【不登校とともに】できていることを認め合う

不登校生の自立を支援している私立・立花高等学校(福岡県福岡市)。生徒一人一人の人格をありのまま認める教育指針は、教育関係のみならず、企業からも注目を浴びている。齋藤眞人校長は、在校生や卒業生の就業支援について「社会的自立にその子を導くのではなく、その子のできる自立に社会が寄っていくという発想で取り組んでいる」と話す。インタビューの最終回では、多様な子供たちが社会で輝きを放つために、大人や社会に持ってほしい視点、教育のモットーについて聞いた。(全3回)


その子のできる自立に社会が寄っていく
——在校生だけでなく、卒業生の就業支援にも力を入れているそうですが、具体的にはどのようなことをされているのでしょうか。

今日も午前中に卒業生が二人来て、教員に今後のことを相談していました。卒業してからも頼れる所としてうちを認識してくれているのはうれしいことですし、そうでありたいと思っています。

3年前に校舎を建て替えたときに、校内カフェをつくりました。卒業後、すぐに働くのが難しい卒業生をサポートするために、NPO法人をつくってカフェや校内清掃等で卒業生を雇用するなどしています。

就業支援の一つである校内カフェでは卒業生や保護者が働いている

こうした雇用支援も、世間からは「一般就労ができない子供たち」と見られがちです。しかし、卒業しても社会に出られないと捉えるのではなく、もう少し時間をかければ社会で活躍できる、すてきな可能性だと捉えてほしい。全ては大人や社会の捉え方次第だと思うんです。

また、既存の職業の中から選択するのが難しい生徒もいます。例えば、芸術肌の卒業生がいるのですが、彼女は素晴らしい感性を持っています。私も彼女にスマホケースと名刺を発注しているのですが、そういったものをデザインしたり、プロデュースして販売したりして、収入を得られるような仕組みができないかと考えています。

これも世間からは「そんなんじゃ食べていけない」「ちゃんと就職試験を受けなきゃ」と言われるかもしれません。でも、彼女が持っている特性や才能、彼女ができる手段や活(い)かせることに「社会が寄っていく」という発想があってもいいと思うのです。

つまり、社会的自立にその子を導くのではなく、その子のできる自立に社会が寄っていくという発想です。

今日も彼女と今後のことを話していたのですが、彼女が「自分が好きな活動を維持するために、ある種の収入を得る必要がある。自分が気に入らない仕事でも、好きなことを貫くための平和維持活動だと思えばやれるかもしれない」と言っていたんです。

私はこれまで、彼らが好きなことや、彼らの能力を活かせることだけでもなんとか収入を得る可能性を広げたいと考えていました。でも、彼女が自力で「収入を得ること」と「好きなことをやること」を切り離して考えられたことは、とても大切だと思いました。誰かから強制されることなく、自分でよく考えてそう思えるようになったのです。

こうして日々、悩み続けていますし、これからも葛藤し続けるのだと思っています。この子たちをどう育てて、どう導こうかというところは、この先100年たっても悩んでいるんだろうなと思います。

でも、最近、達観してものを語れないことの方がはるかに美しく思えてきたんです。悩む、立ち止まる、ということもすごく大事な手段、プロセスだと感じています。

——こうした就業支援を通して、社会に伝えたいことはありますか。

ただただ、社会に「寛容さ」が広まってほしいということだけです。その子のできる自立に社会が寄っていくということは、社会全体にも教育を担ってもらわないといけないでしょうから。

生徒らの書道作品を前に

例えば、きちんと教えないと、なかなか仕事が覚えられない子がいるとするならば、きちんと教えようとする先輩社員が育つはずです。教え勝手のいい新入社員ばかりに恵まれてしまうと、先輩社員が育っていかないかもしれません。

社会に出た段階で不完全でも未成熟でも、手をかければ活(い)きる子たちがどんどん社会に出て、社会が連携してその子たちを育てていく。そんな発想を持ってくれたら、もっと多くの子たちが社会に出て輝けるのではないでしょうか。

