【ブレイディみかこ氏に聞く】空気でなく「人間」を読む

エンパシーとは、誰かの靴を履いてみること――。ノンフィクション『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の中で、中学生の「ぼく」はこう答えている。「ぼく」は、人種差別や貧困など、リアルでヒリヒリした英国の日常を生きている。しかし著者であるブレイディみかこ氏は「日本でも格差や差別、社会の分断が起きている。日本は英国の通った道をたどりつつある」と警告する。「ぼく」がその日常に起こる困難を乗り越えるために学んでいることとは、何なのか。インタビュー2回目は、児童生徒がこれからの多様性社会を生き抜くために必要なスキルについて聞いた。(全3回)

(聞き手・教育新聞編集部長 小木曽浩介、松井聡美)

この特集の一覧

多様性があるところには分断がある
――『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』では、人種差別や貧困などの格差による英国社会の分断を強く感じました。近年、日本でも格差が問題になっていますが、英国ほどはっきりしたものではなく、危機感をもつ人もまだ多くないのが現状です。

私は、日本でも見えないところでは格差や差別、社会の分断が起きているし、かなり進んでいると思います。例えば、昨年は虐待事件の報道も多かったですよね。英国でも10年ほど前にそうした事件が続いた時期があり、日本は英国の通った道をたどりつつあるという気がしています。

また、政治がかじを切って、外国人労働者を入れるようにしています。そうしたら、その外国人労働者の子供たちが日本の学校に通うようになります。つまり、どう考えても、これから日本はもっと多様な社会になっていく。

多様性があるところには、分断があります。考え方や文化が違う人たちが共生していくから、分断も対立も今後はもっと起こり得ると思います。

――グローバル教育に力を入れる学校も増えてきています。

外から見ていると、日本では経済だけがグローバル化されていて、教育も含めたそれ以外の部分はすごくトラディショナルというか、むしろ時代に逆行しているのではないかと思えるほどです。これは、日本のアンバランスなところだと思います。

「日本では経済だけがグローバル化されている」と指摘する

多様性は、そこに身を置いてみないと分かりません。日本人は「私の周りには外国人はいないから」と言いますが、多様性は何も人種や性的嗜好(しこう)の問題だけではない。

今だって、考え方や信条、政治理念など、全然違う人が一緒に机を並べて勉強したり、仕事したりしているわけです。

学校にも、いろいろなバックグラウンドを背負った子供たちがきています。ひとり親家庭の子もいるだろうし、裕福な家の子も、貧しい家の子もいる。それでもなんとかうまくやっていくというのが、多様性社会を生きる道ですし、それはもうすでにみんなが経験していることなんです。

ただ、日本の場合はどうしても全体的な「空気」を読む傾向が強いので、自分に害が及ばないように立ち回る人も多い。

日本は「空気」をみんなが作り上げて、それに従ってみんなが動いているけれど、本当はそこにいる一人一人はその「空気」には賛成していない。「空気」は「人」ではありません。「空気」というみんなが作り上げた幻想ではなく、「生きた人間」を読んで動く方がいいのではないでしょうか。

自分で誰かの靴を履いてみる
――息子さんがシティズンシップ教育の試験で「エンパシーとは何か?」という問いに対し、「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたエピソードも印象的でした。

エンパシーと混同されがちな言葉に、シンパシーがあります。例えば英国人10人にエンパシーとシンパシーの違いを聞いたら、皆違う回答が返ってくるぐらい、両者の違いは難しいんです。

息子がその話をした時に、私も英英辞書を引っ張り出して調べてみたら、シンパシーとはかわいそうな立場の人をかわいそうだと思う感情であり、考え方や理念が同じ人に共鳴するといったことだと書かれていました。どちらかというと感情的な、情緒的な動きのことです。

「想像力という知性が与えられた人間は、エンパシーを大切にしていくべき」

一方、エンパシーとは、自分とは違う立場の人が何を考えているのか、その人の感情や考えを想像する能力という意味があります。

つまり、シンパシーは気持ちが動かなければそれまでですし、対象にも制限があります。でもエンパシーには制限がありません。その人に対して感情が動かなくても、その人の立場になって「どうしてこういうことを考えるんだろう? 感じるんだろう?」ということを想像してみる力で、知的作業と言えるでしょう。

シンパシーは感情が動かない時はまったく発揮できないけれども、エンパシーは感情が動かなくても、頑張って理解しようとする。想像力という知性が与えられた人間は、エンパシーを大切にしていくべきです。

感情を正しく伝える
――シンパシーは情操教育の範囲だと思うのですが、学校教育でエンパシーはどのように教えていけるのでしょうか。

自分と違う立場の人々や、自分と異なる意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが必要なので、例えば演劇教育のようなことは非常に有効だと思います。

私が以前、貧困地域にある無料託児所で保育士として働いていた時、育児放棄や虐待の恐れがある家庭の子供もたくさん来ていました。その子供たちの中には、感情を表す能力が発達していなかったり、発達の方向が違っていたりする子もいました。

そうした子供たちに、例えばうれしい時にはどんな顔をするのか、どんな顔をしていると人はどういう感情なのかを教えるために、託児所の壁に笑っている顔、怒っている顔、泣いている顔の写真を貼っていました。

「学校教育で自分とは違う環境の人と話をしたり、一緒に何かをしたりする機会を」

その写真を指しながら、「これはどんな時にする顔かな?」と問い掛けたり、「じゃあ、みんなでこの顔やってみようか」などと演じさせたりするのです。最初は演技でもいいから、感情を正しく伝えるための術を教えていたのです。

「こういう顔をしている時は、この人はこう思っているんだ」ということが分かるようにならないと、他人の靴も履けないですよね。それが、まず大事だと思います。

貧しい人のことを想像するには、貧しい人を知らなければできません。自分とは違う環境の人と付き合ったり、触れ合ったり、話をしたり、一緒に何かをする。学校教育の中でそうした機会をつくり、子供たちがもっと街に出て、普段会わないような人とどんどん知り合えるようにするべきでしょう。

【プロフィール】

ブレイディみかこ 1965(昭和40)年、福岡県生まれ。県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務した後、英国で保育士資格を取得し、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を、2019年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞を受賞。他に『THIS IS JAPAN』(新潮文庫)、『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』(光文社新書)などの著書がある。


関連
この特集の一覧

あなたへのお薦め

 
特集