【PISA2018】読解力低下を読み解く 新井紀子教授に聞く(上)

昨年公表されたOECD(経済協力開発機構)の生徒の学習到達度調査(PISA2018)では、日本の生徒の読解力低下が大きく報じられた。本当に子供たちの読解力は低下しているのか。読解力を高める必要があるなら、学校には何が求められるのか。2019年のビジネス書大賞を受賞した『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)の著者である新井紀子・国立情報学研究所教授にインタビューした(全2回)。インタビューの第1回では日本の国語教育の問題点を聞いた。

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日本の順位は米国より低い
――PISA2018の読解力調査の結果をどう捉えていますか。

日本は読解力で参加79カ国・地域のうち15位で、前回調査に続いて順位が下がりました。これまでの推移を見ると、順位が落ち込んで「PISAショック」と呼ばれた03年調査以降、文科省がテコ入れをして持ち直したのに、読解力については再び落ち込み始めたという構図のように見えます。しかしながら、学校教育の在り方がPISAの順位にどう影響したのかは、科学的にはよく分からないのではないかと思います。

順位はあくまでも相対的なものなので、「15位」といっても、他の国や地域が上がったのか、日本が下がったのか、もう少し分析をする必要があります。ただ、私の行っているリーディングスキルテスト(RST)の結果と重ね合わせると、ここ5年間くらいの間、中学生の半分くらいが、何らかの意味で教科書が読めない状態で高校入試を受けたり、中学校を卒業したりしているのは確かです。

読解力について私が特に危機感を覚えたのは、日本の順位が米国よりも低いという事実です。米国は州によって学校教育の在り方が大きく異なるし、英語を母語としない移民が多い地域もあり、格差も大きい。そうした国にもかかわらず、学校でちゃんと読解力を身に付けさせているということです。

それに対し、日本語を母語とする子供が大半であるはずの日本の学校で、「読むこと」「書くこと」の教育ができていない。「読むこと」「書くこと」に関するこれまでの教育が、いかに科学的でなかったかが浮き彫りになったと言えます。

日本の国語教育の問題を指摘する新井教授

特に日本の国語教育は、「日本語を読んだり書いたりすることは、日本人なら自然に身に付くはずだ」という前提に立っていて、情操面を重視しています。例えば、ノートの取り方や記述式問題の丸付けの仕方について、国語の授業の中で教わる場面はほとんどありません。みんな「何となく」できるようになっていたわけです。

これまでの日本社会は「一億総中流」と言われ、格差が小さく、保護者も教育熱心だったので、学校教育が「何となく」行われていても、家庭や地域の教育力でカバーすることができていました。

しかし、そんな状況は急速に崩壊を迎えました。それでも日本は「教育立国」のプライドがあるので、「失われた30年」で日本のものづくり産業が世界の潮流に対応できなかったのと同様に、教育現場も年々、状況が荒廃しています。科学的な分析をせずに、起こっている問題を一つの事象としてしか捉えてこなかったツケが回ってきているのです。

AIに代替されないための基礎読解力
――今回の調査で公開された問題の中には、ブログなどから情報を読み取り、信ぴょう性を判断させるようなものもありました。OECDが考える読解力とはどんな力なのでしょうか。

OECDがあのような問題を出題した狙いは二つあると思います。

一つ目は、その人が本当に読めているか、汎用(はんよう)的な基礎読解力を測ることです。これから社会がますますデジタル化する中で、今まで人間が行ってきた仕事のかなりの部分を機械や人工知能(AI)が担うようになります。そういう状況の中で、機械に代替されない働き方ができる人、そういうリテラシーを身に付けた人を育てなければ、確実に経済格差が広がってしまいます。この点は、RSTの問題意識も同じです。その人が「本当に読めているか」という汎用的な基礎読解力を測ることは、今後、社員の生産性を問うことと同義になるでしょう。

もう一つの狙いは、情報の整合性に対する判断力を測ることです。社会に流れる膨大な情報の中には、デマやうそもあれば、詐欺を狙ったものなども含まれるので、情報の信ぴょう性や整合性を判断する力も重要になってきます。しかし、それはあくまでも、基礎的な読解力を身に付けた上で問われるものだと思います。

PISAとRSTの結果で違いを挙げるとすれば、読解力の高さと読書量の相関です。OECD教育・スキル局のアンドレアス・シュライヒャー局長も指摘していたのですが、OECDの調査では読解力は読書量との相関が高いのに、RSTではそれが認められないのです。

「論理国語」が今なぜ必要なのか
――なぜ、RSTでは読解力と読書量の相関が出ないのでしょうか。

日本では、「本を読むか」と聞かれると、真っ先に文学を連想してしまう人が多いからではないかと思います。

文学の場合、ストーリーがあって、主人公の行動や情景描写、心情の変化などを追いかけていくような読み方をします。それに対して、新聞記事の場合は、ファクトをファクトとして正確に読めるかが重要です。つまり、小説などの文学とリポートや論文などの説明文では、そもそも異なる読み方が求められるのです。

ところが、日本の国語教育では文学的な読み方が重視され、汎用的な読解力育成はおろそかになりがちです。

そんな中、高校の新学習指導要領では「論理国語」が選択科目として加わりました。これも国語の教員からは大バッシングを受けています。私は、古典や詩を暗唱したり、文学作品を読んだりすることを否定しているわけではありません。

「『論理国語』の導入への批判は理解できない」と話す新井教授

しかしながら、「文学の中にも論理はある」との理由で、「論理国語」の導入を批判する人の考えは理解できません。それらの批判には、文学をたくさん読めばどの分野にも通用する読解力は身に付くという根拠が、示されていないからです。

文学を読めるようになることよりも、今の15歳を救うことの方が圧倒的に重要です。現実に、「ノートの取り方が分からない」「教員の注意が理解できない」という中学生が増えています。受験の際に注意事項を読めず、2日間の試験なのに1日しか受けなかったというケースもあるくらいです。

これは人生を左右しかねない問題です。現状でも広まりつつある格差がさらに拡大し、次の世代に連鎖していくことを食い止めなければいけません。そうした格差を埋まるために、汎用的なスキルを身に付けさせることこそ、学校教育、公教育の使命ではないのでしょうか。

「教科書に書かれている内容を正しく読めない子供が存在する」という事実に、全教科を教える小学校の教員は気付き始めています。しかし、中学校や高校の教員は、自分が担当する教科のことだけしか見ていません。新学習指導要領で「論理国語」が入ったということは、それだけ子供の読み書き能力が崩れているということの裏返しであり、根底には「基礎基本をしっかり身に付けさせなければいけない」というボトムアップの問題意識があると見るべきです。

(聞き手・藤井孝良)

(第2回に続く)


【プロフィール】

新井紀子(あらい・のりこ) 国立情報学研究所教授・同研究所社会共有知研究センター長、一般社団法人「教育のための科学研究所」代表理事・所長。2011年に「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトを立ち上げ注目を集める。16年から読解力を測るRSTの開発に着手。日本の子供の読解力の低下に警鐘を鳴らしている。著書に『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)、『人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」: 第三次AIブームの到達点と限界』(東京大学出版会、共編著)、『AIに負けない子どもを育てる』(東洋経済新報社)など多数。

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