松岡正剛さん(上)読解力低下の深層に「東西文化のデバイド」

2020年の学校現場では、新学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」が重視され、授業のカリキュラムは高校の「総合的な探究の時間」に象徴される探究学習につながっていくことになる。だが、どうやって探究学習を実践すればいいのか。その羅針盤を探して、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さんを訪ねた。

松岡さんは、情報の編集によって物事の本質をつかむ方法を編集工学と題して磨き上げてきた達人であり、膨大な読書と著述を通して深い思索を重ねてきた知性の塊だ。

3時間に及んだインタビューはまず、昨年末に表面化した読解力低下について、東西の文明史的な違いから深層を解き明かしてもらった。文字をもたなかった日本に漢字が到来した弥生時代から万葉時代にかけ、日本人は国語に革命的な変化を起こして日本語を成立させることに成功した。だが、明治維新期にヨーロッパの近代文明を吸収したときには、残念ながら、近代国語としての日本語を組み立て損ねてしまったのではないか、と松岡さんは指摘する。刺激的な問題提起に耳を傾けていこう。

(聞き手 教育新聞編集委員 佐野領)

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ヨーロッパ型読解力がたどった道筋
――生徒の学習到達度調査(PISA)2018で日本の子供の読解力低下が問題になり、大学入学共通テストの記述式問題がいろいろな事情で仕切り直しになりました。

いま改めて読解力、思考力、想像力が問われています。この問題は、各時代、各社会、各文化の中で、非常に戦闘的に、大胆に、イノベーティブに考えてきた挙げ句、21世紀に至っていると見た方がいい。そこには、文化のデバイド(格差)があります。

わかりやすく説明すると、一つは、表音文字文化=アルファベット文化です。ユダヤ・キリスト教と結びつく中で、「正義か悪か」「富めるか貧しいか」といった二分法による、ゴール設定が極めて重要で、明確な思考法と読解力が培われてきた。それはもちろん、古代ギリシャ、古代ローマ、ルネサンス、近代国家、国民国家をつくり上げてきたヨーロッパ3000年の大成果だと思います。

さらに、二分法の限界まで議論されてきました。1970年代にポストモダンがあり、ロラン・バルトやミシェル・フーコーが出てきて、世界を席巻した。このときにヨーロッパがつくり上げた読解力にも限界があるから、これを越えようという試みすらされました。

例えば、インターテキスト、テキスト間を自由にまたぐような読書力や読解力が必要であると考えた。引用と主張の組み合わせの中に、さまざまなネットワークやツリー構造、入れ子状態があるので、一つの文章を読む時に、多様な分岐構造があることをわかった上で読むべきだ、との考えも出てきた。

日本人の読解力について、熱を込めて語る松岡正剛さん。ヨージ・ヤマモトのスーツで身を固めていた(小森康仁撮影)

間もなくシリコンバレーから、ハイパーテキストが出てきた。ウェブです。ポストモダンが言っていることと、シリコンバレーが考えたことは、スタートが全く違います。しかし、結果的には、デスクトップ・メタファー(実際の机を模したスクリーン上の仮想環境)によるテキストはネットワーク上にもともとつながっているという、(アップル創業者の)ウォズニアックやジョブズの考え方は、ヨーロッパ3000年の限界を突破しようとしたポストモダンの努力や冒険を後押しする形になり、「まさにそこに可能性がある」となった。

そこで起こったことが、記録と記憶の問題です。デジタルシステムの中では、記録と記憶が接近してしまい、デジタルシステムが記憶を補助してしまう。記録はもちろん全部残るわけですが、それだけではなくて、あなたがアクセスしたり、ブラウジングしたり、ドロップ&ドラッグした記録がそのまま「あなたの記憶でしょ」となってしまう。「あなたが昨日やったこと、1年前にやったこと、そんな風に思い出せますか。パソコンはそれを全部知っていますよ」となった。

パソコンにたまってしまう記録をどう使うか。そこに学習、思索、ビジネスの発想が出て、リソースとしてのビッグデータになった。その分析が必要になり、ディープラーニング(深層学習)が生まれ、そしてAIが登場した。あるいは、ネットワーク上のロボットが登場した。これがヨーロッパ型の読解力がたどった道筋でした。

ヘロドトスや聖書はブログ的

ヘロドトスや旧約聖書、新約聖書のような書物のつくり方は、元々ブログ的なのです。各自がそれぞれ勝手に書いたものを集めてきて、すばらしい編集をしさえすれば、それは世界を語るという考え方を、古代ギリシャ時代にヘロドトスがすでにとっています。

