【不登校とともに】一人も見捨てない学校

「不登校生の自立支援」という教育方針を打ち出し、生徒を包み込む温かな校風が多くの教育関係者に注目されている私立・立花高等学校(福岡県福岡市)。「一人の子を粗末にするとき、教育はその光を失う」という創設者の理念の下、教員や生徒と共にその校風を作り上げてきたのが、公立中の音楽教員を経て2004年に赴任してきた齋藤眞人校長だ。インタビューの2回目では、立花高校赴任後のエピソードを交えながら、齋藤校長自身の教育観の変化やこれまでの歩みについて聞いた。(全3回)


力で押さえつける生徒指導に違和感
——齋藤校長はもともと公立中学校の教員だったそうですね。立花高校に赴任するきっかけはなんだったのでしょうか。

以前は公立中学校で音楽の教員をしていました。生徒指導も担当していたのですが、当時は疑いもなく、いわゆる力で押さえ付けるような従来型の生徒指導を行っていました。

しかし、同時に「これでいいんだろうか」という違和感も抱えていて、自分自身も息が詰まっていたのかもしれません。そこに病気をしたタイミングも重なり、その違和感から逃避したくなったんです。今思えば、当時はそんなことにすら自分で気付いていなかったかもしれません。

その当時、立花高校は定員450人に対して入学者が200人前後しかなく、経営的には厳しい状況でした。そこで30代の管理職を連れてきて、抜本的に学校を変えたほうがいいんじゃないかという経営陣の判断で声を掛けていただき、36歳で教頭として立花高校に入りました。

当時から立花高校の醸し出す雰囲気は、とてもすてきでした。教員は怒鳴らないし、根気強く生徒の話を聞く。強制する、同調させる、押さえ付けるという指導は全くなく、とても家庭的な雰囲気がありました。

——それまで齋藤校長がやってきていたこととは真逆だったわけですね。

最初はそれを「手ぬるい」と感じ、「静かにせんか!」などと、自分の指導力を誇示するようなことをしてしまっていました。

でも、そんなことを言わなくても、生徒は静かになります。立花高校では誰もそんな指導をしていなかったですし、そんな指導をしなくても生徒はちゃんと心を開いて、教員を見ていました。

こうして私は自分がこれまでやってきていたことの愚かさに、自力で気付くことができました。これは本当によかったと思っています。

「でもあの子、あの化粧とったら学校来れんしね」
——この学校に来て印象に残っているエピソードはありますか。

教頭に就任してすぐの頃に、生徒指導部会で驚くほど分厚いメークをして学校に来る女子生徒の話になりました。そんなメークをしてくることは明確な校則違反だったのですが、教員らが、「でもあの子、あの化粧とったら学校来れんしね。あの子にとって武装やもんね」って、たったそれだけで次の議題に移ったんですよ。

私にはかなりの衝撃でした。これまで自分が行ってきた生徒指導だと「あいつはけしからん! 化粧とらせるまで学校来させたらいかん」となるわけです。それが、ここの教員たちは「がははははは」で終わったんです。これは、教員が生徒を自然と受け入れて、一人一人に寄り添っていることを見せつけられた出来事でした。

「ゆくゆくは校則を『日本国憲法に準ずる』の1行にしたい」と話す齋藤校長

他にも、なかなか学校に来られなかった生徒が、体育大会に「ダース・ベイダーの格好なら来られる」と相談してきたこともありました。実際に当日、彼はマスクをつけた黒いマント姿で体育大会に来て、綱引きに入りました。

そうしたら、周りの子たちも特に驚くことなく、普通に「はい、ここね」って受け入れていて……。その生徒の母親が後日、学校に来られて、「先生、もう何年ぶりだろう。体育大会のうちの子の写真を撮れた」と涙されていた姿も印象的でした。

極論かもしれませんが、日本国憲法に「ダース・ベイダーの格好をしてはならない」とは書かれていません。日本国憲法が国民の権利として認めていることを学校が校則で縛ることの方が、よほど憲法違反なのかもしれません。「ゆくゆくは、うちの校則は『日本国憲法に準ずる』の1行にしたいね」と教員ともよく話をしています。

不登校は悪いことでも、隠すことでもない
——2006年からは校長に就任されましたが、校長としてこれまでに行ってきたことについて教えてください。

外から来た私がしたことをあえて挙げるとしたら、この学校を変えるのではなく、この学校がやっている素晴らしいことを、ありのまま内外に発信してきたことです。「ここが良くないから、こう変えます」というようなことは、ゼロに等しかったと思います。

齋藤校長を中心に、職員室の雰囲気はとても温かく、和やかだ

「一人の子を粗末にするとき、教育はその光を失う」。これは本校の創設者である安部清美の言葉です。創立以来、この理念はずっと変わることなく、本校の礎となっています。

本校は、どこにも行くところがない生徒が願書を出し、名前さえ書けば受かると言われています。でも、実はそれが本校の教育理念を一番言い当てていると私は思うんです。「うちがあるから大丈夫だよ」「うちで抱きしめてあげようね」ということを、一番大事にしてきました。

これまで、例えば「特進科をつくって国立大学進学者を増やす」といった方向には、一度もシフトチェンジしようとはしなかったんです。だから、時代の流れに淘汰(とうた)され、経営的には立ち行かない時代が続いたこともあります。それでも、うちの先生たちは「よかよか」「うちはこれじゃ」と変えずにいたことで、時代や社会に疲れた子供たちが集まってくるようになったんです。

——今は定員を超える生徒が集まっているそうですが、生徒数が増加に転じたきっかけはあったのでしょうか。

愚直なまでにおおらかな教育方針を貫いてきたことへの信頼がベースにありますが、大きく生徒数が増えだしたのは「不登校生の自立支援」を前面に出した10数年前からです。

それまでにも本校がやっていることに対する風向きが変わってきていることは少し感じていましたが、世間にはまだまだ「不登校」という響きに対してのアレルギーがありました。だから、本校も今のように「不登校生の自立支援」ということを前面には出していませんでした。

「うちの教員は生徒を自然と受け入れ、一人一人に寄り添っている」と齋藤校長

私がそれを前面に出しましょうと提案したときに、当然のことながら反対も受けました。でも、不登校の何がいけないのか。実際に不登校生の自立支援をやっているわけだし、本校を一言で表現するならこれをおいて他にはない。

そして、「不登校生の自立支援」を前面に出すということは、社会に対して「不登校は悪いことでも、隠すことでも、なんでもないんだよ」というメッセージにもなると考えたんです。

本校は他校のような積極的な生徒募集もしていません。うちに見学にきた生徒たちにも、「よその学校も見て、自分が気に入ったところを選びなさいね」と話してきました。昔も今も、じっくり時間をかけて、うちの良さが伝わって、うちに来たいという子供たちを両手で抱きしめてきましたし、これからもそれは変わりません。

(先を生きる取材班)


プロフィール

齋藤眞人(さいとう・まさと) 1967年宮崎県宮崎市生まれ。宮崎大学教育学部(現・教育文化学部)卒。公立中学校の音楽教員を経て、2004年立花高等学校に教頭として赴任。06年から校長。立花高校での教育活動を通して気付いた事を題材にした―「いいんだよ」は魔法の言葉―とする講演会は、小中高PTA、地域自治会や各教育関係のみならず、企業経営やマネジメントの立場からの依頼も多数寄せられ、全国各地で年間100回ほど行っている。福岡県私学協会副会長および福岡地区支部長。文科省「不登校に関する調査研究協力者会議」委員。

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