【教員免許更新制】「失効は理屈が通らない」

【教員免許更新制】「失効は理屈が通らない」
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「教員免許更新制」の導入から10年が経過した。制度として定着しつつある一方で、教員の負担軽減などの課題も残る。学校経営学や教師教育が専門の浜田博文・筑波大学教授に、教員免許更新制の問題や免許状更新講習の状況を聞いた。浜田教授は、更新しないと免許が失効する現行制度は「理屈が通らない」と指摘した上で「教員が大学院などで学びたいことを学べる環境をつくる方が有意義だ」と提案する。

教員免許更新制は「理屈が通らない」

――教員免許更新制をどう評価しているか。

教員免許更新制は、導入の是非が議論されていた当時から反対の立場だ。これだけ変化が激しい時代に、教員が新たに知っておかなければいけないことがあるのは確かだ。しかし、そうしたことは研修でやるべきで、個々の教員が自費で更新講習を受けなければいけない現状の仕組みは理屈が通らない。教員免許状は基本的に大学での4年間の教職課程を通じて、幅広い教育プログラムを履修することで取得できる。教職課程が開設されている大学は多いが、教育実習を含めて多くの単位を履修することは、車の運転免許証などとは比べ物にならないほど、学生にとって大変なことだ。そうして培った専門的な知識や技能は、10年を経過すると失効するものなのだろうか。教員免許を「うっかり失効」してしまった教員の授業の質が、失効する前と後で変わっているわけではない。それにもかかわらず、教員免許が失効していたために生徒が授業を受け直さなければいけないような事例が発生しているのはおかしい。10年ごとに講習を受けなければ失効、つまり、ゼロになるという仕組みはどう考えても不合理だ。

大学の負担も大きい

――実際に大学で更新講習を受け持つ立場として、どのような課題を感じるか。

筑波大学では、2009年度から「教員免許状更新講習推進室」を設置し、全学で更新講習を実施している。講習の中には附属校で行われるものなどもあり、茨城県内だけでなく全国から申し込みがある。人気のある講座は申し込み開始後、すぐに定員に達してしまうそうだ。毎年、延べ4000~6000人が受講しているが、いろんな分野にまたがって30時間分の講習を全てそろえられる大学は、県内でも限られている。離島を抱える都道府県では、その地域の大学教員が、更新講習のために離島に出向いているケースもあると聞く。更新講習を行うにあたっては文科省から認定を受けなければならない。その手続きに始まり、会場の運営や試験の実施・採点、受講者からの評価の集約など、片手間ではできないような業務が多岐にわたってある。大学側にとってもうけはほとんどなく、負担が大きい。

――更新講習を受けた参加者の評価は。

参加者は10年目、20年目、30年目など世代も違えば、幼稚園から高校まで校種も違う。普段交流のない教員が一堂に集まるので、グループディスカッションなどをすると、とても活発で有意義な学びになる。筑波大学の場合は多様な講座を用意していることもあり、受講者の評価はおおむね高い。この制度に反対する立場としては複雑だが、やるからには質の高い学びになるように努力しなければならない。ただし、同様の効果は研修であっても期待できる。更新講習でなければ得られない効果ではない。

多様な教員が学びたいものを学べる環境を

――中教審や文科省では、教員研修などの学びの履歴を蓄積し、免許更新を機に評価して次期の研修を計画する「教職生涯を通じた計画的・継続的な学び」を推進しようとしているが。

教員の養成から採用、研修までを一体化して「学び続ける教員」を形にしたいということだと思う。しかし、教員の職能発達に関するこれまでの研究で得られた結論は「教員の成長はそれぞれ違う」ということだ。養成の段階で同じようなプログラムを受けて教員になっても、赴任する学校の環境は実に多様で、担当する子供たちの状況も異なる。そんな形で10年もたてば、それぞれの教員が異なる経験を積むわけで、必要な学びも当然違ってくる。学校には、さまざまな経験をした教員がいて、教員によってできることやできないことが違う。そうした多様性こそが、多様な子供たちに協力して対応するためには欠かせない。教員が自分らしさを発揮できるからこそ、豊かな教育実践も生まれるのではないか。ところが、各教育委員会が策定する「教員育成指標」を見ると、「10年目くらいまでにこんな力を身に付けましょう」という一方向的な発想に陥っている。同じ経験年数ならば、どの教員も同じ能力があって、同じようにステップアップし、その中から管理職が選ばれる。そういう画一的なキャリア形成プロセスは、現実の教員の成長とは大きく異なるものだ。

――そうした視点で、教員の成長を支える仕組みとは、どうあるべきか。

現状のように、10年ごとに2年間で30時間の講習を受けなければいけないシステムではなく、10年間で30時間、教員が必要だと思うことを学べるようにする仕組みならば考えられるかもしれない。教員評価の面談の際、個々の教員がどのようなことを学びたいと思っているか、将来どんな教員になりたいと思っているかを管理職がしっかりと把握して、それぞれに必要な研修の時間や機会を確保するのが理想だ。優秀な管理職であれば、そうやって「人を育てる」ことは必ずやっている。そもそも、公立学校であれ、私立学校であれ、任命権者が研修の場を確保しなければならないのは当然のこと。それを10年ごとに大学で行うような制度にしたこと自体、筋が違う。教員が大学院などでより高度な学びをできるようにする環境づくりも大切だ。夜間や休日に大学院の授業を開講するなどして、現職教員が学びやすい仕組みを整えていくべきで、それこそが、現職教員に対して大学が果たすべき本来の役割のはずだ。

【プロフィール】

浜田博文(はまだ・ひろふみ) 筑波大学教授。専門は学校経営学。日本教育学会、日本教育経営学会、日本教師教育学会などで理事を務める。著書に『緊急出版 どうなる日本の教員養成』(共著、学文社)、『学校を変える新しい力―教師のエンパワーメントとスクールリーダーシップ』(編著、小学館)、『学校ガバナンス改革と危機に立つ「教職の専門性」』(編著、学文社)など多数。

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