【萩生田文科相】インタビュー詳報 教育行政の課題に見解

萩生田光一文科相は教育新聞のインタビューに応じ、学校のICT環境整備、教員の働き方改革、大学入試共通テストへの対応など、文教行政の諸課題について見解を明らかにした。同時に、子供時代に影響を受けた教師の思い出を含め、自身の教育観を語り、学校現場を支える教員へメッセージを送った。詳報をお届けする。

(教育新聞編集部長 小木曽浩介、編集委員 佐野領)


《英語民間試験の導入延期》試験会場の確保は「文科省の責任で」
――就任から2カ月がたち、英語民間試験の導入延期など世間の耳目を集めました。

毎日のようにメディアに出していただき、ありがたいやら、戸惑うやらの2カ月でした。引き継ぎした課題の中には、なかなか前に進みづらいなと思うものも正直ありました。立ち止まるのはものすごく大変なことですが、英語民間試験はやはり制度上大きな問題があると判断しました。

その時々の判断に間違いはなかったのでしょうけど、結果として、齟齬(そご)が生じてしまったのだと思います。

もともと存在している民間の英語検定を大学入試に活用する時点で、オーダーメードじゃないわけです。値段だとか開催地だとか、すでに決まっているものを借りて、新しい入試制度を作ろうとしたところに無理があったのではないかと思います。

教育新聞の単独インタビューに応じる萩生田文科相

大学入試センターがやる試験ならば、会場については、例えば、文科省が責任を持って全国の高校を借り上げた上で、試験会場として再分配するようなことをしなければならないと思います。民間の実施団体に「会場を増やせ」と言っても不可能でしょう。受験料の金額についても、いつどれだけの人が受けるか分からないのに、あらかじめ減額しろというのも、やや無理があった。

民間の仕組みを活用することは決して悪いことではない。ただ、もともと目的が異なる6つの試験を大学入試に使い続けることが可能なのかを含め、いままでの議論をしっかり確かめていきたい。

国の責任で入試制度を変えるのだから、民間に対しては国が決めた方針に協力してくれるかどうかをちゃんと確認するべきであって、順序が逆だったと思うのです。もともとあるものを使わせてもらえるかではない。国の方針を決め、それに協力してくれるという民間の人たちには引き続き協力をしてもらえるような仕組みも考えていきたい。

大事なことは、どこにいても等しく受けられる環境を作っていくことだと思います。試験の中身は平等なのに、会場にたどり着くまでのアクセスに格差があってはならない。センター試験は国内700カ所で実施しているわけですから、身近なところで試験が受けられる環境をどうやって作ったらいいのか腐心してみたいと思っています。民間に「会場を増やせ」と求める乱暴なことじゃなくて、例えば、文部科学省の責任でどういうインフラが作れるか、しっかり努力していきたい。

いずれにしても、予断を持たないでこれまで積み上げてきた過程を、もう一回きちんと検証してみたい。1年間しっかり検討し、持続可能で公平公正が保(たも)て、高校生が思いを持ってちゃんとチャレンジできるような、そういう仕組みに磨き上げていきたい。作業は年末までに着手したいと思います。

《国語の記述式問題》採点に退職教員の登用も
――国語の記述式問題についても見直し論が出ています。

国語についてはいまだ不安の声があります。一つは自己採点がしづらいのではないか、もう一つは公平な採点がなされるのか、ということです。

そういう誤差を心配するのはもっともです。契約行為で業者に発注したとはいえ、国が制度を変えるわけですから業者任せにしないで、どうしたら不安を払拭(ふっしょく)できるのか、誤差を埋めていくような方法がないのか、全力を挙げて取り組んでいきたい。もっと言えば、万が一、採点のミスがあった場合に、救済策はどうするのか、そういうセーフティーネットまで含めて、残りの時間で作り上げていきたいと思っています。

非常勤の人が採点すると、それが直ちに採点の精度が悪くなるという前提は、ちょっといかがかなとも思いますが、いずれにしても、それなりの能力のある人が選ばれるのだと思います。そこに例えば、もう少し専門家に入ってもらって体制を整えていく必要もある。

例えば、私見ですが、退職した国語の先生たちの力を何かしら借りたりできないか。このリストを持っているのは文科省、教育委員会しかない。そういう方たちに手伝ってもらうといったアイデアも含め、社会総がかりで考えていきたい。

記述式問題をやめてしまった場合、一点刻みの入試に戻ってマークシートでやるとなったら、今まで議論してきたことがすべてなくなってしまいかねない。採点や活用の方法を工夫して、なんとか実施できるよう検討していきたい。そのために努力していきたいと思っています。

