【コロナ危機 6つの質問】鈴木寛 東大・慶大教授

新型コロナウイルスの脅威に、学校はどう対処し、どう変わっていくべきか。教育新聞では教育界のキーパーソンやイノベーターらに6つの質問(▽学びの保障をどうするか▽9月入学についてどう考えるか▽新型コロナから児童生徒や教員をどう守るか▽このコロナ危機の教訓、反省点▽学校はどう変わるべきか▽いま学校現場に伝えたいこと)を投げ掛けた。

最終回となる第9回は、元文部科学副大臣で、東京大学と慶応大学で教える鈴木寛教授。学校現場は「逆境と向き合う力を発揮して、ピンチをチャンスに変えていく発想が大切だ」と語る。

(聞き手・教育新聞編集委員 佐野領)

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学びの保障 メタレベルを上げて考えよう
――政府の緊急事態宣言の下、全国の学校が長期休校を迫られました。児童生徒の学びを保障するために、どのような取り組みが必要だと考えていますか。

オンライン学習環境の整備や必要な人材を確保してきたかどうかの差によって、学校の間で大きな開きが出てきていることは明白な事実です。この差をなんとか埋めていかなければいけない。それなのに、多くの学校現場が公共哲学的ジレンマにはまっている。「形式的平等主義」から「公正な個別最適化」に頭を切り替えていかなければならないのに、教育界ではまだまだ切り替わっていない学校現場が多い。この切り替えができたかどうかで、学校の間でますます激しく差が付いてしまっているのが現状だと思います。

非常に皮肉なことに、あるコミュニティーの中で平等化を図ろうとして、一番厳しい状況にある人に合わせてしまうと、そのコミュニティー全体が他のコミュニティーよりも遅れてしまう。

これはジレンマです。多くの小中学校が、その学校の中における平等を求め、あるいはその市町村における平等を求めて一番厳しい状況にある人に合わせてしまった結果、市町村格差が広がってしまった。学校現場では、どうしても目の前で起きている事態に気を取られてしまいますが、もう少し視野を広げて、自分の市町村が他の市町村と比べてどういう位置にあるか、私立に比べてどういう位置にあるのか、よくみてほしい。

能楽に「離見の見」という言葉がありますが、自分たちの位置を考えるときには、少しメタレベル上げていくことが大事です。一つには、自分たちが預かっている子供たちが今どういう位置にあるかということ。もう一つには、「学びの保障」と言ったときに、何の「学び」を保障するのか、ということです。教員は、標準授業時数分の履修だと思っているし、保護者は、知識・技能の学力の修得だと思っている。

新学習指導要領では、「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組み、多様な他者と協働する力」という学力観を出しました。休校の長期化に続いて分散登校になり、「知識・技能」の格差に目が行ってしまうのもやむを得ないですが、一方で「思考・判断・表現」や「主体的に学びに取り組む力」という観点からも、自分たちが担当する児童・生徒の状況をよく観察してほしい。

全ての出来事には、良い点と悪い点があります。授業時数の遅れや知識・技能の格差に注目することも大事ですが、日本の教員は、できていないことをすごく気にしてしまう。そういうメンタルの弱さがいま出てしまっている。むしろ、今のような非常時には、できることを最大化する方がいい。日本の教員は優秀でポテンシャルが高いのだから、その持てる力を発揮できるメンタルをどう作るかが課題です。

例えば、これまでしっかりと本を読ませてレポートを書かせるのは、従来、夏休みぐらいしかできなかった。分散登校によって対面授業の時間が限られてくる今こそ、1冊の本としっかり向き合って読書感想文を書くチャンスに変えていけばいい。多くの教員が初めての事態に慌てふためいてしまい、せっかくのチャンスを生かせないことこそが問題だと思います。

そういう意味では、カリキュラム・マネジメントの力がものすごく問われている。文科省が3年間で休校分の遅れを調整するよう求める通知を出しましたが、3年間を通じたカリキュラム・マネジメントのように、普段できないことに取り組むチャンスです。

改めて公正な個別最適化について考えるチャンスでもあります。分散登校によって対面授業の時間が限られているということは、一人一人の学習者に対して、公正に個別最適化された学習計画を、児童・生徒が自ら作り、それをどうやって実行するかという、自己マネジメント力を養うチャンスでもある。新学習指導要領が将来的に想定しているステージがいきなり突き付けられたということです。早くコンセプトを切り替えることが大事です。