ヘロドトスが『ヒストリア(歴史)』でペルシャ戦争を描いた時、自分では見ていない。見聞を集めて、それを見事に編集しました。旧約聖書もそうです。ヨブ記とか、出エジプト記とか、いろいろなものがありますが、それぞれ別々の物語です。

もっとわかりやすいのは、新約聖書です。これはパウロたちが見事なエディティングをやったのですが、元々はマタイやルカが別々に書いた手紙です。今風に言うと、ブログです。パウロたちはそれを編集した。

ただ、価値観は別です。価値観は「正義か悪か」あるいは「富か貧か」というような二分法で組み立てるのですが、そこには編集方法がある。

読解は、ある素材によって組み立てられた本をほどいて、ひっくり返していく作業ですから、ヨーロッパは元々得意なのです。

だいたいの本はそうできている。例えば、バルザックの小説は、ほとんどがニュースです。アメリカ文学では、サリンジャー以前に、ドス・パソスが『U・S・A』を書くのですが、これもほとんどニュースで組み立てています。

だから、シリコンバレーにウェブが登場したとき、すでにヨーロッパの書物が、いまインターネット上にあふれている形になるのは見えていた、と言ってもいい。ウェブの情報は、その後に出てくるAIにリレーしていくことができたわけです。

漢字の文章は文字の意味から読む

もう一つが、表意文字文化です。中国3000年の知の歴史は、何かを考えたり、記録したり、伝達する時に、最初からいくつかの方法に分かれるという考え方をとったのです。

書物のつくり方が、そこで変わってくる。歴史には、全体をクロニクルに考える編年体という在り方と、それぞれのサブジェクトによって語り方を変える紀伝体がある。司馬遷が『史記』で確立した手法でした。これはヘロドトスの方法と全く違うのです。

表意文字文化がもつ、もう一つの特徴は、一文字にコンテンツが控えていることです。

表音文字文化は、例えば、マター(matter)とか、レター(letter)とか、語根など多少のものが入っているとはいえ、アルファベットの積み重ねです。

しかし、漢字は、その一文字の中に、世界とは言わないまでも、世界の切り取り方が終わっている。

『説文解字』(2世紀初頭に成立した最古の漢字字典)の時期に18000字から26000字ぐらいの漢字ができています。漢の武帝がいよいよアジアを考え出した時には、すでに文字そのものがフォントではなく、意味の文字になっていた。

意味の文字が組み合わさってできている文章を読解するときには、漢字のような表意文字がどうできているかわかった方が早いのです。

岩波新書で1970年に白川静さんの『漢字―生い立ちとその背景』が出た時に、僕は仰天して、「これだ」と言ったら、すぐ反応したのはナムジュン・パイク(白南準、韓国系米国人の現代美術家)ら海外の人でした。日本人は全員これを読まない限り、これから負けると僕は予告していました。

漢字に出会った日本人の大改革

ここから大問題なのです。だんだん日本人の話になります。

この漢字でできあがった漢語世界=漢文世界というものを、1万年間文字をもたなかった日本人が、弥生時代後半に初めてみて、びっくりした。そのまま漢字文化主義者=漢字文化圏に入っていってもよかった。現代の日本人が英語を学ばなければいけないように、漢語や漢文を学んでもよかったはずだった。

それなのに、太安万侶のような天才が出てきたせいで、読みくだしとか、「安」という字を「あ」という文字にしてしまうとか、「波」という字は「は」にしてしまうという、とんでもない改革をした。

これはドナルド・キーンさんが「この革命を日本人が自覚しない限り、欧米の学習力とか、教育力だとかには、かなわないでしょう」と言ったぐらい、すごいことなのです。

残念ながら、その改革は8世紀ぐらいに終わってしまった。私たち日本人は、ヨーロッパ型ではない考え方として、1文字の中に意味単位(ロゴグラム)があることを多少は知っているけれども、それを学習し続けることをやめてしまいました。儒教や仏教といった思想に基づいて、日本の歴史を歩んできてしまったわけです。

現在の読解力は江戸中期にスタート

そのためにですね、これも飛ばして言うと、江戸時代になって「ちょっと待って」という動きが出てきた。中国の本草は当時の薬物学とか薬理学ですが、それを私たちは学んできたけれども、その中には日本の国土や草木にはないものがいっぱいある。徳川吉宗(1684-1751年)の頃から、やはり国産の考え方をつくらなきゃいけないとなった。中国から離れてものを考えようとした時に、文章や読解力についても同じことが始まった。

