「子供を守る」 教員から転身して挑んだ防災教育奮闘記

この7月も豪雨が各地で甚大な被害をもたらしたように、水害や地震など、もはや、いつどこでどのような災害が起きても不思議ではない。長年、南海トラフ巨大地震の発生が懸念されてきた静岡県に生まれ育ち、「自分の命を自分で守れる子供を育てたい」と教師になった中川優芽教諭。しかし、いざ子供たちに防災教育をしてみると、「このままでは自分は子供たちの命を守ることができない」と迷いが生まれたという。そのためいったん教員を辞めて、大学院に入り直し、単身、岩手県釜石市に移り住んで防災教育を研究してきた。この春から静岡県富士宮市立富丘小学校で再び教壇に立つ中川教諭に、釜石市で学んだ教訓や、それを生かした防災教育の在り方を聞いた。


釜石の子供たちを守った下校時の避難訓練
――防災教育に関わるようになった経緯を教えてください。

東日本大震災をきっかけに、高校生のころから毎年2回以上、釜石市にボランティア活動で訪れ、大学時代は復興支援団体を設立し、活動していました。

私の地元である静岡県では長年、南海トラフ巨大地震の発生が懸念されており、東日本大震災の教訓をふるさとに生かしたいという思いもありました。

大学卒業後は、静岡県の小学校教員になりました。当時の勤務校は新校舎になったばかりで、とても頑丈な建物だったのですが、避難訓練の際、児童が「なんでこんな新しくて丈夫な建物なのに、外に逃げなきゃいけないの?」と聞いてきたのです。

釜石小で震災当時の校長にもヒアリングした中川さん(左・中川さん提供)

その疑問に対して、これだと思う適切な答えが私には出てこなかった――。このままでは子供たちの命を守る自信がないと感じ、防災教育について学び直す決断をし、いったん教職を離れて大学院に入り直しました。

そして釜石市と慶應大学の連携協定に基づく「地域おこし研究員」として、2年間、釜石市に実際に住みながら防災教育について研究してきました。

――実際にどのようなことを研究したのですか。

釜石市は東日本大震災による死者・行方不明者が1000人以上と、大きな被害が出た地域です。その中で、184人の全児童が無事だった同市立釜石小学校の取り組みを2年間、近くで見させてもらいました。

釜石小は、学校は浸水区域ではないけれども、学区は浸水区域というところです。震災が起きたその日は、学年末の短縮授業で児童は午後1時には下校していました。つまり、地震が起きた時には学校管理下にない状況だったにも関わらず、児童全員が無事だったのです。

子供たちは友達の家で遊んでいたり、海で釣りをしたり、普段通りの放課後を過ごしていたのに、なぜ適切に避難できたのか。そこに興味を持ち、研究しました。

同校には、震災当時の避難行動が書かれた子供たちの作文が残っていました。当時の小学生は現在、高校生になっているので、アポイントを取り、作文を基に当時の様子について聞けました。

その中で浮かび上がってきたのが、同校が震災の3年前から行っていたという「下校時の避難訓練」でした。

下校時に市町村防災行政無線からサイレンが鳴ると、児童は場所に応じた避難場所を目指すという訓練を繰り返していたのです。毎回、サイレンはどこで鳴るか分からないので、子供たちはいくつもの避難場所を覚えていなければなりません。

「ここで鳴ったときは、あの避難場所へ」

訓練を重ねることで、子供たちは体で覚え、どこにいても自分で避難場所を判断できるようになっていたのです。

また、釜石小では道徳や社会科での学びもとても重要視していました。道徳では命を大切にする教育を、社会科では自分たちの街を深く知るための教育をしていました。自分たちの街がどういう地形になっているのかだけでなく、街にはどんな人がいるのかを知ることも、避難時にとても重要なことなのです。

「自分ごと」として訓練に取り組めるかどうか
――昨年は地元静岡県の小学校でも、下校時の避難訓練を実施したそうですね。

釜石市で研究を重ねることで、下校時の避難訓練が、津波避難行動に重要であることが分かってきました。しかし当時、静岡県内では下校時の避難訓練をしている学校はありませんでした。

そこで静岡県教委に交渉し、学校は浸水区域ではないけれども、学区は浸水区域であるなど、釜石小に似た条件の学校はないか探していただき、掛川市立千浜小学校を紹介していただくことができました。

千浜小は、津波が浸水してきた時にどのくらいの高さまで水が来るのかをVRを使って学んだり、管理職以外は誰も知らない抜き打ちの避難訓練を行ったり、もともと防災教育に力を入れている学校でした。しかし、登下校の避難訓練はやったことがなく、「それは盲点だった」と私の研究に協力してくださることになりました。

