【AI時代の教育を探る】学習進度2倍に キュビナの衝撃

人工知能(AI)時代を迎え、教育に求められる質が大きく変わろうとしています。【AI時代の教育を探る】は、変化し続ける教育現場の最前線を報告する企画です。

政府が2023年度までに全ての小学生と中学生に1人1台端末を整備する方針を盛り込んだ経済対策を閣議決定した。学校のICT環境が一気に改善する可能性があり、AI教材への注目度が一気に高まりそうだが、いまの学校現場でAI教材の威力を実感している教師はまだまだ多くない。実証事業の舞台となった東京都千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長は「早い生徒は、年間授業時間数140時間のカリキュラムが40時間くらいで終わってしまった」と、効果を評価する。いったい何が起きているのか――。AI時代の教育最前線を探る本シリーズ。今回はEdTechベンチャー企業COMPASS社が開発したAI教材、キュビナ(Qubena)が与えた衝撃を報告する。

(教育新聞編集委員 佐野領)


《知識・技能の習得を最短で行う》

大教室で2クラスの中学生が合同参加する数学の授業。自由席なので、ほとんどの生徒はグループで座っている。タブレット端末を持った生徒たちは、手慣れた様子で問題を解き始める。分からないときはクラスメートに聞いたり、手を挙げて「先生、きてきて」と呼びかけたり。経産省の「未来の教室」実証事業としてキュビナを導入した麹町中学校の自由進度学習は、にぎやかな雰囲気で進められていた。

教員は生徒の質問に答えるほか、手元の教師用画面をみながら、学習が進まない生徒に声をかけている。教員の口数は少ないが、教師用の画面には全生徒の学習状況がリアルタイムで一覧表示されており、生徒が取り組んでいる様子がつぶさに把握できる。

「キュビナは知識・技能の習得を最短で行うための教材です」と、COMPASS社の神野元基社長は話す。

キュビナを使った千代田区立麹町中学校の授業

「集団指導では、分かっている生徒はすでに分かっていることを繰り返し言われることになる。分からない生徒にとっては、もう少し戻って教えてほしいのに、分からないまま授業を聞いている時間がずっとある。この2つを極力なくした形で、授業を届けることができるので、結果として全ての生徒にとって知識・技能の習得が早まる」

この説明がキュビナの核心だ。

キュビナは、ひとりの生徒が解いた問題の解答に応じて、どの問題の、どの要素につまずきがあるのかをAIを使って瞬時に分析し、次にどの問題を解くべきかを自動判別して出題していく。いままで授業を全然聞いていなかった生徒が、自分に合わせたレベルで問題を解けるので、どんどん前に進めていける。その結果、何もしていない生徒がいなくなる、という状態が生まれる。徹底的に個別最適化した学習方法によって、知識・技能の習得を最大限に効率化することが狙いだ。

《単元学習62時間分 34時間で修了》

グラフ1:キュビナを導入した授業での授業時数

2018年度に麹町中学校で行われた実証実験では、キュビナの威力が数値として示された。1年生の数学の授業では、授業時数62時間分の単元学習が、わずか34時間で修了した。学習進度が2倍近くに引き上げられた計算になる。1年生の単元が早く修了したので、生み出された時間でSTEAM学習や2年生の単元学習を先取りして実施することができた=グラフ1参照。

麹町中学校では1学年の生徒を習熟度に合わせて、発展クラスと基礎クラスに編成して授業を進めている。このうち、基礎クラスの数学だけにキュビナを導入した。難関私立高校の受験希望者が多い発展クラスは通常の授業を行っている。キュビナは学習指導要領に準拠した出題内容になっており、いまのところ難関校の受験に対応していないためだ。

グラフ2:発展クラスと基礎クラスの偏差値の差

興味深いことに、実証実験の結果、発展クラスと基礎クラスの偏差値の差が一気に縮まったことがわかった。1年生の数学では、偏差値の差は平均して5ポイント以上縮まり、学年が上がるごとに縮小幅が狭くなった。また、基礎クラスの上位15%程度は発展クラスの偏差値を上回った=グラフ2参照。

3年生では、逆に偏差値の差が開いたケースがあったが、これは個別最適化学習の特性として、分かっていない生徒の場合、1年生や2年生の単元にまでさかのぼって学習し直す作業に時間がかかってしまうためだと考えられている。

個別最適化学習は、数学につまずく生徒が増え始める中学1年生ごろからスタートすると、もっとも効果があがるのではないか、との指摘もある。この成果は7月の中教審初等中等教育分科会でも報告された。

工藤校長は今年6月、当時の柴山昌彦文科相が麹町中学校を視察した際に取材に応じ、偏差値の差が縮小した理由について、「通常の授業を受けている生徒たちは、AI教材の授業と比べて思考を停止する時間が長いので、ゆっくり普通通りに進んでいく。それに対して、AI教材を使っている基礎クラスの生徒たちは自分の課題に応じて、個別にどんどん進めていく。その結果、偏差値や得点の分布を調べてみると、基礎クラスの層がどんどん上に近づいていった」と説明した。

そのうえで、「こうした偏差値や得点の改善は、誰にでも起きる」と指摘。「数学的な考え方でも、例えば証明問題をじっくり考えるのではなく、計算のように形式的に処理する力をアップさせるだけだったら、AI教材を与えて個人にまかせればいい、ということだ。わざわざ教員が、生徒全員を相手に、貴重な授業時間を使って同時に教えていく必要はない。このことがよくわかった」と述べ、実証実験の結果を総括した。