まだまだ、できることはいっぱいある。それは思考を開始することから始まります。教員、学校管理職、教育委員会、保護者、地域、NPO、企業。それぞれがもうちょっと考えを深め、みんなで熟議していけば、まだまだ知恵が出る。そういう知恵を出し切らなければなりません。

9月入学 特効薬は降ってこない
――学校の休校長期化を背景に、9月入学への移行案が急浮上していますが、どう考えていますか。

私は、東大が9月入学を検討した時は、当時の濱田純一総長を応援した一人ですが、今回は議論のされ方に日本社会の特徴が出たなと思っています。

教育現場が今大変なのは分かるし、学びの保障をしなきゃいけないのも分かる。でも、結局、特効薬はありません。それでも、突然あらゆる問題を直ちに解決してくれるような特効薬が、上から降ってくることを求めてしまう。このマインドセットは変えた方がいい。

もちろん9月入学にはいいところもいっぱいあります。しかし、9月入学は、万能薬ではないし、副作用も多い。9月入学以外にもできること、やるべきことがたくさんあります。そうした議論が、特効薬の議論で全てすっ飛んでしまう。

大学では、いまでも慶応大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)は学部でも春入学と秋入学が併用です。東大も大学院は4月と9月が併用で、海外の大学と単位互換制度(ダブル・ディグリー)をやっているので、4月入学の9月卒業とか、9月入学の4月卒業とか、弾力的にやっています。4月と9月の両方に入学するのは決して悪くない。早く大学はそういう風になったらいいなと思っています。しかしながら、小中高の4月入学は、今、いじることではありません。

今、一番議論すべきは、入学時期ではなく、入試時期です。

大学入試の時期は、いまの1月~3月から、4月以降にしたほうがいいと思います。これは、以前から公立高校関係者が唱えていたように、大学入試が高校3年生の2学期、3学期の学びを非常にゆがめるという主張にも沿っている。高校の課程がほぼ終了してから、大学入試をやるのは、スケジュールに余裕ができて、よりフェアになります。AO入試も含めて、しっかりと議論をしたほうがいい。

入試時期を変えるとなれば、卒業時期を、春卒業と秋卒業の併用にすればいい。現行制度でも、定時制の修業年限は3年以上となっていて、最終年は9月末卒業も制度上可能です。私は、全日制高校も、定時制同様に、修業年限を3年以上として、必要に応じて、3年半の高校や高校生が出てきてもいいと思います。履修主義と修得主義の折衷です。

修得主義は、現行でも高校卒業認定試験や技能審査を使って単位取得できますので、これを拡張して、すでに教育目標レベルを修得できている生徒には、その科目の単位を授与する。それで、3年間で単位取得できた生徒は3月で卒業、間に合わなかった生徒は半年卒業を伸ばすという方法も取れると思います。3年半かければ、もっとしっかり学べる生徒も増えると思いますし、教員にも気持ちの余裕が出てきます。

詳細な制度設計はともかく、私が言いたいことは、特効薬がどこからか降ってくることを求めてしまう、この議論の仕方がおかしいということです。議論がごちゃごちゃで、整理がされていないのも困る。9月入学問題といっても、小学生と大学生では、全然話が違うわけです。

思考力というのは、解決しなければいけない問題の発見と設定をしっかりやり、その解決策をいくつか提示して、それぞれのメリットやデメリットを分析することです。最終的に100%の正解はないので、目指すべき目標、重視すべき価値を確認しながら、いろいろなことをてんびんにかけて、取捨選択の判断を決めていく。これが科学的な問題解決の手法です。

こうした思考力と問題解決の手法を身に付けていくのは、まさに探究的な学びそのものです。それを高校である程度やれるようになって、大学で磨きをかけていくのが、学習指導要領の改訂や高大接続改革の目的です。そうした思考力と問題解決の手法が日本人に足りないことが、9月入学の議論で典型的に露呈してしまいました。

9月入学の話は、政争の具になるのが最も不幸です。また世の中が分断されてしまう。政治は黙っていたほうがいいと思います。関係当事者が濃密に集中的に議論して方向性を出すのがいい。今やるべきは文科省による中央集権の仕組みを解体して、自律分散協調型と言われる、個別の判断を重視した意思決定を実現することだと思います。9月入学の議論が提起されたことはよかったと思いますが、拙速に決めてはいけない。この議論は、日本社会がしっかりと思考しながら物事を決めていけるように生まれ変わる、その契機にすべきです。