昨年は地元静岡県の掛川市立千浜小学校で下校時の避難訓練を行った(中川さん提供)

昨年度は7月と11月の2回、訓練を行いました。1回目は、「どこ?どこ?」といった感じで、とにかく逃げているだけの児童も多く、中には自宅が浸水区域なのに帰ろうとしていた子もいました。

しかし2回目の訓練では、地震を知らせるサイレンが1回目とは別のところで鳴ったにもかかわらず、前回とは違う最短の避難場所を選択して逃げることができていました。

最短経路ではないけれども浸水区域を避けて逃げていた児童や、避難場所までの道が混雑していたため、別のルートを選んで避難場所に向かう児童など、子供たちは自分で考えて判断し、避難することができるようになっていました。

――防災教育において何が重要だと考えますか。

地震でも、水害でも、一番大切なことは、子供たちが自分で主体的に考え、判断する力を付けられているかどうかです。自分の命を自分で守るには、「自分には関係ないこと」ではなく、いかに「自分ごと」として捉えられるかが大切です。

千浜小で実際に訓練を行った際、私が避難訓練の計画を書くのは簡単ですが、あえて実施計画は同校の教頭先生に書いていただきました。

市町村防災行政無線を使うことにも苦労しました。サイレンを鳴らすことによって、地元住民が混乱を起こすケースもあるので、市の教育委員会の方が何度も危機管理課と交渉してくださり、使用できるようになりました。

こうしたことの積み重ねで、教員や子供たち、教育委員会や地域の方々も「自分ごと」として訓練に取り組んでくださるようになりました。

また、防災教育においては、具体的に考えさせるための工夫も大切です。

例えば、「あなたはショッピングモールにいました。そこに大きな地震がきました。あなたはどうしますか?」ではなく、「あなたはショッピングモールにいます。買い物が終わるまでお母さんにゲームセンターで待っているように言われました。そこで、大きな地震が起きました。あなたはどうしますか?」と、より具体的に落とし込んで問う必要があります。

すると、子供たちは「お母さんに待っていろと言われたから、ゲームセンターで待っていた方がいいのかな」「まず、自分の身を守るために避難した方がいいのかな」と、実際のシーンを想像して、自分がどのような判断をするべきなのかを考えます。また、保護者と一緒に考えるきっかけにもなります。

命を大事にする子を育てたい
――2年間、釜石市で学んだことを、今後どのように生かしていきたいですか。

実際に釜石市で生活してみると、それまでボランティア活動や報道で見聞きしてきたこととは違う事実を聞くなど、住んでみないと分からなかったことがたくさんありました。研究の過程で遺族と向き合う場面もあり、命と向き合うことの重さも経験しました。

静岡から来た私の研究に、釜石市の皆さんがなぜ協力してくれたかというと、「自分たちの経験を次の災害に生かしてほしい」「次の災害で1人でも多くの人を助けたい」という強い思いがあるからです。

「自分の命を自分で守れる子供を育てたい」と話す中川さん(ビデオ会議システムで取材)

多くの方が「静岡のためになるなら」と協力してくださり、インタビューした高校生たちも「自分たちが震災を語れる最後の世代だから」と、思い出すのもつらい当時のことを話してくれたことは忘れられません。

今年度からは、再び教壇に立っています。くしくも、新しく担任になったのは、東日本大震災の年に生まれた3年生です。コロナ禍による休校が明け、クラスの児童に「先生はどうして先生になろうと思ったの?」と聞かれたのですが、私は「命を大事にする子を育てたいからだよ」と答えました。

コロナのこともあり、これまで以上に大人も子供も命と向き合う機会が増えました。もちろん、学校教育では勉強も大切ですが、子供たちと一緒に、命の大切さについても考えていきたいと思っています。それが、災害が起こった時に、自分で自分の命を守ることにつながると信じています。

(松井聡美)

【プロフィール】

中川優芽(なかがわ・ゆめ) 静岡県富士市出身。2017年3月、常葉大学教育学部(国語専攻)卒業。大学では、高校時代の震災ボランティアの経験から、復興支援サークル「結志(ゆうし)」を立ち上げ、釜石市を訪問する活動などを4年間続けた。17年4月に富士市立岩松小学校に教師として赴任。18年4月、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程入学。同年5月に釜石市の「地域おこし研究員」に就任し、2年間研究を行う。20年4月からは、富士宮市立富丘小学校の教員として再び教壇に立っている。


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