【一斉休校でも学びを止めない】学校のブラックボックス

自ら主体的に学び、自らを成長させることを楽しめる人。東京都小金井市立前原小学校の蓑手(みのて)章吾教諭は、自身のアクティブラーナー像をこう定義している。本来、子供たちはみんなアクティブラーナーであったはずなのに、学校教育の出口で「勉強嫌いの子供たち」が作られてしまうのはなぜか。インタビューの2回目では、「学ぶこと」について聞いた。(全3回)

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学校がつくる子供たちのネガティブな学習観
――なぜ「学ぶことが楽しい」と学校教育で思わせられないのでしょうか。

小学校に入学する前までは、子供たちは「遊び」と「学び」の区別がありません。遊びを通じて学び、同じように楽しめていたと思います。それが義務教育というシステムの中に入ると、小学校卒業までの6年間で「遊び」と「学び」が別のものに区別され、「勉強とは我慢してやるもの。楽しいものではない」という学習観を持ってしまう子が少なくないと思います。

なぜ、このようなことが起こるのか。僕は、学校の教育システムというブラックボックスによって、学ぶことを楽しめない子供たちが育成されてしまっていると感じるのです。

なぜ、大人は子供に勉強をさせるのか。保護者も教員も、頭のどこかに「机に向かって勉強をするのが良い子」「良い就職をするために良い大学に入る」といったイメージをなんとなく持っていて、その結果、子供たちにとって、「勉強が大学入試を突破するための苦行」のようなものになっているのではないでしょうか。

「学びの定義を拡張していきたい」と語る蓑手教諭

「勉強が終わったら遊んでもいいよ」と言うことはあっても、「遊びきったら勉強してもいいよ」と言うことはあり得ないと思います。勉強をせずに遊び続けている子供を見ると、楽しく遊んでいる姿をほほ笑ましく思う半面、勉強をしていないことに対する不安が生まれるような感覚はないでしょうか。われわれ大人の中に、「勉強はつまらなくても当たり前。でもやらなければいけないもの」という、暗黙の前提が出来上がっているのかもしれませんね。

実は、僕自身もずっと勉強が嫌いでした。大学に入るまで、勉強はコスパ重視。いかに要領よくやって、最小の勉強時間でギリギリ試験をパスできるかという感じでした。もっとたくさん勉強したいとも思わなかったし、「大学受験を乗り越えて、早く勉強から解放されたい」という気持ちもありました。

日本人の多くが、大学入試を終えると燃え尽きてしまい、社会に出てからは学ばなくなるという研究結果の裏には、学校の教育システムというブラックボックスがつくり出している「勉強に対するネガティブな学習観」があるのではないかと感じます。

「好きなことを学ぶのは純粋に楽しい」と感じた大学時代
――勉強嫌いだったのに教師を目指されたのはどうしてですか?

小学生の時に、課題が早く終わった子はまだできていない子を手伝ってあげる「ミニ先生」という取り組みがありました。僕が、いわゆる「勉強が苦手」とされる友達に、アニメや漫画のキャラクターに例えたりしながら面白おかしく勉強を教えてみたら、「蓑手の教え方はすごく分かりやすい。お前が先生だったら良かったのに」と言われたんです。それをきっかけに、教師を目指すようになりました。

素晴らしい先生に出会って教師を目指したのではなく、「今の先生たちの教え方では勉強を楽しめない子供がいるから、もっと楽しく教えられる先生に僕自身がなりたい」というのが動機だったんです。だから、勉強そのものは好きではなかったし、教員を目指すために必要なギリギリの量の勉強しかしてこなかったんですよね。しかし、大学に入ると急に学びが楽しく感じられるようになりました。

――どうして楽しく感じたのですか?

まず、大学の教育は、押し付けがましくないと感じました。高校くらいまでは、先生も良かれと思って「良い大学に入れてやろう」とか「将来のためにこれは学べ」みたいなことがあると思います。以前は僕の中にも先入観があって、先生は常識の塊で、良くも悪くも面白みに欠ける存在というイメージでした。だから、僕みたいにちょっと変わった人間が先生になってもいいだろうと考えていました。

一方で、大学の先生は授業が全く丁寧ではなく、いつも自分が好きでやっている研究に没頭していて、「興味があるなら教えてやってもいいよ」というような、学生に教える方は片手間な雰囲気もありました。でも、大学の先生の関わり方がどうであれ、僕自身は「楽しく教えられる先生になりたい」と思って教員を目指し、まさにその「教え方」を学ぶ勉強ですから、本当にその時は楽しかったですね。

大学の先生は、学生である僕に「一人の人間」として対等に接してくれました。それも、「押し付けがましくない教育」と感じた要因の一つかもしれません。好きなことに没頭している先生が僕にはとても魅力的に見えたし、その大学時代の経験によって、僕の中の「教師像」が少し変わったように思います。「常識の塊としての立派な先生」ではなく、もっと自分自身の個性を出して楽しんでいいんだと。

「学び続ける力」だけが残ればいい

一方で、小学校の教員だと、自分の個性を出していくのはなかなか難しいかもしれません。学習指導要領にある各教科の到達目標をこなし、教えるべき教科・科目を教え終わるためには、学びが押し付けがましくなってしまうのは仕方がない部分もあります。現在の「教えるべき範囲」は、すごく膨大ですから。

僕は特別支援学校に勤務していた時期があり、なんとかしてさまざまなハンディを抱える子供たちに「掛け算」を教え込もうと、もがいていたことがありました。その時ふと「今この子に必死に掛け算を教えることが、果たしてこの子の幸せな人生につながるのだろうか。つながらないとしたら、この子が苦しい思いをしながら掛け算を覚えさせられる経験って、一体なんだろう」と葛藤を感じてしまいました。

休校になっても生徒の学びは止まらなかった

世の中の変化の速度が加速していく中で、今学校で教えていることが子供たちの将来に役に立つのか、僕には全く分かりません。ICT化が進みAIなどが台頭してきた時に、どんな力を持っていたら幸せな人生を生きていけるのかを、今知ることはできないでしょう。それは誰にも分からない。

でも、どんな世の中になったとしても、その時々で必要なことを学んでいけばいい。「学ぶことで自分を成長させられる力」だけが残ればいいのではないかと思うんです。それなら、自分が成長するための学びの対象は何でもいい。

「これとこれを覚えなさい」というような押し付けがましい学びを、「嫌だな」と感じながら我慢する訓練を強いることに意味はありません。子供たちには、自分の好きなことを通じて自分を成長させる経験を重ねることで、本当の意味でのアクティブラーナーになっていってほしい。それが、人生100年時代において楽しく幸せな人生を切り開いていくために必要な、唯一の確実な力だと思います。

(森田亜矢子)

【プロフィール】

蓑手章吾(みのて・しょうご) 東京都小金井市立前原小学校教諭。全国に知られるICT先進公立校である同校は、総務省「次世代学校ICT環境の整備に向けた実証(スマートスクール・プラットフォーム実証事業)」の指定校。蓑手教諭は、3年間にわたって同校の研究テーマである「21世紀を拓く『新しい学び』の創造」の研究推進委員長を務め、ICTを活用したアクティブラーナー育成を実践している。共著に『全員参加の全力教室2』(日本標準)、『知的障害特別支援学校のICTを活用した授業づくり』(ジアース教育新社)などがある。


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