【人生の扉を開く起業家教育】勝てる場所を見つける

起業家教育の第一人者である元教師の大西正泰氏は、現在は一起業家として、起業家育成や地域活性化など多彩なプロジェクトを手掛けている。教師時代から「自分で自分の人生をコントロールできることを伝えたい」との信念を持ち、活動してきた大西氏。インタビュー2回目では、教師を志したきっかけや、学校現場を飛び出して知った社会との温度差などの話を基に、教師が困難に立ち向かう姿勢について考える。(全3回)

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自分の人生をコントロールする力
――なぜ教師になろうと思ったのですか。

小学2年生のころに、水谷豊さん主演のドラマ『熱中時代』を見て、教師に憧れました。それからは子供ながらにいろいろな先生の授業を観察して、「この先生は教え方がうまいな」「自分だったらこう教えるな」などと考えるのが日課となりました。

そして何より、自分が幼いころに経験した「自分で自分の人生をコントロールできる」という発見を、教え子たちにも体験してほしいという思いが根底にありました。

実は小学生の頃、薬の副作用で体重が一気に増えました。2年生ごろまではかけっこが一番だったのに、4年生になるころには体形も変わり、思うように体を動かせなくなりました。するとクラスメートとの関係もだんだん変わってきて、幼心に「これまでと同じようにしているだけでは駄目だ」と強く感じたのを覚えています。

大西正泰氏(オンライン会議システムで取材)

サッカー部でもレギュラーになれず、自分自身を客観的に見たときに、中学校に上がったらサッカーでは戦っていけないと悟りました。じゃあ、自分が戦えるところはどこだろうと考えるようになりました。体格に恵まれていて、顧問の先生から熱烈にアプローチされたこともあって、中学校からは柔道部に所属して、どんどん結果を残せるようになりました。

小学校時代は勉強も苦手でした。「どうして苦手なのか、得意な子と自分の違いはどこなのか」と、考え続けて観察する日々でした。そこで気付いたのは、成績が良いクラスメートは机の中が整理整頓されていること。当時の私の机の中は、もちろんぐちゃぐちゃ。

そこでまねしてみようと思って、自分の机の中を整理整頓したのが、勉強嫌いを克服する最初の一歩になりました。勉強の得意な子のまねをするようになり、勉強は好きではなかったですけど、6年生のころにはかなり成績が良くなったのを覚えています。

見方や場所を少し変えてみると、自分の人生が驚くほど変わることを、身をもって経験してきました。

――見方や戦う場所を変えて、自分の人生をコントロールする。社会を生き抜くために重要な要素の一つだと思います。

教師時代、生徒にはよくこう言っていました。「チャンスは準備できている人にしか来ないし、問い掛けられて反応しなかったら、それはチャンスを逃すこと。社会に出ると、逃がしたチャンスは2度と来ない」と。

一部の保護者からは、機会の平等にかけるとのお叱りをうけましたが、これが社会の本質だと思います。学校の中でも受動的な姿勢ではなく、何事も自分の学びに影響があるかもしれないと常にアンテナを張り巡らして、能動的に動く必要があると強調してきました。

教科の学びと比べ、起業家教育では自分の人生をコントロールするヒントを得ているなと感じる子供を発掘できたように思います。勉強やスポーツでは特に目立っていない生徒が、能力を発揮することが多くありました。教師としてこれまで能力を発揮できていなかった子が伸びるのはうれしいですし、何より本人がイキイキとしています。

例えばいつもおとなしい子が、株式学習ゲームの大会で大胆な買い方をして上位に食い込んだり、授業が終わるとどんどん質問しに来てくれたりする姿は、本当にうれしかったです。

私が起業家教育で培いたかった、「自分の人生を変える力」が具現化した瞬間でしたね。

個が強いときこそ変われる
――起業家教育を進める上で、障壁はありましたか。

起業家教育に特に力を入れ始めたのは私立中学校に勤務していたころですが、今でも鮮明に覚えているくらい、かなり大変でした。赴任して1年後、管理職全員が退職しました。そのため、まだ30歳だった私が、教頭の立場に当たる管理職に抜てきされたのです。

周りには自分より経験のある先生も大勢いる中で、対立も生まれました。また、私立である以上、法人としてマイナスを出してはいけないプレッシャーもあり、そのはざまでとても苦しみました。

