今回の新型コロナウイルスへの対応で、ドイツのメルケル首相のスピーチが称賛されている。なぜ、メルケル首相のスピーチは国民の心に響いたのか。その理由を「今回の事態を論理的に分かりやすく、自分の言葉で感情を込めてメッセージを発したから」と分析するのは、つくば言語技術教育研究所所長の三森ゆりか氏だ。論理的思考やクリティカルシンキング、読解力などの「言語技術」を日本の教育にも取り入れるべきだと指摘し、40年近く活動を続ける三森氏に、言語教育における学校の課題を聞いた。(全3回)
この特集の一覧
言語技術を学んでいないのは先進国で日本だけ
――そもそも言語技術とは、どのようなものなのでしょうか。
言語技術とは、一言で言うと「言葉を有効に使いこなすためのスキル」の総称です。子供の発達に合わせて、情報の取り込み(読むこと、観ること、聞くこと)、思考(批判的・論理的・分析的・多角的・創造的思考など)、表現(話すこと・書くこと)などのスキルを、体系的に積み上げながら学んでいきます。
言語技術を学ぶことで、情報を分析的・批判的に検討し、考えたことを相手が理解できるように伝えたり、表現したりできる能力が身に付きます。人前で話したり、議論したり、文章を書いたりする能力は、持って生まれた才能ではありません。トレーニングによって誰でも身に付けられるものです。
欧米諸国では、幼児期から言語技術のトレーニングを開始します。母語教育として言語技術教育を行っていないのは、先進国の中で日本だけと言っても過言ではありません。

言語技術は、算数・数学の学び方と似ています。算数・数学は、まず足し算と引き算、その次に掛け算や割り算、さらには分数といった形で積み上げるようにして学んでいきます。そうしないと難しい方程式は理解できないし、解けないからです。
高校を卒業時に数学で複雑な方程式が解けるようになるのと同様、本来なら国語でも小論文がきちんと書けるようにして社会に送り出すべきです。
私は国語教育自体を、世界のどこでも通用するものに変えていかねばならないと思っています。日本語を否定しているわけではなく、その教え方を否定しているだけです。
日本人はもっと世界で活躍できる
――三森さんが言語技術を日本で教えようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけは、中学2年生から約4年間暮らしていたドイツでの実体験です。
日本にいるときは国語が得意だったのに、ドイツではドイツ語の授業に全くと言っていいほどついていけませんでした。ドイツ語は話せるようになったのに、授業での議論にはうまく参加できないし、作文を提出しても「感想文が欲しいんじゃないの。あなたの考えを論理的に書きなさい」と言われる。私が日本で学んできた文章の読み方や書き方は、ドイツのそれとは全く違っていたのです。
なぜ、ドイツ語を話せるようになっても、ドイツ語の授業についていけないのか。当時はその理由が分かりませんでした。それに、欧米言語圏から来ていた生徒たちが、私と同程度のドイツ語能力でも授業についていけるのが不思議でなりませんでした。
日本に帰国してみると、4年間も日本を離れていたのに、国語はすぐにテストで高点数が取れ、通知表の評価も5でした。しかし、数学の授業にはついていけず、4年分を取り戻すために必死で勉強しました。
つまり、数学は積み上げ式のカリキュラムになっているため、日本を4年間離れていたことで、その分を取り戻すのに時間がかかったのです。一方で国語は積み上げ式ではないから、すぐに取り戻せました。
母語教育の組み立ての相違にはっきりと気付いたのは、就職して商社に勤めてからです。欧米企業との交渉で勝てないことが続き、その原因を探っていたところ、欧米諸国では母語教育で言語技術を学んでいることが分かりました。つまり、欧米諸国のビジネスマンは、論理的に説得できるコミュニケーション能力を身に付けているのです。
調べてみると、ドイツ以外にも、米国やスペイン、英国、カナダなどでも同じようなカリキュラムで言語技術を学んでいることが分かりました。
欧米諸国では、言語技術というスキルが共有されているので、英語やドイツ語、スペイン語など言語は違っていても、コミュニケーションが取れるのです。
現在は多くの企業から「社員に言語技術を身に付けさせたい」と依頼を受け、社内研修などで指導しています。グローバル社会で仕事をしている企業人は、その必要性を痛感しているのだと思います。
ドイツのサッカー解説は論理的
――学校現場ではどのようなことを指導されているのですか。
学校全体で初めて言語技術を取り入れたのは、仙台市にある聖ウルスラ学院英智小・中学校でした。今から15年ほど前のことです。それ以降、私が独自に開発したカリキュラムや教材を使って、公立私立を問わず、さまざまな校種の学校で言語技術教育を指導しています。
教員を対象とした研修も開催しており、国語科だけでなく、いろいろな教科の教員が参加しています。最初の頃は、個人的な興味で研修に参加する教員が多かったのですが、最近は学校から派遣されて来るケースが増えています。
学校現場に入るのはとても難しかったですね。言語技術は本来、国語で学ぶことなのですが、国語で教えていないことを持ち込もうとするわけで、「言語は技術じゃない」と言われるなど、現場からの反発も数多くありました。
しかし、最初は批判的な意見を持っていた教員でも、「そういうことだったのか」と理解してくださると、その必要性に気付いて、どんどん取り入れようとしてくれます。
――学校現場だけでなく、スポーツ界でも言語技術を指導されているそうですね。スポーツと言語技術は一見、関係なさそうに思えるのですが。
実は、日本でいち早く「言語技術」を公の場で教える機会を設けてくれたのが、日本サッカー協会でした。学校現場に入るよりも前の2002年からのお付き合いです。
現会長の田嶋幸三さんはドイツの大学に留学中、現地の子供たちにサッカーを指導していました。そんな中、子供たちに「なぜこのプレーをしたのか?」と聞くと、必ず「なぜなら……」と答えが返ってくる。それがとても衝撃的だったそうです。

ドイツはサッカーが盛んなので、私もドイツに住んでいる4年間でたくさんの試合を見ました。ドイツのテレビ解説は、とても論理的です。聞いているだけで、私のようにサッカーをしたことがない人間でも、サッカーを論理的に理解できるようになります。
欧州のサッカー観戦者は、こうした解説を聞いてサッカーを「識(し)る 」のだと思います。だから、「スポーツに論理」というのは、私にとってごく当たり前のことでした。
スポーツでは、プレー中にたくさんの判断を求められます。そのため、「なぜそのプレーをするのか」という論理的な思考が必要です。田嶋さんは日本の指導にはそこが一番足りないと考えました。どうやったら日本の子供たちがドイツの子供たちのようにプレーの意図を考え、相手に論理的に伝えられるようになるか、日本のサッカー指導に論理を持ち込む方法を模索していたのです。
そんな中、私の著書『論理的に考える力を引き出す』を読んで、連絡をくださいました。
それ以後、日本サッカー協会のコーチングスタッフ、選手などに言語技術の講習を行っています。その他に、日本オリンピック委員会、日本テニス協会などでも同様の指導を行っています。
(松井聡美)
【プロフィール】
三森ゆりか(さんもり・ゆりか) つくば言語技術教育研究所所長。東京都生まれ。上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。中学2年生から4年間を旧西ドイツで過ごす。1984~88年にドイツ式作文教室を主宰。90年につくば研究学園都市に「つくば言語技術教育研究所」を開設。著書に『絵本で育てる情報分析力』(一声社)、『外国語を身につけるための日本語レッスン』(白水社)、『論理的に考える力を引き出す』(一声社)、『大学生・社会人のための言語技術トレーニング』(大修館書店)など多数。