賛否分かれる「9月入学」 特効薬か副作用の強い劇薬か

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う学校の休校は約3カ月の長期に及んだ。休校長期化による学力格差拡大の解決策として、政府内で急浮上したのが初等中等教育も含めた学校教育の「9月入学」への移行案。4月30日に教育新聞が実施した読者投票でも、5月18日午後3時現在で賛成53%(2874票)、反対44%(2383票)と賛否が割れている。9月入学は新型コロナウイルスのダメージを減らす特効薬となるのか、それとも副作用の強い劇薬か。9月入学に切り替えることによるメリットとデメリットを整理する。


かけがえのない青春を取り返す

日本では、4月2日生まれから翌年の4月1日生まれの子供を同じ学年とし、4月に学校の入学・始業をする「4月入学」が明治時代の1886年以来続いている。世界的にみると珍しい制度で、多くの国では9月入学を採用しているため、これまでも臨時教育審議会などで国際化を狙いに9月入学に改革することが議論されてきた。

しかし、膨大なコストがかかり、社会に与える影響も大きすぎることから、実現には至らなかった。現在では、一部の大学で留学生らを対象に9月入学を実施している程度。「桜の花びらが舞う中での入学式」という風物詩が定着している日本で9月入学に切り替えることは容易ではない。

新型コロナウイルスによって休校が次第に長期化する中で、9月入学の議論のきっかけをつくったのは、大阪府の高校3年生が始めたインターネット上の署名活動だった。大学入試を控える彼らは、このまま政府の緊急事態宣言が延長され続け、本来の学校生活を送れないならば、むしろ「新学期を半年ずらし、9月スタートにする」べきだと提案。5月2日までの約3週間で2万3000人を超える賛同を集めた。

2万筆を超える賛同を集めた高校生らによるネット署名

署名で高校生らが訴えた9月入学のメリットは▽全国一律に8月末まで休校にすることで、9月から平等な教育を受けられる可能性が高い▽入試などもそれに準ずることで混乱を抑えることができる▽海外の学校と足並みをそろえることによる留学の推進▽かけがえのない青春を取り返すことができる――の4点だった。

各地の知事が9月入学を後押し

休校長期化の影響を打ち消すための策としての9月入学は国会などでも取り上げられるようになり、4月28日の閣議後会見では、萩生田光一文科相が「一つの選択肢」として文科省内でシミュレーションを行っていることを明かした。

そして、4月30日の参院予算委員会で森本真治参院議員(国民民主党)の質問に対し、安倍晋三首相は「今後学校再開に向けての状況を見極めつつ、前広にさまざまな選択肢を検討していきたい」と答弁し、文科省を中心に関係省庁で9月入学への検討を行う考えを示した。これを受けて6月中には、政府内で9月入学の論点を整理する方針だ。

自民党内でも柴山昌彦前文科相を座長とする「秋季入学制度検討ワーキングチーム」が立ち上がり、5月末~6月初旬に提言をまとめるべく、専門家や関係者からのヒアリングなどを実施し、9月入学の実施に向けた課題を洗い出している。

さらに、地域の新型コロナウイルスの状況を踏まえ、学校再開の判断を見極める立場にある都道府県の知事からも、9月入学の検討を強く求める意見が相次いだ。

東京都の番組に出演し、9月入学への支持を表明した小池知事と吉村大阪府知事

その口火を切ったのは、村井嘉浩宮城県知事だ。村井知事は4月27日の定例記者会見の場で、個人的な見解だとした上で、「思い切って学校の入学、始業の時期を9月にずらすというのも一つの大きな方法ではないか」と述べ、全国知事会にも提案する意向を表明。村井知事を含めた17県の知事が参加する「日本創生のための将来世代応援知事同盟」は4月30日に公表した緊急共同メッセージで9月入学を政府に要請した。

また、同日の東京都の広報番組に出演した小池百合子東京都知事と吉村洋文大阪府知事も9月入学を推進することで見解が一致。東京都と大阪府の共同メッセージに社会全体のシステムを大胆に転換する手段としての9月入学の導入が盛り込まれた。

一方で、知事の中には慎重論も出たため、4月30日に全国知事会が取りまとめた新型コロナウイルス感染症対策に関する緊急提言では、9月入学については国家的重要課題としつつも、「国民的な骨太の議論」を求めるとして、ややトーンダウンした格好となった。

