【26歳の学校改革】「どうせ私なんか」を壊す授業

「教育を再定義する」という壮大なミッションを掲げ、学校を変えようと奔走する若者がいる。NPO法人青春基地の代表理事である石黒和己(わこ)氏だ。現在は東京と長野の公立高校で教職員と協働で授業づくりや組織変革に取り組み、学校改革を進めている。「生まれ育った環境をこえて、一人ひとりに想定外の未来をつくる」をビジョンに掲げて活動する石黒氏だが、現在の教育ではそれが難しいことも感じているという。26歳の彼女が学校現場に吹かせようとしている、新たな風とは――。(全3回)

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既存の教育を再定義する
――石黒さんが運営している「青春基地」について教えてください。

「生まれ育った環境をこえて、一人ひとりが想定外の未来をつくる」をビジョンに掲げ、全国の公立高校を対象に、PBL型の授業づくりをしたり、組織改革をしかけたりしています。生徒と教師、そして地域や社会など、さまざまなアプローチによって学校改革に取り組んでいます。

そもそも学びの本質的な価値とは、何でしょうか。生まれ育った環境、つまり地域や家庭環境などの文化資本や学力をこえて、新たな出会いや経験、そして自分自身と巡り合えることだと私は思います。ですから「想定外の未来」とは、子供自身の未来のことを意味しています。そんな子供たちがまだ出会っていない、想像すらしていない世界と出会う契機をつくっていきたいと考えています。

しかし現状では、教育が子供たちに「想定外の未来」をつくれているとは、まだまだ言い切れないと感じています。事実、学校は学力によって輪切りされており、生まれ育った環境をこえるというよりも、同じような学力や環境の生徒が集まりがちです。

「教育を再定義する」と壮大なミッションを掲げる石黒氏

加えて今の学校の仕組みの中では、自分の未来と向き合うよりも、今こなさなければならない課題が数多くあります。テストの点数で優劣を決められ、自らの意思で何かに挑戦しづらい環境に息苦しさを感じている若者は多いはずです。

また若者同士でも本音を言いづらく、「どうせ自分には無理だ」といった空気感を共有している面はないでしょうか。これらは日本の学校制度や社会的な要素が、複雑に絡み合った結果とも言えます。

そんな現状を踏まえると、既存の教育の在り方を再定義する必要性がある。そう考え、日々活動しています。

――どのような取り組みをされているのでしょうか。

現在、継続的に活動しているのは、東京都立第一商業高校と長野市立長野高校です。まずは3年間という長期スキームで、PBL型の授業づくりを軸として、各校の教職員の方々と協働しています。年間を通して1校あたり70~100時間の授業づくりをご一緒しています。

カリキュラムデザインだけでなく学校の当たり前を問い直し、教師と生徒だけで構成されてきた学校を、地域や民間の人たちを巻き込んだ多様な場に変容させることにも注力しています。私たちが学校の中に入ることもそうですが、どのような関係性やシステムが整えば未来の学校づくりができるのか、試行錯誤を繰り返しています。

そのために、1校あたり年間100~300人の社会人や大学生を招き、高校生に向けて授業をしたり、先生方向けの学び合いの場を提供したりと、さまざまな取り組みに挑戦しています。生徒だけでなく、教職員にもアプローチすることで、より多角的に学校組織を変容させていこうとしています。

学校改革の文化土壌を
――都立第一商業高校では2018年度から活動を開始し、3年目に入ったと聞きました。

都立第一商業高校は商業高校ということもあり、生徒のバックグラウンドや希望する進路が多様です。従来型の一斉授業だけではこぼれてしまう生徒もおり、先生たちは今のやり方に限界を感じていました。そこで私たちにお声掛けいただき、協働で学校改革に取り組むようになりました。

2年間やってみて、当初は想定していなかった大きな変化に手応えを感じていますが、一方では「やはり変化するのは難しいな」と感じる面もあります。

生徒たち、そして一緒に頑張ってくれている先生方の変化には本当に驚かされます。生徒たちはそれまで教師以外の大人と関わることが少なかったですし、一斉授業に慣れていました。私たちが授業を始めた当初は、グループワークの経験もほとんどない子が多く、戸惑って緊張している姿が目立ちました。

しかし今では生徒の方から「今日は何をするの?」と聞いてきたり、率先して机を動かしてグループワークの準備をしたりしています。発言や提案もどんどんしてくれます。そして何より、学んでいるときの表情ががらりと変わりました。

――「難しいな」と感じるのは、どのような面ですか。

学校改革を進めるには、「変化」と「文化」の2つを耕していかなければなりません。変化というのは現状の課題を解決し、新しい方法を取り入れることです。例えば一斉授業だけでなく、対話型の授業に切り替えていくことも当てはまります。その変化を維持して文化として根付かせるのは、かなり根気のいる作業だと、やればやるほど痛感しています。

さらに文化を耕すためには、この変化を維持するだけでなく、さらに変化し続け、生徒も教員も学び続けていく土壌をつくる必要があります。文化として対話的な学校組織をつくるという点では、まだまだ苦戦しています。

コンテンツをデリバリーするだけでなく、先生や生徒たちと一緒になって学校というコミュニティーをデザインし直す。そんな作業から始めなければいけないと考えています。

「どうせ私なんか」を壊す
――具体的にどのような授業を実践しているのでしょうか。

生徒が抱いている価値観や当たり前をアンラーン(unlearn)して一人一人の個を耕し、生徒の「will」を引き出すことに注力しています。

例えば、最初の授業に「会いに行きたかったあの人」というものがあります。

校舎を飛び出して探究する活動「まちあるき」や日々の対話を通じて、生徒の「will」を引き出しながら、それぞれの生徒に会いたい人をたくさん挙げてもらいます。最終的にその中の1人に自分でアポを取り、実際に会いに行くという内容です。

