【受験向け授業はしない】人生を変えた東日本大震災

生徒が「考えること」「行動すること」を重視した授業づくりに取り組んでいる福島県立福島高校の遠藤直哉教諭。初任校の実業高校では難関大学への進学者を複数出すなど、生徒のやる気や可能性を引き出す指導は、教員人生のスタート時から光るものがあった。インタビューの2回目は、そんな遠藤教諭が持つ教育観と、人生を大きく変えたという東日本大震災での経験について聞いた。(全3回)

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教員が生徒の可能性をつぶしているのではないか
――「考えること」「行動すること」を重視した授業づくりに取り組まれていますが、これまでの教員人生について教えてください。

大学院を卒業後、最初に赴任したのは実業高校でした。やんちゃな生徒が多く、試行錯誤の連続でした。

「これをやらないとテストで点数が取れないぞ!」とか、「このままじゃ大学いけないぞ!」とか、進学校でよく使われるような殺し文句は効きません。そこで、1年目はノートを提出させることで点数をつけていました。「ノート出さないと、就職に響くぞ!」と、脅していたようなものです。

でも、ふと思ったのです。これは本当に教育なのだろうかと。生徒は、「興味もない、必要もないことをなぜ学ばなければいけないのか」という疑問を持っています。つまり、学問自体を「面白い」と思わない限り、前向きには学びません。だったら、生徒が「面白い」と思う授業をしようと、私の意識も変わっていきました。

進学校でも受験のためだけの授業はしない

例えば、「音楽を光で飛ばす」ことに挑戦しました。安価で手に入るソーラーパネルやレーザー光線を使って、何もないところを音楽が飛んでいく様子を見せると、生徒たちは原理なんてさっぱり分からないけれど、「面白い」と思って学問に興味を持つようになりました。

――難関大学への進学者が複数出たそうですね。

私も若かったので、「大学ってめちゃくちゃ楽しいよ」というような話を、生徒にたくさんしました。すると、卒業したらほとんどの生徒が就職する高校だったのに、「大学に行きたい」という生徒がちらほら出てきたのです。

そして、3年かけて教えた生徒が、いきなり都内の有名私立大学に合格しました。しかも、1クラスから2人も。その他に、国立大学に合格した生徒も何人か出ました。

この経験から、生徒の「限界」は生徒自身が作っているだけでなく、親や教員も作っているのではないかと感じました。大人が子供たちの可能性をつぶしてしまっているのではないか、教員が諦めなければ生徒の可能性はもっと広がるのではないか。そんなことを学んだのが初任校でした。

結果にはこだわれ
――実業高校で3年教えた後、県内の進学校に異動されたそうですね。

異動先の学校では一転、教科指導力を求められました。2年目以降は理系の全クラスを任せると言われていたので、そこからは国内の大学入試問題をひたすら解き、猛勉強を重ねました。

でも、この学校でも「大学に入れることは大切。だけど、つまらない授業は罪だ」というスタンスは変えずにやっていました。

初めての進学校での指導に必死でしたが、生徒がうまくついてきてくれて、それまで生物の成績では東北地方のトップ10には入れなかったのが、いきなり3番になったのです。その翌年にはセンター試験で東北地方のトップになり、周囲からも驚かれました。

異動当初は、やりたいこともなかなか自由にやらせてもらえませんでしたが、そうして結果が出始めた頃から、私の意見も通るようになってきました。

――進学校では、数字に表れる結果を出すことも求められる。

そうですね。それに、結果を出すことで、自信がつきます。「頑張りました」だけでは人間、自信はつきません。「自分はできる」と思えないと生きていけない。そういう意味で、生徒にも「結果にはこだわれ」と言っています。

その学校では、自分なりに教科指導力について自信をつけていくことができました。そして、今の福島高校への異動が決まっていた2011年の3月に、東日本大震災が起こりました。

