シティズンシップ教育の未来

価値観の多様化や選挙権年齢の引き下げなどを背景に、「望ましい未来像」を目指し、社会変革と創造に参画する担い手を育てるシティズンシップ教育への関心が高まっている。「単なる知識の伝達ではない」という難しさのあるシティズンシップ教育に、現場はどう取り組むべきか。

東京大学教育学部附属中等教育学校の校長として授業実践の充実を図った経歴のある、東京大学大学院教育学研究科の小玉重夫教授に、シティズンシップの観点から見た、これからの学校と教員の役割を聞いた。


シティズンシップ教育とは
――校種を問わず、あらゆる発達段階でシティズンシップ教育が求められる中、初めて着手するという先生も少なくありません。まず、シティズンシップ教育とは何か、教えてください。

シティズンシップ教育とは、市民性、つまり市民として必要な素養を育てる教育のことです。政治的リテラシーを備えた「能動的な市民」を教育することを目指すものです。

身につけさせようとするのは、社会や政治の問題に主体的に関わる力、自分なりに社会との関わり方を考えることができる力です。

東京大学大学院教育学研究科の小玉重夫教授

また、多文化社会が到来し、さまざまな民族、さまざまな価値観を持った人々が暮らす中、それぞれの価値観を尊重して行動したり、互いの利害を話し合って調整しながら、政治の課題に取り組んだりする態度を育む必要があります。

――2015年に改正公職選挙法が成立し、18歳選挙権が実現した影響も大きいでしょうか。

ええ、かつての文部省は1969年通達で、現実の具体的な政治的事象は取扱注意事項としていました。しかし2015年にこれを撤廃し、新たな通知では、「現実の具体的な政治的事象も取り扱い、生徒が国民投票の投票権や選挙権を有する者として自らの判断で権利を行使することができるよう、具体的かつ実践的な指導を行うことが重要です」と示しました。

これにより、具体的な政治的事象を積極的に取り入れることができるようになりました。国論を二分するような現実の問題について、背景を調べたり、複数の政党が対立している理由などについて考えたり議論をすることで、社会に出てから自分なりに政治について考える力が育まれると言えるでしょう。

――主権者教育や公民科教育と、新しいシティズンシップの概念との違いや関係とは。

シティズンシップ教育で重要なのは、政府や社会にとってただ単に都合のいい「良識的な市民」を育てるのではない、ということです。

米ミネソタ州にあるオーグスバーグ大学でシティズンシップ教育を研究するハリー・ボイト氏は、米国憲法の文言を引いて、「We,the people」、すなわち「われわれ人民」という表現を用います。

この米国憲法の冒頭で示されているのは、「人民が国をつくる」「国よりも先に人民がある」というとらえ方です。これが公民性の伝統である、「自分たちがつくったものへの愛着を持つ」という発想につながります。国はbuildするもの、つまり、できあがっているのではなく、つくり上げていくものだという考えです。

「争点を知る」
――今年8月に開催された日本教育学会で、「教育とシティズンシップ」をテーマにした公開シンポジウムに出席された際、ボイト氏は「シティズンシップ教育の伝統は日本にもある」と話していましたね。

はい、教育基本法の第14条にも、政治的教養の尊重がうたわれています。

ただ、例えば日本国憲法を学び、「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」の3つの柱を教わって知識としては頭に入っても、社会に出たときにそうした権利の行使にどんな意義があるのか、地域や社会の問題にどう関わるべきなのかといった、市民としての行動につながっているとは言いがたい状況がありました。

シティズンシップ教育では、「争点を知る」力を身に付けさせることを重視しています。

多様な価値観を持った人が集まった社会では、価値観や考え方が異なるところに対立や論争が生まれます。そこで課題を解決しながら社会を維持、発展させていくためには、何が争点となっているかを正確に知ることが最も重要というわけです。

――単なる知識の伝達ではなく、何が争点かを知る力をつけることが大事なのですね。

日本のシティズンシップ教育に大きな影響を与えたのが「クリック・レポート」です。

これは、英国政府によるシティズンシップ教育諮問委員会が1998年に出した最終報告書「学校でのシティズンシップ教育と民主主義の教授」の通称です。委員長を務めた政治学者のバーナード・クリックからその名が取られました。