《教育行政への思い》「子供たちがいくらでもチャレンジできる国にしたい」
――ご自身の教育観について教えてください。

私が(地方議員から)国会に来るか悩んだとき、立候補を決意した一番の理由は、生まれ育った家庭の経済事情によって子供たちの選択肢が狭まっていくような日本の現状を変えたい、という思いでした。

サラリーマン家庭に生まれ育ち、幸い政治家になることができましたが、例えば、自分が医学の道に進めたかというと、経済的に難しかったのではないでしょうか。私が育った家庭には2歳年下に双子の妹たちがいて、ある一時期、高校生が3人いました。普通の家庭で高校生が3人いるとすごく大変です。私だけが大学に進学し、妹たちは高校を出て就職しました。

子供たちがいくらでもチャレンジできる国にしたい。これが国会で教育行政をやりたいと思ったきっかけです。奨学金の金利をなくし、給付型奨学金も作りました。若年世代の子育ての応援として、幼児教育や保育の無償化もやりました。これからも子供たちのチャレンジの道が広がるような教育行政を進めていきたいと思っています。

《学校のICT環境整備》国費投入「大胆に仕組みを変えていこう」
――大臣としてやりたい新しい施策やプランはありますか。

一つは学校における働き方改革です。日本の公教育は誇るべき仕組みだと思うのですけれども、他方、今までの制度の中で教員がものすごく疲弊し、中には過労死もあります。子供に関することは学校が引き受けるという風土を少しずつ変えていって、教員には教師として専門性の高い、本来の仕事に集中できるような仕組み作りをしたい。

2つ目は、公教育の施設整備。10年前に麻生内閣の政務官だった時、スクールニューディールという政策を掲げ、パソコンや校内LAN、電子黒板などを学校で使えるようにしようと取り組んだ。地方財政措置でしたが、理解のある市町村では少し前進したけれど、ほかに課題を抱えている自治体では手が回らなかった。

あれから10年たったのに、いまでもパソコンや端末の普及率はすごく低い。せめて3人に1台使えるように、と国が基本方針を定めているのに、まだ5.5人で1台をのぞき込み、のぞき込んだパソコンが途中でフリーズする事態が生じてしまっている。こういう環境で、次の世代が国際社会を本当に生き抜いていけるのでしょうか。

もはや端末とかインフラ整備はぜいたくなものとは言えないのではないか。平成の時代には「あったらいいな」というツールだったが、令和の時代は「なくてはならない教育機材」になっている。私が文科相在任中に1人1台の端末、きちんと画像が動くような高速ネットインフラを整備したい。

ICTの校内整備は、教職員の事務量の軽減にも必ずつながります。全国学力・学習状況調査でも、全ての子供たちに1人1台の端末があれば、教員の手を煩わせないで調査が可能になるかもしれません。これからの時代はそういう学校をスタンダードにしなければなりません。

――地方財政措置で整備は進みますか。

地方財政措置はいったん一般会計に入ってしまうので、あとは自治体の判断に委ねるしかなくなります。国費である程度カバーをしながら、計画的に整備をしていきたい。このままでは、また次の10年がたってしまう。

大胆に仕組みを変えていこうと考えていて、いまさまざまな知恵を集めています。大げさじゃなくて、1年、2年、3年のうちに学校の教育環境を変えていきたい。

《アスリートのセカンドキャリア》特別免許で体育の先生に

スポーツでは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックのレガシー(遺産)として、やりたいことが2つあります。

ひとつは設備面で、本物を目指していきたい。自治体に行くと、「陸上競技場、プール、体育館、野球場を持っています」と言うのだけど、実は公認の競技場として使えないものばかりです。

例えば、400mのトラックは、最低でも第4種の公認をとれないと、陸上競技場「みたいなもの」であって、記録が認められる陸上競技場ではない。プールでは、50mの公認プールがなければ記録会もできない。25mプールを各市町村が作るのではなく、少し広域の中でみんなが使える50mプールが一つあった方がよろしいのではないか。

全国の自治体に公認のスポーツ施設を持てと言っているのではなく、広域で考えてグレードの高いものを作っていきたい。

もうひとつ、アスリートのセカンドキャリアを確立したいと思っています。

オリンピックのメダリストであっても、引退後、競技団体に残って仕事ができる人はほんの一握りです。ほとんどの人が畑違いの職業に就いている。もちろんそれはそれとして素晴らしいことですが、世界レベルまでその競技を極めてきた蓄積を還元する方向もあるのではないか。希望しているのに全く違う職業に就かないと後半の人生を生きていけないのは、すごくもったいない部分もある。

日本の教員は4年制大学で必要な教科をとらないと教員資格を得られません。世界大会に出るまで競技をやってきた人たちは、違う意味で学んできたものがたくさんあると思うので、例えば、1年ぐらいのリカレント教育を受けてもらい、特別免許で体育の先生として活躍してもらえないか、と思っています。