そのためには、校長たちが決めるのが一番いい。校長会の幹部が決めるのではなくて、校長会の幹部たちが、高校5000校、中学校1万校、小学校2万校の校長たちと、本当にちゃんと対話して議論することです。各学校の校長はそれぞれの学校の児童生徒や保護者、あるいは地元の関係者を相手に、自分が決断するという自覚と責任感を持って、まさに主体的に対話的に深く考える校長になってもらいたい。

9月入学の議論には、本当に長い歴史があります。出ては消え、を繰り返してきました。十分な時間がある時に、議論も含めて準備をしてこなかったつけが、いま表面化しています。特効薬が降ってくることを求めるような現在の議論をみていると、いまの日本人全体に学習指導要領が目指す「生きる力」が本当に足らないと痛感します。

児童と教師のメンタルにもっと配慮を
――休校中、学校再開後を通じて、新型コロナウイルスから児童生徒と教員をどう守っていきますか。

「3密」(密閉、密集、密接)もさることながら、児童生徒のメンタルに気を付けないといけません。心と体の健康というトータルが大事で、これは教員も同じです。

ホームルームだけでもいいから、児童同士のコミュニケーションは一刻も早く再開した方がいい。学習指導要領上の知識・技能の遅れも問題ですが、プライオリティが全然違う。とにかく子供たちが友達と一緒に伸び伸びと雑談するのが一番大事です。

学びの保障にしろ、9月入学にしろ、今の関心の持たれ方は、論点がそもそもずれている。学力は心身の健康が確保されてモチベート(動機付け)されたら、すぐに上向いていきます。東日本大震災では、半年間学べなかった子供が、むしろそれで奮起して、その1年後にものすごく伸びた例がたくさんあった。スイッチが入った後の中学生、高校生の学びは本当にすごい。

むしろ、いまの状況では、メンタルを含めて子供たちが壊れないことが大事。それには友達です。教育現場では教員と生徒のコミュニケーションの話ばかりしていますが、子供たちは何で学校に行くかといえば、友達と会いに行っているのです。休み時間のために学校はあると言ってもいい。

オンライン授業が進んだとき、オフラインの学校が最後まで残るのは、結局そこだと思います。オフラインの自由時間は、ソーシャライゼーションの時間になる。みんなで他愛のない話をして、友達と出会い、仲良くなり、けんかもし、仲直りをして、涙を流して卒業する。仲間は散り散りになっても、そこでできた絆はずっと残るでしょう。

学校って何なのか。教育って何なのか。知識・技能よりも大事なことがある。突然の休校が長期化して、それが改めて確認されたと思う。

ここはやっぱり校長が学校再開に向けて頑張ってほしい。7月や8月まで子供たちを孤立した状況のまま放置していいのか。校長の覚悟を見せてほしい。

子供たちを常に減点しながら評価している教員たちは、自分が評価される側になった時には、減点を恐れてすごく自己防衛してしまう。怒られそうなことはなるべくやらないようになる。結局、何もしない方がいいね、となる。高校野球がその典型です。

問題の構図はここにある。オンライン授業をやろうとしても、最初はつながらないことが多いし、どうしても不具合がある。クレームがぐわーっと来るかもしれないから、学校管理職は先回りして失点の最小化を図ろうとする。そうやってオンライン授業が先送りされ、分散登校による授業もなかなか軌道に乗らなくなる。

そうすると、真面目な教員は、今度は自分で自分を責めてしまう。教員の安全では、そこが一番問題です。相当頑張っているのに、自分はできてないと考えてしまう。日本の教員は自己肯定感とか自己効力感が低いので、真面目な先生であればあるほど、バランスを崩してしまう時がある。そういう教員のメンタルも考えないといけません。

3密については、日本人は手も洗うし、マスクする。マニュアルもちゃんと出ているので、対応はそんなに難しくないでしょう。学校は、教室をもっと広く使うとか、学級のサイズを小さくして、12人学級ぐらいにすればいい。そんなに問題ではありません。外遊びのときは、思い切り走り周ったらいい。それが難しい状況になったら、再度、休校する。その判断は、知事の仕事と責任です。

