「自由度の高い学校」 みんなゼロから出発できる

今から14年前、不登校経験者や高校中退者を救済するセーフティーネットとなるべく立ち上げられた宮城県東松島高校。県内初の三部制単位制高校で、制服、チャイムがなく、学年もない。開校してまもなく、中学校で100日以上欠席した生徒の約6割が通えるようになるという実績をあげた(編集部注・1年次で必要な単位を取得した割合)。立ち上げに深くかかわった初代校長・庄司賢三氏(現・名取市増田公民館長)に、その狙いを聞いた(全3回)。


どう方針を決めたか
――東松島高校は2005年に、矢本高校の校舎を使って開校したそうですね(最初の2年間は矢本高校と併存)。開校時から制服やチャイムがなく、情操教育に力を入れてきたと聞きます。こういった方針は、どのようにして決まったのでしょうか。

宮城県教育委員会の長期計画のなかで、この高校に課せられた課題は、徹底した単位制の学校を作って、高校中退者や不登校経験者をすくい上げて社会に送り出す、ということでした。

当時、高校中退者は全国で年間約1万7000人いて、宮城県でも毎年500人以上出ていました。県内だと、高校1校分くらいの人数です。そんなにも多くの若者たちが途中で挫折してしまうのを、何とかセーフティーネットとしてすくい上げたい、という狙いがありました。

中学のとき不登校だった子供たちも受け入れて再スタートさせよう、ということも大事な趣旨の一つでした。そういう子は県立高校の入試を受ける際、欠席が多いため、内申書の点数がやたらと低くなってしまいます。だからそういう尺度で選別するのではなく、来た生徒をなるべく受け入れ、みんなゼロから出発できる学校にしようと考えました。

「ひとりでも多く、しっかり若者を育てたいと考えた」と語る庄司賢三氏

少子化と言われているのに、その少ない子供たちがちゃんと育たないというのはおかしいでしょう。だからひとりでも多く、しっかり若者を育てたいと考え、それで自由度の高い学校を作ろうと考えたわけです。

「自ら主体的に学ぶと共に豊かな人間性を育み、自立した人間として自信と誇りを持って進んで社会に貢献する人材を育成する」、これが東松島高校の教育目標です。

――その狙いは達成されましたか。

最初の頃、とても成功しました。中学校で100日以上欠席した生徒のうち、東松島高校に来て1年で必要な単位を修得した割合は、一期生が59.3%、二期生が72.4%、三期生が63.6%です。

一期生のなかには、中学校のとき3日間しか学校に行かなかった生徒が、ここで頑張って国立大学に入り、現在社会で活躍している例もあります。

「ガイダンス部」を設置
――自由度が高い学校をつくることで、不登校や中退した子供たちが通いやすくなる、という狙い通りになったのですね。まず三部制・単位制というところが最大の特徴でしょうか。

そうですね、Ⅰ部・Ⅱ部・Ⅲ部とあって、それぞれ定員は40人でした。制度上は定時制課程です。この辺り(宮城県)だと定時制の倍率は大体0.4~0.5倍ですが、東松島はⅠ部が1.4倍、Ⅱ部が1.2倍、Ⅲ部が0.68倍でした(2008年度)。それでも、Ⅰ部の子の一部はⅡ部に、Ⅱ部の子はちょっとⅢ部にまわってもらったりしただけで、大体みんなちょうどよく収まりました。

必修科目はⅠ部が午前、Ⅱ部が午後、Ⅲ部が夜間という設定で、選択科目はどの部で受講してもいいようにしました。3、または4年間在籍して、必修教科を含め74単位以上取れば、卒業が認められます。

一人一人異なる時間割を作成するので、ガイダンスは特に丁寧に、力を入れました。生徒はそれぞれ、自分の将来の夢や進路希望、生活スタイル、興味関心に応じて、自分だけの「学習計画書」(時間割表)を作ります。何年間で卒業するかを決め、卒業までの学習科目を考え、時間割をつくり、年度ごとに受講登録をする。そのために、校務分掌で「ガイダンス部」を設置して対応しました。

職員会議はなし
――時間割が異なれば、通学の時間帯も生徒によってバラバラですね。生徒の出欠や登下校を、学校はどうやって把握したのでしょうか。

「入退場システム」というものを導入しました。生徒は登下校の際に、カード式の身分証明を、昇降口に置いた読み取り機に通します。すると5分ごとにデータが更新される。このシステムを導入したのは、高校では東松島が全国で2番目でした。

大学生ならもう大人なので、授業を受けたかどうかだけチェックすればいいですが、高校生は学校に保護責任があるので、生徒の在校時間を正確に把握する必要があります。開校当時、あの辺りは地震が多かったこともあり、防災上のこともとても重要だったのです。

授業の出欠確認も、各教員が持参する小さな読み取り機で行える仕組みです。

――学年もなかったそうですね。

完全単位制ですから。身分証は、何年に入学した生徒か(何年度生か)ということだけわかるように作っていました。何年次で取る科目、という目安は一応ありますが、もし単位を落としても次の年に取れば挽回できますから、気にしなくていいんです。

クラスは一応あるけれど、1日10分のショートホームルームをするだけ。1クラスの人数は20人以下です。高校でよくある「担任・副担任」というシステムではなく、クラスを半分に分け、20人ずつ2人の教員で受け持ちました。各授業もほぼ20人以下の少人数で行っていました。

授業変更など、生徒に連絡事項がある際は、カードチェックした際に、昇降口に設置した「情報テレビ」で確認できる仕組みになっています。朝、一斉にショートホームルームが行われるわけではないので、このようなシステムを導入しました。

職員会議はなかったです。毎日のミーティングは10分、週に一度だけ30分以内で行うと決めてありました。1年目なんて面白かったですよ。教員の人数も全部で11人と少なかったから、バスケットボールのタイムアウト(試合中に選手に指示を出すための短い時間)のように、立ったまま5分くらいで終わらせていました。ここを一緒に立ち上げた山村さん(教頭)は、バスケ部の顧問でしたから。

学校の会議は、ああでもないこうでもないと、だらだらと長いんですよ。それを「こうしましょう」「はい」と言って、ばっと散会してしまうんです。

(クローズアップ取材班)


【プロフィール】

庄司賢三(しょうじ・けんぞう) 1948年、宮城県名取市生まれ。1972年に東北大学文学部を卒業。同年4月、宮城県高等学校国語科教諭として着任。勤務校は岩ヶ崎、塩釜、仙台向山、仙台第三、松山。1998年小牛田農林教頭。2001年仙台第一副校長。2003年矢本校長。2005年東松島校長。2006年塩釜女子校長。2010年尚絅学院中高校長。2017年より名取市増田公民館長。趣味は全国各地の盆踊りめぐり、四国遍路歩き旅。

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