不登校生よりも親の方が癒やしを求めている
——不登校生の保護者も子供以上に悩みを抱えている方が多いかと思います。立花高校ではどのような対応を取られているのでしょうか。

不登校の子よりも、親御さんの方が癒やしを求めておられると思います。

親は「もっと上を、上を」と思うものです。学校に行けなかった子が行けるようになったら、次は大学、次は就職……、となるのは親御さんの方です。子供と同じところにはなかなかいられない。だから難しいんですよね。

親御さんが共通して持ってらっしゃるのは、「私の育て方が悪かったから、この子はこうなってしまったのではないか」という思いです。自分を責めるか、教員を責めるかのどちらかです。でも、親が誰かを責めている状態にある中で、子供が癒やされるはずなどないと思います。

こうした保護者への対応についても、How toがあるわけではありません。他の学校と同じで、家庭訪問をしたり、連絡をこまめにとったりし、なおかつあまりプレッシャーをかけすぎないように留意する。常に悩み、葛藤を抱えながら担任教員が保護者の相談に乗っています。

もちろん私や教頭や主幹教諭が直接保護者の相談に乗ることもありますが、そうした事案はここ数年で激減してきています。担任の先生たちのカウンセリングマインドが長(た)けてきていることを強く感じていて、頼もしい限りです。

「当たり前」なんてない
——齋藤校長が子供たちと共に過ごす上で、大切にされていることを教えてください。

私に限らず、本校の教員が大切にしているのは、「できないことを嘆くより、できていることを認め合う」ということです。

例えば、うちでは昼から学校に来た生徒にも「今来たの?よく来たね」と声を掛けます。事実を口に出し、その事実をきちんと認めてあげることが第一ですし、こうした積み重ねが、生徒の自己有用感を育てることにつながると思います。

今は96%の子供が高校生になる時代です。この事実に対して、皆さんに考えてほしいことが二つあります。

まず一つ目は、高校に行くのは「当たり前」なのかということ。「当たり前じゃない」子供たちがいるという事実を忘れないでほしいということです。

二つ目は、高校生になることを実現している96%の子供たちも、それが「当たり前」なのではなく、頑張って合格という結果を勝ち取った形であるということです。高校生になることは、一人一人の努力の成果なのに、それをいとも簡単に「当たり前」にすり替えてしまっている。そんな今の社会的な価値観について考えてほしいのです。

「一人一人の頑張りの事実を認めていける社会に」と話す齋藤校長

本校の生徒たちを通して考えていただきたいのは、心が折れそうになりながら、今日も笑顔で頑張っている子供たちもいるという事実です。学校に行けている子供たちの中にも、実はパワーレス、エネルギーレスになっている子供たちがたくさんいます。

だから、私たち大人や社会は、今日も笑顔で学校生活を送っている子供たちを「当たり前」として受け止めるのではなく、「今日もよく頑張ったね」「すごいね」と迎えてあげるべきなのです。

問われているのは、大人側の解釈です。子供たちができるようになっていくことを全て「当たり前」で済ませていないでしょうか。世の中に「当たり前」なんてありません。一人一人の頑張りの、そこにある事実を認めていけるような社会にしていきたいと思っています。

(先を生きる取材班)


【プロフィール】

齋藤眞人(さいとう・まさと) 1967年宮崎県宮崎市生まれ。宮崎大学教育学部(現・教育文化学部)卒。公立中学校の音楽教員を経て、2004年立花高等学校に教頭として赴任。06年から校長。立花高校での教育活動を通して気付いた事を題材にした―「いいんだよ」は魔法の言葉―とする講演会は、小中高PTA、地域自治会や各教育関係のみならず、企業経営やマネジメントの立場からの依頼も多数寄せられ、全国各地で年間100回ほど行っている。福岡県私学協会副会長および福岡地区支部長。文科省「不登校に関する調査研究協力者会議」委員。

この連載の一覧