コミュニティ・スクールをもっと活用すべきだ
――このコロナ危機から学んだ教訓は何でしょうか。

危機の時は、その人、その組織、その制度が持っている実力・実態が露呈します。教育の情報化については、今まで準備を怠ってきたことに尽きます。本当に残念なのは、10年前にその議論は提起して、地方交付税も確保しているのに、それを使った首長と、使わなかった圧倒的多数の首長がいたということです。

一番いけないのは市議会です。教育に予算が付いているに、それを横取りした。そういう市議会議員を選んだのは市民です。そして、メディアも問題を見過ごしてきた。いまの大人は、子供たちに対してざんげしないといけないと思います。同じ東京でも、渋谷区とそれ以外の区で全然環境が違います。渋谷区民は、よい区長を選んだということです。

学校のICT環境整備はこれで一気に進む。それはいいけれども、教育ICTの整備費は、もともと地方交付税だから地方分権になっているのに、地方議会にはこうした分野に先見の明がない。地方議会の選挙では、全体の投票率が低い中で高齢者が占める割合が高いので、シルバー民主主義の構造になっている。結果的に子供たちの利害が劣後して必要な政策がとれなくなっています。新しいテクノロジーを取り入れて、子供のためにイノベーティブな政策をとろうとしても、地方政治に対応を任していると遅れてしまう。ここを何とかしなきゃいけません。

地方政治に大きな責任がありますが、保護者にも、できることがあります。そのためには、コミュニティ・スクールをもっと機能させ、活用するべきです。クラスにスマホやネット回線を持たない児童生徒が1人か2人いたら、学校運営協議会で1台か2台のスマホをどうするか考えて決めればいい。いい校長だったら、学校運営協議会の会長にこっそり頼んで、「学校運営協議会からこういう提案をしてもらえないか」と根回しできるはずです。

例えば、藤原和博さんが東京都杉並区の和田中学校で校長だった時や、陰山英男さんが広島県尾道市立の土堂小学校の時に、電子黒板を早く入れたかった。けれども、行政から出てくる資金を待っていると、それだけで3年かかってしまう。それで学校運営協議会に寄付を募ってもらい、電子黒板を入れた。

卒業生が学校に緞帳やピアノを寄付しているなら、それを前倒ししてスマホやタブレットを数台買ってもらい、持っていない家庭の児童生徒に貸与すればいい。「その代わり、卒業の時には学校への記念品はなしね」というディール(取引)をすればいいのです。入学式や卒業式に呼んでいる地方議員に動いてもらってもいいでしょう。

これらは校長がちょっと頭を働かせればできることです。新学習指導要領が目指す「生きる力」とは、そういう現実に向かい合う能力のことです。でも現実には、多くの校長は減点主義の金縛りにあっていて、「生きる力」を発揮することができないのです。

こういう対応力の差は、3月に休校が始まってから3カ月間で、さらに大きく開いています。熊本市は市内全ての小中学校で双方向のオンライン授業をスタートさせましたが、渋谷区やつくば市のように以前から準備していたわけではありません。危機に及んでの対応力の違いが、わずか3カ月で表面化しました。

オンラインとオフラインのベストミックスを目指す
――今後、学校はどう変わっていくべきでしょうか。

休校の長期化で露呈したのは、授業を再開しても、教師から児童生徒に対して、一斉に一方通行で伝えるだけならば、テレビで NHK for School を見ていても同じだということです。3月に一斉休校を始める前の授業だって、落ちこぼしはあったはずで、学びの保障が完全にできていたわけではなかった。多くの教員はそれに気が付かなかったか、見て見ないふりしていただけです。

学校再開に当たって、休校前の今年2月時点の学校に戻すことだけに執着してはいけません。一斉に一方通行で伝える授業にただ戻してしまうのは、絶対にやめたほうがいい。

大事なのは、児童生徒への個別対応です。オンラインとオフラインのいいところをそれぞれ理解して、ベストミックスを目指すことが大切です。

例えば、質問は、オンラインになって、ものすごくやりやすくなっている。大学生に聞くと、「全員が一列目の席に座っている」と言います。全員が先生のすぐ前の席に座っている感じがするから、質問しやすいし、ちょっとしたつぶやきもできる。

こういう教師と児童生徒の関係はぜひ生かした方がいい。知識・技能の習得は、世の中にある巨額の制作費をかけたコンテンツを好きなだけ使えばいい。

けれども、学びのモチベーションだとか、分からないときのつまずきを拾っていくといった、公正に個別最適化された授業の大切な部分は、やっぱり教員がオフラインで児童生徒の表情をみながらやっていく必要がある。そういう face to face、あるいは少人数のコミュニケーションが早く復活されないといけない。