学者は、伊藤仁斎、荻生徂徠、それから賀茂真淵、本居宣長です。文章や言葉、読み方を、中国語ではなくて、日本語で考えようとなった。ところが、中国の文章を完全に読めていた仁斎や徂徠が、日本の『古事記』や『日本書紀』を読もうとしたら、これが読めない。完全に何か忘れてしまっていた。

そこで宣長が『古事記伝』を40年かけてつくり上げた。「からごころ」(漢意)と、宣長は言いましたが、「私たちは気がつかないうちに、からごころというものに毒されてきたぞ」ということです。当然なのです。ずっとそれでやってきたわけですから。

インタビューは6万冊の書籍に囲まれた編集工学研究所の本楼で行われた(小森康仁撮影)

だけど、太安万侶たちがつくり作り上げた『古事記』は、もともと中国語ではないから、漢字で書かれていても、読みは和漢をまったく別に読んでいます。それを頭に入れながら読み直すか、最初から中国語を外して読まなければいけない。そこで国学をつくった。長い話でしたが、そこが今日の日本人の読解力のスタートになったのです。

例えば、「佐野さんと松岡さんは、冬至の近い日に、昨日よりは寒い豪徳寺の一角で会いました」という文章があるとして、1000年近く日本人はこれを中国語として読もうとしてきた。「豪徳寺って、なんだろうね」とか、「冬至って、中国の行事かな」とか。それがいまは豪徳寺や冬至を中国語として読むのではなく、いったんそのまま読んでから、アーカイブにあたるようになった。宣長の時代から切り替わったわけです。

明治維新 東西の差を組み立て損ねた

この切り替えはすごいことでした。ここからまた話が大きく変化しますが、この切り替えを基にして、ヨーロッパ列強の議会制度や資本主義を取り込んだ仕組みをつくろうとしたのが、明治維新です。

取り入れたのは、ヨーロッパの全てです。読解力については、この時に失敗した。

明治維新では、上田萬年らが近代国語を作り、標準語や当用漢字を定めた。グローバルな世界を相手に、本当は日本にあるもので日本語を組み立てるつもりだった。けれども、それを組み立てきれないままに、ヨーロッパ国語学で日本語を組み立ててしまった。

そのおかげで、翻訳でもゲーテが読めるようになった。誰かが一冊の日本語の本を読むときには、ゲーテを読もうと、湯川秀樹を読もうと、日本語の成り立ちを一切忘れて読めるようにしたのが明治なのです。

それは、いいのです。いいのだけれども、「これは一体何だろうな」という事態が起きた。

ヨーロッパがつくり上げた精緻な言語学や、文法、「れるられる」といった受け身、命令形を生かしたまま、近代国語を作った。けれども、本来、僕たちが日本語で何かを読解するなら、表意文字である漢字が一瞬で多くの意味を伝えるようなスピードで読まなければだめなのです。

日本全体が、明治維新のときに、何かのつっかえを外したけれども、それを外して元に戻ろうとすると、何かができてないことに気がついた。なかなか気がつかなかったことですが、読解力と記述式の問題もここにあります。

マークシートではない問題をつくり、答えを記述させようとしたら、それを点数で評価できないことに気がついたわけです。この文章が「いい」と〇がつけられない。日本語の記述を読解しているな、と判断するには、表意文字である漢字がもつ意味を瞬時に捉え、かつ『古事記』のような和文の読み下しにする、といったことが全部できていないと判断できない。

本当に記述力をつけ、読解力をやり、スキルを身につけるためには、その辺から組み立てた方がいいなというのが、僕の見方です。

僕たちは、そのぐらい学習、教育、読解、読む、それから表すことについて、東西の差を組み立て損ねてしまった、と言っていいと思います。

言語の記述がどのように日本人の中に出来上がってきたのか、あるいは欧米ではどうだったのか。それをきちんと見ないと、読解力や記述式の議論は、その先へ行けないと思います。

◇ ◇ ◇

ここで紙数が尽きた。ここからAI時代に向けた情報の取り扱い方法、探究と方法をめぐる教員のスキルについて、知的な刺激にあふれた松岡さんの語りは冴えていく。

教育新聞では、松岡正剛さんが校長を務めるイシス編集学校が探究学習のヒントと情報編集のノウハウを伝える新連載『探究と方法』を近くスタートします。
【プロフィール】

松岡正剛(まつおか・せいごう) 1944年1月25日、京都生まれ。編集工学者、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。ネットワーク上に壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」を2000年から連載中。eラーニングの先駆けともなる「イシス編集学校」を創立し、編集工学にもとづくメソッドを伝授している。また、本を媒介にした数々の実験的プロジェクトを展開。「日本という方法」を提唱し、文化創発の場として精力的に私塾やサロンを主宰している。

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