教育現場からは慎重論も

教育関係団体などは慎重な議論を求めている。

日本PTA全国協議会は5月1日、「9月入学の議論に関する緊急要望書」を文科省に提出。「突然の9月入学に関する議論の高まりは、子供たちにさらなる不安を与え、われわれ保護者にとっても多くの戸惑いを生む」として、コロナ危機で社会が混乱している中、一気に導入する性格のものではないと批判した。要望書では、学年の始期を5カ月遅らせることによる経済的負担増への懸念をはじめ、「9月入学により子供の居場所を確保できるのか」「四季に恵まれた日本独自の文化が損なわれるのではないか」などの疑問を投げかけた。

さらに5月14日には全国連合小学校長会(全連小)が文科省に対して意見書を提出。9月入学は学校再開に向けた課題の解決や、第2波への体制づくりと並行して議論すべき内容ではないとして、新型コロナウイルスへの対応時に導入されれば学校は大混乱に陥ると危惧する。特に、9月入学に移行した際の課題として、学齢の考え方や教職員人事、理科や生活科などの季節単元の再構成や指導計画、学校行事予定など、学校教育への影響が広範囲にわたると訴えた。

また、教育新聞のインタビューに、熊本市の遠藤洋路教育長は「いずれ9月入学にするのはいいとは思うが、コロナ対策としてやる必要性は感じない。9月入学にすることで、例えば、8月まで学校側が何もしないとなると、勉強をやる子とやらない子、経済的に余裕がある家庭とそうでない家庭など、今よりもさらに格差が開いてしまうのではないか」と懸念を語った。

今やるべきは9月入学なのか?

教育学の研究者からも、新型コロナウイルス対策としての9月入学という政策効果に対し、疑問視する見方が広まっている。

国政政党に対して9月入学の論点整理を提出した佐久間亜紀慶應義塾大学教授は「新型コロナウイルスの終息が見通せない中で9月に入学や始業を延ばしても、問題の先送りにしかならない」とし、9月入学によるシステムの大幅改変に膨大なコストをかけるよりも、オンライン授業への対応や学校施設の消毒徹底、教員を増やすなどの、学校再開に向けた対策を最優先すべきだと指摘する。

さらに、9月入学によって大学などの国際化を図るという「副産物」について、「留学生の行き来を活発にするための制度として、9月入学は一つの手段ではある。しかし、日本語の壁や国際競争力に課題がある現状で9月入学に踏み切れば、日本の優秀な人材が海外に流出するだけではないか」と、その効果を疑問視する。

コロナ危機下における9月入学の議論について、佐久間教授は「大きな改革は惨事にしか行えないという『ショック・ドクトリン』の発想だ。何となく雰囲気で流されて根拠もないまま決まってしまえば、新型コロナウイルスでただでさえ不安な子供や保護者をさらに不安にさせ、社会に大混乱を招く」と警鐘を鳴らす。

日本教育学会も9月入学の議論の性急さに危機感を募らせている。同学会は5月11日、文科省や首相官邸に対して9月入学への慎重な議論を求める要望書を提出した。

記者会見で9月入学への課題を説明する日本教育学会会長の広田日本大学教授

文科省で開かれた記者会見で同学会会長の広田照幸日本大学教授は、あまり議論されていない経済的な問題として「9月入学にすると、個々の家庭の子育てに大きな金銭的なマイナスが生じる。5カ月間卒業が長くなるわけで、試算すると大学生の場合は生活費が33万円余計にかかる。それから、4月から8月までの初任給5カ月分の105万円が入らなくなる。そうすると個々の家庭にとっては138万円マイナスになる」と紹介。

また、乾彰夫東京都立大学名誉教授は「(9月入学に延ばした年の4~8月の)授業料負担は、大学だけでなく私立高校や専門学校も含めれば数兆円に上る。これを誰が負担するのか。学生に負担させるのはかなり難しいだろう。では、学校が吸収できるのか。恐らく多くの私立学校が倒産の危機になる」と指摘する。

同学会は、9月入学で起こりうるさまざまな問題や、休校の長期化による学びの保障に関する具体的な施策について提言するべく、乾教授を委員長とする「9月入学・始業制」問題検討特別委員会を設置。教育行財政や教育課程、学校制度、教育社会学などの専門的知見を踏まえた提言を5月22日に公表する予定だ。

広田教授は「やるべきことは9月(入学)制か何もしないかという二者択一ではない。今できることはたくさんあるはずだ。それを提案していきたい」と意気込む。

(藤井孝良)


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