公立学校だけでも、受け皿として十分な数があります。かつてオリンピック招致活動の一環でオリンピアンの学校現場への派遣をやったことがありますが、子供たちの目の輝きが違いました。志があるアスリートには、ぜひ指導者として教育現場に来てほしい。

また、アスリートが故郷に帰るのだとしたら、地方自治体の職員として働ける仕組みを作りたい。専門職として残りの人生を頑張ってもらえたら、自治体のスポーツ行政もすごく底上げになるのではないかと思います。

《教員の働き方改革》「大切なのは地方自治体の条例や規則」
――英語民間試験や変形労働時間制について、教育現場からいろいろな意見が出ています。現場の教員へのメッセージはありますか。

わが国の学校教育はこれまで大きな蓄積と高い成果を上げてきましたけれども、最近の勤務実態調査によれば、本当に厳しい長時間労働の実態が明らかになっています。志ある先生方が疲労や心理的負担を過度に蓄積して、心身の健康を失い、ついには過労死に至ってしまうような事態は決して起こしてはなりません。その勤務環境から意欲と能力のある人材が教師を志さなくなってしまい、わが国の教育水準が低下することは子供たちにとっても社会にとってもあってはならないと思っています。

働き方改革は特効薬のない総力戦。今回の給特法改正案だけで全てが解決するとは思っていません。学校のICT化による事務量の圧縮や、スクール・サポート・スタッフの成功例もあります。

インフルエンザがはやり始めましたけれども、朝の時間に欠席の電話が学校の先生にがんがん入ってきて、朝の職員室はパニックになっています。これをあらかじめ登録した保護者のスマートフォンからメールで連絡してもらい、2時間目の休み時間に学校から「いかがですか」と連絡できるような仕組みを作るだけで、事務量を圧縮できると思います。

また、外部指導員を活用した部活動、あるいは研修なども、もう少し中身や時期を変えていくことが必要だと思います。先生方の事務量や仕事量を全体で圧縮して、できるだけ子供たちと向き合う時間を確保していきたい。

私は給特法の廃止だけをしても何の問題の解決にもならないと思っています。全体の仕事量を減らし、日々の残業にも上限が必要です。先生の責任がどこまでなのか、先生としての本業がどこまでなのか、学校現場だけではなく、日本中が一緒になって見直していかないと教員の働き方は変わらない。

現場の教員たちは「法律ができても何も変わらないのじゃないか」と危惧しています。指針はちゃんと法律に明記したので、大切になるのは地方自治体の条例や規則などです。地方分権の則(のり)を超えない範囲で、自治体のみなさんに「なぜこの法律を作ったのか」を共有してもらうキャンペーンをやっていきたい。教育長会議、市長会、全国議長会とか、議員の仲間のネットワークを通じて自治体に働きかけたい。

今回は改革の第一歩です。先生方の働き方を変えていく取り組みをしながら、3年後に改めて実態調査をやりたい。その時点で、教師の仕事や給与の在り方について、どういうものがふさわしいのか、もう一回大きな改革をしていきたいと思っています。

当たり前ですが、いまよりも悪くなるような制度の法改正を、わざわざ国会でお願いするつもりはまったくありません。「少しは良くなった」「少しはやりやすくなった」という声を聞きながら、さらにいいものを目指していく努力をしたいと思います。

《思い出の教師》一緒に転校してくれた野球部顧問の先生「本当に感動した」
――思い出の先生はいますか。

先生たちとの出会いがあって、いまの自分があると思っています。

思い出の先生とのエピソードを話す萩生田文科相

私が中学生の頃は、非常に子供が多くて、学校がどんどん新設される時代でした。中学2年生のときに野球部のキャプテンで生徒会長だったのですが、3年生に上がる時、まだ工事が続いている新設校に、学区変更で転校を余儀なくされたのです。ささやかな抵抗もしたのですが、結局駄目でした。

その時に野球部の顧問だった先生に「リーダー格のお前がこんなに動揺していたら、ほかの生徒もみんな二の足を踏んでしまう。これは決まったルールなんだから、しっかり心を入れ替えて頑張れ」と言われました。「残ってくれ」と言われるのかと思ったら、「転校しろ」と言われたわけで、すごくショックだった。

それから何日かしたら、もっとベテランの先生から、私に「新設校に行け」といった先生が「自分で異動願を出して、お前と一緒にあの学校に行ってくれるぞ」って言われたのです。僕ね、もう本当に感動しました。本当に一緒に行ってくれたんです。一方で残った連中は「顧問の先生、萩生田と行っちゃった」と、ブーイングでしたけど。

「お前が動揺していたら、みんなに動揺がする。ルールが変わったのだから、その中で頑張れ」と言われて送り出されてね。気が付いたら、その先生が一緒に学校にいたというのは、すごい感動でした。


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