での私の問い掛けをきっかけに、「自分の教育観は偏っていないか」、「凝り固まっていないか」と自問自答する癖をつけてほしい。そして、自身の実践を絶えず高め続けられるセンスを養ってほしいと考えています。

(板井海奈)


【プロフィール】
井藤元(いとう・げん) 1980年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は教育哲学。現在、東京理科大学教育支援機構教職教育センター准教授。松竹芸能「笑育」、毎日新聞社「記者トレ」を監修するほか、落語やミュージカルと教育を掛け合わせた新しい教育プログラムを開発中。沖縄シュタイナー教育実践研究会顧問。著書に『シュタイナー「自由」への遍歴―ゲーテ・シラー・ニーチェとの邂逅』(京都大学学術出版会)、『笑育-「笑い」で育む21世紀型能力』(監修、毎日新聞出版)、『ワークで学ぶ教育学』『ワークで学ぶ道徳教育』『ワークで学ぶ教職概論』(編著、ナカニシヤ出版)などがある。
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