この報告書では、シティズンシップ教育の大きな3つの柱を①社会的および道徳的責任②コミュニティー参加③政治的リテラシー――として、どのような力を身につけるべきか、具体的にどう指導すべきかを提案しています。

クリックは「③政治的リテラシー」を、争点を知ることとして特に重視し、政治的リテラシーを中心としたシティズンシップ教育を考えました。

身につけるべきこととして、政策についての知識や、自分の意見を論理的に伝える力などを挙げ、最終目標を「争点を知る力を身につけること」としています。

新たな実践も
――シティズンシップ教育の実践では、どのような事例があるのでしょう。

東京都品川区が「総合的な学習の時間」と生徒会活動を組み合わせて「市民科」という教科を創設しました。恐らく自治体単位で本格的に組織化された動きとしては、日本で初めての例だと思います。

また、お茶の水女子大学附属小学校では従来の社会科を「市民」と名称変更してシティズンシップ教育を実践しているほか、2015年度から18年度まで文科省の研究開発指定を受けて新教科「てつがく」を創設し、「学びをひらく ―ともに『てつがくする』子どもと教師―」を主題に実践に取り組んできました。

神奈川県では、県全体でシティズンシップ教育を進めています。県教委からシティズンシップ教育の研究指定を受けた県立湘南台高校では、当時の担当教諭が日本シティズンシップ教育フォーラム(J-CEF)のメンバーを務めるなど、精力的に活動しています。

――教授が東京大学教育学部附属中等教育学校長を務められていたときには、同校で「探究的市民科」を創設されましたね。

私が校長の時に研究開発の申請を行い、その後16年度から指定を受けて「総合的な学習」と教科学習を結びつけ、探究的で協働的な学びをより深化、発展させ、「市民性」と「探究」志向性を育成するカリキュラム開発を行っています。

1、2年生では「入門」、3、4年生では「課題別」、5、6年生では「卒業研究」に取り組みます。重要なのは「正解主義」ではないこと。正しい解決法を知るのではなく、何が問題なのかを考えることを通じて、自ら問題を発見して深く考えることのできる「探究的市民」を育てる学習を展開しています。

教員は何をすべきか
――最後に、シティズンシップ教育の充実に向けて、教員が何をすべきか教えてください。

重要なのは、公民科などに限らず、全ての教員がシティズンシップ教育に関わるという観点です。「総合的な探究の時間」や学校行事、生徒会といった特別活動など、学校教育では市民性の育成につながる場面がいくつもあります。

例えば私は、高校生を相手に話をすることがよくありますが、その際に、1960~2000年代にかけて生徒会が「脱政治化」してきた背景に触れます。そして、15年に改正公職選挙法が成立し、18歳選挙権が実現したことで、これまでタブー視されてきた政治と教育の関係を問い直すきっかけとなった可能性があることを伝えます。

その上で、「日本の高校生は政治に関心が低く、保守的である」という先入観を過去のものとし、生徒会が「再政治化」することで何ができるか共に考えさせます。生徒会主導で討論会を開くこと、文化祭や体育祭といった行事を「ガス抜きと出来レース」から脱却させることなどです。

これからの学校教育では、教員や学校の役割がますます変革を迫られます。これだけ課題が増えている状況の中で、全てを学校が担うのは難しくなっています。

学校が担うべきことは何か。必ずしも学校だけが担い手でなくてもよいことは何か。それを突き詰めながら、「政治的な市民」を養成するために必要なシティズンシップ教育を展開していくことが、今後求められるでしょう。

(聞き手 小松亜由子)


【プロフィール】

小玉重夫(こだま・しげお) 1960年生まれ。東京大学法学部政治コース卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は、教育哲学、アメリカ教育思想、戦後日本の教育思想史。東京大学教育学部附属中等教育学校校長(2014年4月~2016年3月)、東京大学大学院教育学研究科長・教育学部長(2017年4月~2019年3月)などを歴任。