最初は「私たちになんて関心がないよ」「忙しいから、会ってくれるはずはない」と、消極的な子がほとんどです。そんな子がぼそっとつぶやいた名前を聞き逃さず、「それ書いちゃいなよ」と声を掛けて回ります。

自分自身で可能性をつぶしている若者は少なくないと指摘する

そうやって照れくさそうにまとめた企画書が、思いがけず採用されることも珍しくありません。例えばマンガが大好きな子は有名週刊漫画の編集部の方に、FC東京のファンの子はクラブの社長に、直接会って話を聞く機会をもらえました。先方から返事があった時の彼らは「やばい! 和己さん、返事が来ました!」と、今まで見たことがないくらい興奮していましたね。

「〇〇したい」と思っても言葉に出さず、「どうせ無理だ」と自ら可能性をつぶしてしまう若者は少なくありません。諦めることが当たり前、自信を持たないことが当たり前になっていますが、一言声を掛けたり、少し環境を整えてあげたりするだけで、一気に「当たり前の壁」は崩れます。

――そういった授業はどのようにつくっているのでしょうか。

担任や管理職の先生と何度も話し合いをしながら全体の方向性を決めつつ、具体的なカリキュラムの中身については私たちから提案したり、先生方からの提案をブラッシュアップしたりしながらつくっています。

プログラムの内容に合わせて、専門領域の大人たちにアドバイスをもらいます。例えば「まちあるき」ではそれぞれの専門分野の大人たちに集まってもらい、現代アートや建築、地理までさまざまな視点をかき混ぜて、ゼロからカリキュラムを立ち上げています。

最近では私たちが提案するだけではなく、先生方と合同の打ち合わせをして、ゼロから生み出す過程から協働でつくっていく方法も始まりました。これは本当に大きな一歩だと思います。

――青春基地単体では、どのようにアイデアをまとめているのですか。

授業をつくっているのは、主に大学生のインターン生たちです。東京と長野の各拠点に現地メンバーがおり、基本的にはそのメンバーが中心となって動いています。お互いのチーム間で頻繁にオンラインミーティングをしているので、それぞれのアイデアを共有し合い、良い刺激とヒントを受け合っています。

このミーティングは、私たちの活動に共感してくれた学生であれば、基本的に参加は自由です。学部の縛りもありません。教育学部ではない、全く畑違いの専門分野の学生が、とても面白いアイデアをポンポン出すことだってあります。

大学生中心でつくっていると言うと皆さん驚かれますが、先生方にとっては、とてもよい刺激になっていると思います。

学校組織は構造的に古い側面があり、どちらかと言えば年功序列型です。そこに学生、ましてや教育について専門性のない若者が入ってきて、皆が対等な関係で一丸となって授業をする。成功したときはもちろん、そこに至るまでの過程でも、組織の在り方や人間関係の捉え方が大きく変わります。

個がそぎ落とされる既存の教育
――先ほど「教育の再定義」の必要性を指摘されていました。どのような姿を描いているのでしょうか。

教育の再定義とは、「発達としての教育」から「生成(せいせい)としての教育」への転換だと考えています。

これまでの教育は、「あるべき姿としての大人に育てるための準備期間」と捉えられてきたと考えています。つまり子供とは、まだまだ未熟で未発達な「大人ではない」存在。だからその準備期間に教師や社会から問いや正解が与えられ、それを段階的に学んでいく。これが「発達としての教育」です。

個を尊重した教育の在り方を探る

変わりつつありますが教育だけでなく企業でも、同じような考え方を取り入れられてきたように思います。近代の発達を支えたこのスタイルは、組織の一員として、効率的かつ平等に一定の能力を付けられるという点が強みですが、少しずつ問題が生じているように思います。

例えば自己肯定感の問題。このような組織では一定のスキルは身に付いても、個人が「何をしたいか」「どんな人間になりたいか」について、考える機会や必要がありません。そうやって「個」がそぎ落とされていけば、個人としての自信が持てるはずがないのです。若者や学校だけでなく、今、社会全体が向き合っている壁だと感じています。

――「生成としての教育」では、その部分を解決できるのでしょうか。

「生成としての教育」では、あるべき姿ではなく、個のありたい姿を耕すことが学びと捉えられます。事前に問いや答えが提示されるわけではなく、それを本人が見つけたり、決めたり、思考したりする。そのため学びは同時に複数に生まれ、どこに向かうかは複雑で不確実性が高くなります。

「生成としての教育」の中では、「子供と大人」「生徒と教師」「上司と部下」といったレイヤーが構造的に生まれにくく、「誰もが学び、誰もが教える」というフラットで相互的な関係性が実現します。現代はVUCA(ブーカ)の時代(※1)と言われますが、今その転換期が訪れていると感じます。

私たちが進めている学校改革は、まさに「生成としての教育」を実現させる営みだと考えています。

(※1:「Volatility(激動)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(不透明性)」の頭文字をつなげた言葉)

(聞き手 板井海奈)

【プロフィール】

石黒和己(いしぐろ・わこ)1994年、愛知県生まれ。2015年、学部時代に青春基地を創設。中高時代にシュタイナー教育という教科書も試験もない自由な教育を受けたことを原点に、公教育の学校改革を通じて、未来の学校づくりに取り組んでいる。2017年に慶應義塾大学総合政策学部卒業、2020年に東京大学教育研究科修士号取得。

※新型コロナウイルス拡大防止のため、インタビューはWEB経由で実施し、写真撮影は感染防止対策をとった上で、短時間で実施しました

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