米国での初めての生活
2015年4月から1年間、妻・子供2人(幼児・小学生)とともに米ニューヨーク州シラキュースという街で生活しました。40歳を過ぎて初めての米国です。英語もろくに話せないのに、日本人がほとんどいないという街で生活を始めました。いま振り返ると、かなり無謀だったと思います。
実際、交通事故関係で裁判所に出頭するなど、あたふたな生活でしたが、そんなことはどうでもよくなるくらいエキサイティングなことがありました。それは、米国のさまざまな学校を訪問できたことです。
自分が研究していた大学はもちろんのこと、幼稚園や小学校、定時制の高校など、さまざまな教室に入ることができました。また、校種だけではなく、経済的に厳しい地域にある小学校から裕福な地区の小学校まで、さまざまな学校を見ることができました。
本連載(全3回)では、特に私が米国で見たインクルーシブ教育の実際について、そして、そこから見えてくる日本のインクルーシブ教育の特徴についてご紹介したいと思います。
なお、貧困地区の教育の実情などについては、拙著『アメリカの教室に入ってみた:貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』(ひとなる書房)をご覧ください。
米国は州によって教育制度や内容が大きく異なります。本連載の内容は、あくまで私がニューヨーク州のシラキュースという街で見聞きしたことと、ご理解いただければと思います。
インクルーシブ教育の前提が違う
米国の小学校に入って感じた最初の印象は、「インクルーシブ教育を進める、そもそもの前提が違う」ということでした。
もう少し言えば、日本の場合は「同じ」から出発して、インクルーシブ教育を進めようとするのに対し、米国の場合は「違う」ところから出発して、インクルーシブ教育を進めようとする違いがあるという意味です。
このことは、初めて公立小学校に訪問したときに強く感じました。まず人種がさまざまです。白人の子供、黒人の子供、ヒスパニックの子供、アジアの子供……。もちろん、比率は学校によっても異なりますが、しかし日本とは比べ物にならないくらい、さまざまな人種の子供たちがいます。
それは子供の視点で言えば、「肌の色が違う」「髪の色が違う」「髪質が違う」「服装が違う」ことに映ります。
このような身体的な違いに加えて、授業そのものの文化も違います。例えば、授業の途中で「取り出し」指導を受ける子供がいても、本人も周囲の子供も全く気にする様子がありません。なにより授業中にバイオリンの授業を受けられるという選択肢まであるわけですから!
このように、身体的なレベルではもちろん、授業文化やカリキュラムにまで「違い」があふれていました。
もちろん、日本でも外国にルーツをもつ子供が増えてきています。しかし、それでも「肌の色が同じ」「服装も似た感じ」であり、授業も「みんな同じようにする」傾向が強いと言えます。
違いすぎて違いが気にならない状態
さまざまなレベルで違いがあふれていると、人は「違いすぎて違いが気にならない」状態になります。
今思うととても不思議なのですが、私も米国の教室の中にずっといると感覚が変わりました。小学生が髪の色を染めていても気になりません。授業中に帽子をかぶっている子がいても「No Problem」です。
逆に言えば、「同じ」が強いと、少しの「違い」でも気になってしまいます。校則で一律に厳しくしているほど、少しの違いを見つけやすい学校を想像してもらえれば、このことは分かりやすいと思います。
実は、この「違い」「同じ」という出発点の違いは、インクルーシブ教育を進める上で重要な意味を持ちます。第2回で、このことについて述べましょう。
【プロフィール】
赤木和重(あかぎ・かずしげ) 神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。専門は発達心理学、インクルーシブ教育。保育・学校現場に入り、子供や教師の姿に感動し、それを理論化する仕事をしている。著書に『アメリカの教室に入ってみた:貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』(ひとなる書房)、『目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門』(全国障害者問題研究会出版部)など。