麹町中学校では、「未来の教室」実証実験の2年目として、今年度は数学に加えて英語でキュビナによる学習を行っている。

《開発目的は、先生と生徒に時間を作ること》

AI教材として存在感を増しているキュビナ。その歴史は米シリコンバレーで起業に挑戦した神野社長が2010年、AIが人間の知性を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)の概念に触れたことに始まる。神野社長は「シンギュラリティが起こるのだとしたら、未来を生き抜く力が大事になる。それを子供たちが一番知るべきだと思った」と、教育分野に関わるようになったきっかけを振り返る。

帰国した神野社長は東京で学習塾を創業し、自ら子供たちに向き合った。「僕自身が中学生、高校生のころに北海道で通っていた学習塾で、先生とすごく近い距離でしゃべることができた。そのイメージから、学習塾なら子供たちに何かを伝えられると考えた」。しかし、すぐに壁にぶちあたった。子供たちは、部活動もやっていて受験勉強もしていて、未来のことなんか考える暇がない、という現実に気付いた。

子供たちには、心も時間も余裕がない。そうならば、いま目の前にある学習をもっと効率化すれば、もっと将来について考える時間が生まれるのではないかと考えた。

学習塾「キュビナアカデミー」で個別学習に取り組む子供たち

そこで学習塾でやっていた集団授業で、子供たちが何でつまずいているのか個別に判断し、一人一人に適切な課題を出していくことができたら、最短ルートで学習ができるのではないか。そう考えて、細かいプリントを作り、数学を学習する要素を分解し、一人一人の子供に必要な要素を個別に学習させる検証作業をやってみた。最初は中学生から始めた。数学がつまずきやすくなるのが、だいたい中学生だからだ。

このプリントを使った学習でかなり効果があることがわかり、手で全員に配るプリント学習を機械に切り替え、AIの力で一人一人に最適な問題を出すことができれば、先生がマンツーマンでつかなくても、全国や世界に展開できると考えた。こうやって開発したアプリが、2015年のキュビナ誕生につながった。

「まず、何よりも必要なのは、子供たちにも先生にも時間を作ることです。その上で、本当に大事なのは、子供たちが未来をどう考え、いま何をすべきか、それを一緒につくっていくことだと思っています」

神野社長は、キュビナを開発した目的は、詰め込み型教育の学習量を増やすことではない、と強調する。だから、受験に向けてさらなる知識を詰め込むためにAIを活用するのではなく、学習指導要領の範囲内で知識・技能を効率よく習得し、未来のための時間を作るAI教材の開発を目指している。

「いまの優先順位は、学習指導要領の範囲をカバーすることです。日本の子供たちが一番時間を費やしているところを、とにかく縮めたい。なぜなら、子供たちと先生に時間を作ってあげることが、一番のソーシャルインパクトになっていくからです」。

《教師の仕事は、子供たちとの信頼関係の構築》

キュビナの心臓部は、コンパスエンジンと名付けられた独自開発のAIだ。

神野社長の説明によると、算数と数学の場合、知識・技能の学習要素を8000種類で定義し、どの部分がどんな風にコンテンツとひも付くのかエンジン自体が抽出する。それを子供たち一人一人の解き方や答え、何秒ぐらいかけたか、とひも付けた上で、エンジンが「ここがこのくらいできている」「このへんがちょっと怪しいね」と自動で演算。その結果として、次に解くべき問題を子供たちに出題する仕組みとなっている。

一人一人の児童生徒に最適な問題を選ぶAIの機能は、一般的な教師よりも優れているかもしれない。そうなると、教師の役割はどこにあるのだろうか。

神野社長は「知識・技能を獲得する反復練習は、すべてテクノロジーでできる。初学者が最初に概念を習得するところも、テクノロジーができる。けれども、それがどれだけ人生に役立つものなのか、どれだけ子供たちの心の中に届けられるのか。そういうところは、人と人の信頼関係からしかできない。これが、先生にやっていただく仕事だと思う」と話す。

では、子供たちとの信頼関係を構築していくために、教師はどのようなスキルアップが必要なのだろうか。

インタビューに応じる神野元基・COMPASS社長

この質問に、神野社長は「スキルアップの必要はあまりない」と答えた。「先生たちはこれまでも子供たちとの信頼関係を作ってきた。ただ、時間の配分が違っていた。これまでは知識・技能の習得を子供たちにやらせるところに、すごく時間を使ってきた。でも、そこはテクノロジーを使えばいい。先生たちはこれまでも当然、子供たちにコーチングをしていたり、モチベーションを与えたりしてきたのだから、そういう時間が増えるだけだ。何かやることが増えたり、新しいスキルが必要になったりするわけではない」と言う。

とはいえ、ICT環境整備が遅れている学校現場では、AI教材など先端テクノロジーへの苦手意識は根強い。学校現場はテクノロジーとどう向き合えばいいのか、最後に神野社長に聞いてみた。

「テクノロジーは、先生たちのさまざまな業務を肩代わりしてくれる部分があります。丸付けとか、生徒の情報管理とか、そういうところはいち早くICT化すべきです。子供たちの知識・技能も、テクノロジーが与えられるかもしれません。一方で、応用力は一番人がやらなければならないことです。先生たちをテクノロジーが補助することで、先生たちも子供たちも時間を得られる。これが入り口です」


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