今後も大中小の災害が起きる。台風が来ると、今は大雨強風警報が出るまで休校できませんが、オンラインとオフラインのベストミックスができていれば、大雨注意報の段階で「明日は学校なしね」と言えるようになります。児童生徒だけではなく、教員だって大変な思いをして学校に通勤しなくても、「明日はオンラインに切り替えましょう」で済むようになります。災害のリスクも減ります。

挽回法を考え、逆境と向き合う力を養う
――今、学校現場に伝えたいことは何ですか。

本当にピンチをチャンスにしてほしい。2月に休校するまでの学校が、理想的だったのでしょうか。そんなことはないはずです。だから、そこに戻せば万々歳というのはおかしい。もちろん可能性はあったけれども、いろんな課題を解決できずに、問題も抱えていました。

この機会に学校とは何か、教育とは何か、もう1回考え直してほしい。あるべき学校、教育、教師、生徒というものをもう1回、一人一人の教育関係者、保護者が考え直して、今回の事態をチャンスに本当に変えて欲しい。

今回の学習指導要領の目指すのは、板挟みとか想定外に動じず、それと向き合って仲間とともに乗り越えていける人間の育成です。これからはVUCA(ブーカ)の時代で、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)に満ちている。今回の新型コロナウイルス感染症のような事態は、たまに起きるわけではない。天災人災含めて、そういう事態が頻発する社会を生き抜く力が必要で、そのために高大接続改革をやろうとしたわけです。なぜ学習指導要領の改訂や高大接続改革をするのか、もう1回、みんなに考えてほしい。

新型コロナウイルスの感染拡大で、ただジタバタしている人と、ジタバタせずに、大変だけども、修羅場と向き合えている人との差がすごく付いています。この事態から学べることは、ものすごくいっぱいあります。

例えば、遅れの取り戻し方を創意工夫してほしい。人生の中では、いろんな意味で遅れることがある。その時にどう挽回するか、メタレベルを上げて考えてみる。それが「生きる力」であり、レジリエンス力ということになります。新しい挽回法を考える中で、新しい学びのイノベーションが出てきます。

そうやって、挽回法を身に付けた子供は、これからの人生、多少遅れてもジタバタしなくなるでしょう。次の想定外が起きたときに動じなくなり、仲間と一緒に乗り越えていけるようになります。こういうプロジェクト・ベースド・ラーニングをやってほしい。

今年の探求のテーマは「挽回」です。学力を挽回する生徒もいるでしょう。運動部の生徒なら、練習できなかった分をどう挽回したのか考えて実践すればいい。高校生なら、まず自分の挽回をやって、次には小学生や中学生の挽回を助ければいい。自分の後輩を助けたっていう自信は、高校生にとってこれからの根っこになります。

これから「コロナ世代」という言葉ができてしまうでしょう。でも、それを「ゆとり世代」のように揶揄(やゆ)や自己否定の言葉にしてはいけない。「挽回力がある」「危機対応能力がある」といったポジティブ評価になるようにするにはどうしたらいいのか。それを考えて実践することが、保護者も含めた教育関係者自身の挽回力になるはずです。

誰でも人生の中でいろんな状況に置かれる。逆境に置かれた時に、それにどう向き合うか。克服までいかなくても、逆境と向き合う力が大切です。これがOECDがEducation2030に盛り込んだ「緊張とジレンマを克服する力」(Reconciling tensions and dilemmas)の意味です(※)。

校長も教育長も、あるいは新入の教員も、逆境と向き合う力を意識してほしい。逆境と向き合っている先生の周りには、その背中を見て、逆境と向き合える児童生徒がおのずと育つ。こうやって知恵を出すんだとか、こうやっていろんな人の話聞くんだとか。自分一人で知恵が出ない時には、みんなで相談するとか。こうやって先生は逆境を乗り越えていくんだなと児童生徒に伝わるはずです。

※OECDは、国連が2030年に向けた目標として示した持続可能な開発目標(SDGs)の教育分野における指針として、ポジションペーパー「OECD Education2030」(学びの羅針盤)をまとめている。そこでは「生き抜く力」について、「新しい価値を創造する力」(Creating new value)、「緊張とジレンマの調整力」、「責任をとる力」(Taking responsibility)の3つに分類している。

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