この震災での経験が、私の教員人生や教育観を大きく変えたと思っています。

震災での経験が教育観を変えた
――震災でのどのような経験が、教育観を変えたのでしょうか。

震災の翌日から学校の体育館は避難所となり、ごった返していました。そこから1カ月半、避難所運営に携わりました。

震災直後は、本当に支援物資が届きませんでした。やっと届いたのが、賞味期限切れのおにぎり。当時は寒かったので、痛んでいる可能性は低かった。しかし、校長に「配ってもいいですよね?」と確認すると、「ダメだ。万が一、食中毒が起きたら、どう責任を取るんだ」と……。

教育で福島を復興させたいと考えている

でも、みんな何日もの間、何も口にしていないわけです。そこで事情を説明して、「賞味期限が切れていますが、それでもよかったらいかがですか」と伝えました。すると、やっぱり皆さん取っていかれました。

また、避難所には、昼夜を問わず、連絡が取れない家族を捜しに来る人たちがいました。昼間は放送で呼びかけられるのですが、夜間はそれができません。

家族の安否が分からずに、つらい思いをしている人がたくさんいる。これは名簿を作らねばと思ったのですが、それも「ダメだ。個人情報を勝手に集めるわけにはいけない」と……。それでもなんとか許可をもらって名簿を作りました。

そうこうしているうちに、いわき地区の方が大変なことになり、立ち入れない状況になっていました。支援物資を運び込めないことから、いわき地区の支援物資もうちの高校の体育館に集まって来ることになり、今度は多すぎて食べきれない状況に陥りました。

しかし、調べてみると、近隣の小中学校の避難場所には、全く支援物資が届いていませんでした。じゃあ、そちらに配ろうと言うと、「ダメだ。県立学校と市町村立学校は管轄が違うから」と……。

もちろん、管理職の立場や法令等を守ることの大切さは理解しています。しかし、どこか本質からズレたことが続く状況の中で、ふと「自分がやってきた教育は、果たして本当に生徒のためになっていたのだろうか」と、考えたんです。こういう震災が起きた時に、生徒が生き抜く力を養ってきたのだろうかと、そんな疑問を感じました。

それ以前の私は、進学校の教員だったこともあり、受験指導に重きを置いていました。でも、それ以降は、一番大切なのは、生徒にどんな生き方をするのかを考えさせることだと思うようになりました。

勉強は受験のためじゃない、大学はゴールではないということを、もっとしっかりと生徒に伝えるべきだと、自分の中で教育観が変わったのです。

避難所には550人ぐらいの人たちがいて、私たち教員は1日3時間ぐらいの仮眠を交代で取りながら、家にも帰らず、風呂にも入らず、避難所運営に当たりました。原発事故の怖さも混乱も経験しました。

そんな状況があったので、もし、福島県にこのまま住み続けられたなら、「教育改革をしよう」と思ったんです。

「一番大切なのは、生き方を考えさせること」と語る遠藤教諭

子供たちがいない所に未来はない。だから、教育改革をして、教育で福島を復興させようと考えました。

――今年で震災から9年がたちました。

これまで、できる限りのことはしてきたと思います。生徒が企業や大学と連携して取り組む「福島復興プロジェクト」など、生徒の主体性を引き出し、行動力を高めるような事業を立ち上げてきました。

震災後の生徒たちは、本当に熱かった。自分たちの生まれた福島をなんとかしたいと必死で動いていました。あの揺れを経験して、水も食べ物もなくて、その中で多くの人に救ってもらって、助けてもらって、今がある――。そうした実感を持っている子供たちは、今も福島のために頑張ってくれています。

(聞き手・松井聡美)


【プロフィール】

遠藤直哉(えんどう・なおや) 福島県立福島高等学校・生物科教諭。福島生まれ福島育ち。初任校の実業高校において複数名の難関大学合格者を出し、その後県内有数の進学校に異動。県内進学校同士の連携、地域との連携、授業動画配信、リベラル・ゼミ等、新しい企画を次々と立ち上げる。生徒が考えること、行動することを重視した授業に定評がある。震災後は福島県の未来を担う人材の育成に力を注ぎ、大学や企業と連携しながら高校生主体の福島復興事業を展開。2010年に文部科学大臣優秀教員表彰。

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