教師同士がぎくしゃくしていると、それは生徒にも伝わります。学校がとにかく荒れ、放課後は校内をパトロールし、生徒が蹴ったロッカーや天井を修繕するのが日課でした。

起業家教育についても、独自にカリキュラムを作ってどんどん進めましたが、当初は周りの先生から理解を得られませんでしたね。

――最終的には理解してもらえたのでしょうか。

教員同士で対話を進めていくうちに、やっと3年後、仲間だと認め合えるチームになれました。私のやりたいことを真正面から否定するのではなく、意図をくみ取って理解しようとしてくれましたし、とにかく助け合えて、支え合えるチームでした。

そうしていろいろなことがスムーズに進むようになった一方で、個人的に物足りなさというか、違和感を抱くようになりました。個として、前に進む力が落ちているのではないかと思ったのです。

仲が良く、チームに恵まれているからこそ前に進める面もありますが、そこからさらに一歩踏み出すためには、やはり個が強くないといけない。さらに成長できるために何をすれば良いのか、模索し始めました。

それと同時期に、私の起業家教育が評価され、経産省の起業家育成教育プログラムに四国エリアの担当者として参加する機会がありました。それまでは子供相手でしたが、今度は本物の起業家志望者が相手で、周りもビジネスマンばかり。そこに唯一、教育畑の私が放り込まれたのです。

そこで「私は教員の中では頑張っていた方だったけど、社会に出るともっとやれる人がいるんだな」と気付けたのが、大きかったです。

それまでの私は、自分が努力していることにあぐらをかいて、変わろうとしない先生をどこか批判的に見ていたのです。周りを巻き込むためには、対話をして、理解を働き掛けるプロセスが足りなかったのではないかと思えるようになりました。

孤独に悩むうちは、まだやれる
――たくさんのビジネスマンの中で、一人だけ教師。その体験が、その後に大きく影響しているのですね。

私だけがビジネスとはまったく関係のない教育畑の人間だったので、最初の1年間はつらかったですね。例えばイベントをするにしても、それぞれに集客ノルマがあります。改めて社会は、圧倒的な成果主義であることを突き付けられました。

自身の成長のために、学校を飛び出して社会のシビアさを知ったという(大西氏提供)

最後までやり切れたのは、成長したい思いが強かったし、学校という世界だけではなく、もっと俯瞰(ふかん)して自分の動きや仲間の動きを見ることができるようになりたいと考えていたからだと思います。

一方で、ビジネスで求められるシビアさと比べると、学校現場で求められていたものは甘かったと悔しさも感じました。

その後、起業して意識し始めたのは、時給の視点です。ビジネスの世界では、時給単価が評価です。結果を出せば仕事が来る。失敗すれば仕事が減る。自分の24時間をいかに効率良く使うかは、常に考えています。そうした視点を持ちながら働くことは、個の成長にとってとても有効だと感じます。

――教師時代を振り返ってどう思いますか。また、同じように理想と現実のはざまで悩んでいる教員に、アドバイスはありますか。

正直、当時はよく頑張っていたと思いますよ。変化するには個が強くなければいけませんが、学校現場は一人ではできないことが多いですし、難しい環境にあったと思います。

自分への戒めも込めてアドバイスしたいのは、変わらない人を言い訳にして自分が変わらないのは「下の下」ということ。自分がやりたいからやっているのであり、本来は他人がどうこうの問題ではないんです。

だから人に嫌われようが、何をされようが、やらなければならないことを粛々とやる。そこに好き嫌いの感情は不要です。だから「自分は孤独だ」と悩んでいるうちは、まだまだやれるんじゃないかなと思いますね。

(板井海奈)

【プロフィール】

大西正泰(おおにし・まさひろ) 一般社団法人ソシオデザイン理事、吉備国際大学社会科学部経営社会学科講師、地域再生コンサルタント。元社会科教師。私立中学で管理職として“起業家教育”を軸に学校の立て直しに挑むなど、その実践が評価され経済産業省「DREAMGATE」に参加。四国エリアの責任者として起業支援で実績を重ねる。2006年1月に有限会社VentureGenomeを設立。四国における地域再生支援に取り組む傍ら、創業塾講師として全国各地で活躍中。その後、生まれ育った四国徳島の地域再生をしていこうと事業ドメインを変更。12年に一般社団法人ソシオデザインを設立。現在は、徳島県上勝町をフィールドのベースにして、全国各地の自治体向けコンサルティング及び地方創生に関わる講演を行なっている。16年、スローフード日本代表団(イタリア・トリノ)。18年、中小企業庁「創業機運醸成賞」受賞。19年、中小企業基盤整備機構TIP*Sアンバサダー。


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