「自由度の高い学校」心やさしい校歌

今年創立14年を迎える宮城県東松島高等学校は、校則を定める代わりに「社会のルールが学校のルール」を掲げ、情操教育に力を入れるなどの方針で、生徒たちの自己肯定感を高めてきた。中学で不登校だった生徒たちの多くが通う学校となった同校は、その後どのような課題に直面してきたのか。立ち上げに深くかかわった、初代校長・庄司賢三氏インタビューの最終回。


開校準備の壁
――他校では見られないような、新しい取り組みをたくさんされてきましたが、開校準備のなかで、壁にぶつかったことなどはありましたか。

私は教育委員会からの内示を受け、2003年に矢本高校に校長として赴任しました。1年目は一人で新しい学校の構想を練っていましたが、2年目に新高校の開設準備室ができ、私の負担は減りました。このメンバーは大変優秀で、山村さん(教頭)と2人の教員、ときどき私も加わって構想を練り上げ、さらにアイデアをたくさん盛り込んでいきました。

この過程で新しい構想を教育委員会にもっていくと、「それは前例がない」と却下されることがたびたびありました。しかし前例がない学校を立ち上げるのですから、私たちも頑張りました。そのうち、教育委員会も「こういう学校もそろそろ必要なんですね」とわかってくれて、予算をつけてもらいました。

基本構想がまとまり、カリキュラムや校名、校章、校歌なども完成し、いよいよ東松島高校が開校したのは、3年目の2005年です。

――開校してから最初の2年間は、矢本高校の2・3年生も在校していたとのこと。その間は、どんな感じでしたか。

東松島と矢本、両校の校長を兼務していました。始業式や終業式では1日に4回、生徒たちに話をしました。矢本高校の全日制と定時制、東松島高校のⅠ・Ⅱ部とⅢ部では、それぞれ向かうところが異なるので、別の話をしていたのです。

理念などは「うまく受け継がれていく」と期待する庄司賢三氏

私が転勤したのは、開校から1年たったときでした。心残りではありましたが、異動を命じられれば従うのが、管理職の宿命です。

私が東松島高校を去ってから何年かが過ぎ、開校当初の使命感が多少減退しているのではないか、と思うことがときどきありました。新たに転勤してこられた先生方のなかには、この学校スタイルが特殊なものに感じられて、「普通の学校」に戻そうと考える方もおられるようです。

ただしもちろん、開校当初の理念に共感して頑張っておられる先生方も多くいらっしゃいます。昨年お会いした東松島高校の現職の校長さんは、この学校のことをよく理解されており、うまく受け継がれていくのではないかと思っています。

東日本大震災の影響
――開校から6年目の2011年に東日本大震災が起きました。東松島高校にも、何か影響はあったでしょうか。

それはもちろん、大きな影響を受けました。東松島高校はJR仙石線の矢本駅からすぐのところにあり、仙台方面からもたくさんの生徒が通っていましたが、震災(津波)で仙石線が不通になってしまった。夏ごろから代替バス(松島海岸駅~矢本駅間)は走っていましたけれど、何しろ時間がかかります。近くの生徒しか通えなくなって、翌年度からは入学希望者が激減してしまいました。

被害はすさまじかったです。電車が真っ二つに折れたり曲がったり。卒業生を含め、何人もの犠牲者が出る未曽有の大災害となりました。その後、線路や駅を山の上のほうに動かしたりして、全線再開したのが2015年の5月ですから、4年かかっている。その間に、東松島高校は知名度が落ちてしまいましたが、現在、現職の先生方の努力で、次第に復活しつつあります。

――東松島高校の校歌は、庄司先生が作詞されたのですね。すごく優しい印象です。
東松島高等学校校歌
作詞 庄司賢三 作曲 榊原光裕
一、嵯峨の磯辺のみぎわより
つづく松原波しずか
牡鹿のやまなみ遠く見て
すがしく集う我らこそ
二、うみかぜ受けてさわやかに
学びの窓辺にいそしみて
心優しき友垣と
夢を語りて励むとき
三、豊かに実るみどり野の
めぐみ受けつつ育みし
心は高く青雲の
彼方に向かい進み行く

 

当時いろんな先輩教員に意見を聞くと、「勇ましい校歌を作りなさい」と言うんです。「甲子園に行ってかっこいいと思えるような校歌がいいんだ」と言う。でもそれは違うなと思って、心やさしいしらべにしました。

心あたたまる仲間たちとの時間や、生きていてよかったなと思うような時間。そういう学校であればいいな、と思って作りました。

当時、校長として毎日生徒たちと面談をしていたのも、そんな気持ちがあったからです。出張がない日の昼休みや夕方など、生徒たちの思いや校長の考えを和やかに話し合ったことで、結果として彼らの帰属意識を高めることにつながったと感じています。

(クローズアップ取材班)


【プロフィール】

庄司賢三(しょうじ・けんぞう) 1948年、宮城県名取市生まれ。1972年に東北大学文学部を卒業。同年4月、宮城県高等学校国語科教諭として着任。勤務校は岩ヶ崎、塩釜、仙台向山、仙台第三、松山。1998年小牛田農林教頭。2001年仙台第一副校長。2003年矢本校長。2005年東松島校長。2006年塩釜女子校長。2010年尚絅学院中高校長。2017年より名取市増田公民館長。趣味は全国各地の盆踊りめぐり、四国遍路歩き旅。

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