【放課後の学びを変える】障害者の就労と子供の居場所

子供だけでなく大人も学べるユニークな学童保育を各地で展開している「merry attic」(メリーアティック)の上田馨一(かいち)代表。インタビュー第2回では、元ミュージシャンという異色の経歴を持つ上田代表が、障害者福祉の現場を経て、どのように今の活動にたどり着たのか、そのキャリアに焦点を当てる。

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学童保育への挑戦は縁とタイミング
――これだけユニークなプログラムをやって、情報発信も積極的だと、メリーアティックに行かせたいという保護者もいるのではないでしょうか。

設立した当初は、「公立の学童保育に入れなかった」とか「夜遅くまでやってくれている」という理由で利用する人が多かったのですが、最近は、保護者同士の口コミや動画などを見て、メリーアティックを選んでくれる方が増えていまして、定員を超えそうなところも出ています。

保護者との関係づくりはとても大事にしています。私は前職で障害者福祉の仕事をしていたのですが、その頃からサービスを提供する際は、利用者やその家族に寄り添わないといけないと感じていました。そういう気持ちがスタッフにも共有されていないと、「支援してあげている」という上から目線が、その場の雰囲気となって全体に伝わってしまいます。

――そもそも、なぜ学童保育をつくろうと考えたのですか。

ミュージシャン、障害者福祉の現場などを経て、学童保育にたどり着いた上田代表(上田代表提供)

障害者福祉の仕事をしていた頃から「起業したい」という気持ちはあったのですが、その当時は学童保育の存在すら知りませんでした。ただ、何か団体をつくるにしても、これまでの経験を踏まえ、福祉領域のことをやりたいとは思っていました。

そんな折、勤めていた障害者福祉団体の理事から学童保育のことを教えてもらいました。妻が幼稚園教諭の免許を持っていたこともあり、設立のハードルが一番低そうだと考えたのです。

偶然、当時住んでいた埼玉県川口市に隣接する戸田市で、学童保育の民間事業者を募集しているということをネットで知り、戸田市役所へ相談に行きました。海のものとも山のものともつかないような夫婦が突然、「学童保育をやろうと思っている」と訪ねて来たわけですから、窓口の人は不審に思ったことでしょう。

幸運なことに、他に新規事業者の参入がなかったため、すんなりと戸田市で学童保育をオープンすることが決まりました。縁とタイミングに恵まれたのです。

――メリーアティックを始めた当初は、どんな苦労があったのでしょうか。

新規参入でしたから、4月1日に子供が集まるのか、最初はひやひやしていました。子供が10人を下回ると補助金が出ませんから、そうなれば破産も同然です。当初の予定では、受け入れ対象の小学校は3つあったのですが、そのうちの1校からは子供が全然来ませんでした。

一方で、少し離れた所にある小学校は、学童保育の待機児童が爆発的に増えていました。そこで、その学校の子供たちを車での送迎付きで受け入れることを特例的に認めてもらい、何とかオープンできました。

遠足に出掛けることも多い「メリーアティック」(同)

オープンしたばかりのころは右も左も分からず、子供たち自身も学童保育での過ごし方に戸惑っている印象でした。学童保育がどのような場なのか、大人も子供も分かっていなかったような状態で、プログラムをやるどころではなかったですね。

子供を1日中預かることになる夏休みを乗り切って、やっとメリーアティックというチームとしての形ができた感じです。そして、その頃には2つ目のメリーアティックの開設に向けて準備が始まっていました。

当初、3年くらいは軌道に乗せることを最優先に考えようと思っていたのですが、拠点が1つだけだとスタッフのやりくりも難しいし、戸田市内では待機児童が爆発的に増えていました。そのため、割と早い段階で拠点を増やすことを考え始めたのです。

学童保育が障害者就労を支援
――障害者福祉の団体では、どのような仕事をしていたのですか。

先ほど話に出てきた団体の理事が、フロンティア精神にあふれた人で、今ではかなり当たり前になっていますが、各企業を回って障害者を雇用してもらう仕事を早くから始めていました。

例えば、廃品回収業者に出向いて、資源とごみの仕分け作業に、自閉症の人を雇ってもらえないかと交渉します。試しに仕事をしてみると、すごい集中力を発揮して仕分けをしたりするので、うまくいけば雇用につながります。まだ障害者の法定雇用率が問題にすらなっていない時代でしたが、私はその理事と一緒に障害者の就労先を開拓していました。

振り返ると、大学を出てからも続けていたバンド活動や障害者の就労支援の仕事が、今の自分の中で大きな原動力となっています。人と人をつなげたり、人に何かを伝えたりすることをしたかったのだと思います。

バンドが解散した後、一時期は広告代理店で働いていたのですが、「お金を稼ぐ」という感覚が肌に合わなかったこともあり、長続きしませんでした。そんな折、ハローワークに行って求人を探していたら、たまたま障害者の就労支援の仕事があった。たったそれだけの理由で障害者福祉の現場に入ったら、そこで尊敬できる理事と出会い、志が芽生えたのです。

――メリーアティックでも、障害者委託訓練を主要事業として掲げていますね。

障害者福祉に関わってきたので、活動の場が学童保育に変わっても、何かできないかとずっと思っていたのです。そんなある日、ハローワークの方から「障害のある人が保育関係の仕事を希望しているけれど、就労体験できる場所がない」との相談を受けました。

それで早速、埼玉県の職業能力開発センターに電話をし、障害者委託訓練の受け入れに名乗りを上げたのです。昨年から実施していますが、学童保育や保育所など子供を預かる職場としては、恐らく埼玉県内で初めてではないかと思います。

障害者の就労支援にも積極的な上田代表(同)

初めての受け入れに当たっては、保護者全員に同意を取り、受け入れる側の私たちも勉強しました。結果的に「障害のある人が来て大丈夫か」「仕事の負担が増えるんじゃないか」という当初の懸念が全て払拭(ふっしょく)されただけでなく、彼らを受け入れたことで私たちや子供たち、保護者が障害について理解する機会にもなりました。

これまで、3カ月に1人くらいのペースで、就労を希望する障害のある人が訓練にやってきています。期間は2週間程度ですが、訓練が終わった後に、子供たちが遠足の一環としてその人がいる福祉作業所に会いに行ったこともあります。また、訓練を経て1人がメリーアティックのメンバーとして加わってくれました。

――それはすごいですね。

周りから見たら、そう思うじゃないですか。でも違うんです。私たちメリーアティックのメンバーにとっては、その人が来てくれたことが本当にありがたいことなのです。

共に過ごすと、私たちの側に障害に対する固定観念があったことに気付かされるし、仕事内容によっては私たちよりできる人もたくさんいます。一緒に働きたいと思ったら、「ぜひ来てください」とオファーするだけです。

これからも拠点を増やしていく方針なので、興味がある人はぜひメリーアティックの門をたたいてみてください。

(藤井孝良)

【プロフィール】

上田馨一(うえだ・かいち) 1983年、静岡県生まれ。大学ではバンド活動に明け暮れ、卒業後に「Peach Jam」としてメジャーデビューを果たすも解散。その後、広告代理店や障害者施設で働き、2017年に学童保育「merry attic」を埼玉県戸田市に開設。現在は沖縄県那覇市でも事業を展開するほか、4月からは東京都葛飾区で放課後子供教室の運営にも携わる。


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