【日野田直彦×苫野一徳】もっと学びは楽しくなる

コロナ禍において学校と教育をどう再構築していくべきか、さまざまな視点と実践から話し合った武蔵野大学中学校・高等学校の日野田直彦校長と、熊本大学教育学部の苫野一徳准教授の対談。2人は「学校や学びが変われば、もっと教師という仕事や学びは楽しくなる」と、学校現場にエールを送る。最終回は、Withコロナ時代における教師のやりがいや、今後の自身のビジョンについて。(司会・教育新聞編集部長 小木曽浩介)

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教師の仕事はもっとクリエーティブになる
――Withコロナ時代、教員の仕事はどうなっていくと考えますか。

苫野 これまでの150年間、教育がどのようなシステムだったかというと、同じような年齢の子供たちが、みんなと同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、出来合いの問いと答えを勉強するものでした。

コロナ禍でますます明らかになったのは、もうこのシステムが機能しないということ、至るところでパンクしているということです。

「みんなで同じことを同じペースで同じところに集めてやる」ことができないと経験した以上、私は、「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」に構造転換していくべきだと考えています。

その中で教師のやりがいを考えると、私はめちゃくちゃ楽しくなると思うんです。例えば、プロジェクト中心の学びにすると、子供たちは教師も答えを知らない問いを立てるわけです。そんな問いに、先生は子供たちの頼れる「探究支援者」「共同探究者」として一緒に立ち向かっていく。

子供たちは時に失敗もするけれど、もちろんそれでOKだし、そうしたプロセスの中で最大限、子供たちの成長を支えていくことの喜びや、子供たちがどんどん成長していく姿が見られる。こんなに尊い仕事は他にないと思います。

特に中学校や高校の教師は、プロジェクト中心になれば、教科の専門性を生かしたプロジェクトの探究支援ができます。単に決められたカリキュラムを教えるだけでなく、例えば「アフターコロナの教育について考えたい」という生徒がいた場合、歴史の先生は歴史の、数学の先生は数学の専門性を持って、生徒の学びを支えることができるのです。

教師という仕事は、さらに楽しいクリエーティブな仕事になっていくのだと思います。

日野田 実は昨年の12月ごろから、コロナに関して怪しい雰囲気があったので、本校の職員会議では「ここから本当に答えがない時代が来ます」と伝えていました。

「ここから本当に答えのない時代が来る」と日野田校長

その頃から、知識を注入するだけの授業はどんどん削減しながら、「クリエーティビティのある授業をしよう」「PBLをしよう」と学びを転換しつつあったところに、一斉休校となりました。

ともすれば、先生たちは「授業をすること」が仕事だと思いがちです。しかし、先生の仕事とは「生徒のモチベーションを高めること」や、「自己の存在意義を共に考えていくこと」ではないでしょうか。勉強はそのための手段でしかありません。

よく考えてみると、実は学校はすごい組織だと思いませんか。先生たちは、全員が元「学者」です。他分野の学者が、本校であれば70人いるのと同じです。

学者が70人も集まったら、本当はいろんなことが考えられるはずです。でも、なぜか学校に入ると先生たちは「先生のフリ」をしてしまう。研究していた大学生のころは、一人一人がもっとクリエーティブだったはずです。

だから本校の先生たちには、「皆さんが持っているクリエーティビティを最大限発揮したら、絶対に問題解決の糸口は見つかります」と伝え、みんなでいろんな意見を出してもらうようにしています。

そして、生徒たちはそんな先生たちの背中を絶対に見ています。先生がそれぞれに持っている特性と多様性を互いに認め合っている姿は、生徒にとっての勇気にもなると思っています。

公教育はなんのためにあるのか
――お二人の教育理念について教えてください。

苫野 「公教育はなんのためにあるのか」という問いについて、哲学的には「全ての子供たちが自由に生きられる力を育むため」ということができます。

「自由」とは、生きたいように生きられることであって、わがまま放題のことではありません。生きたいように生きられるための力を育むために、公教育はあるのです。

「公教育は全ての子供たちが自由に生きられる力を育むためにある」と苫野准教授

と同時に、自由に生きるためには、他者の自由も認めなくてはいけません。そうでないとお互いの自由がぶつかり合って戦いになり、自分も相手も自由を奪い合ってしまうことになります。

だから、他者もまた同じように「自由な存在」であることを認める、これを「自由の相互承認」といいます。

公教育はこの「自由の相互承認」を実質化するための、最も重要な制度的土台の一つです。私たちの実践、あるいは施策は、本当に全ての子供たちが自由に生きられる力を育めているのだろうか。相互承認の感度を育めているだろうか。ここに常に立ち返れば、ブレないはずだと考えています。

日野田 私は教育に限らず、一番大事なことは、「貢献」だと思っています。要は、一人一人がどうやって社会に向き合うかということです。大きくてもいいし、小さくてもいいから、隣人をハッピーにする。それが大事だと思っています。

他者に対して貢献することは、自己の存在を明確にするためでもあります。特に日本人は、自己の存在が弱く、自己肯定感があまりにも低い人が多い。

失敗をどんどん蓄積していきながら、自分ができる小さな貢献をまず考えてみることです。それこそが、社会全体をハッピーにできる答えになるのではないでしょうか。

Withコロナ時代に取り組むべきこと
――Withコロナ、アフターコロナにおいて、お二人が取り組んでいきたいことはどんなことでしょうか。

日野田 みんなでハッピーになる、そのためにはそもそも何をしたらいいのかということを、もう一回、考え直すべきだと思います。

海外に住んだからこそ分かりますが、日本人は対立を好みません。日本人はディベートなどを勉強する必要はないと、個人的には思っています。なぜなら、日本人の強みは、「こっちにまぁまぁ」「あっちにまぁまぁ」と、「まぁまぁ」と言える唯一の文化を持った不思議な国民性にあると思うからです。

つまり、本当の意味で、相手に対する配慮や優しさを持っている。でも、今の日本はそうじゃなくなっています。だからこそ、本来、日本人が持っている良いところに立ち返るべきです。

私が目指しているのは、イメージとしては昭和時代の学校です。「今日どうやった?」「いや、全然ダメでしたわ~」と言い合える。

「自分がうまくいかないことも言い合える学校を目指そう」と日野田校長は語る

このように、いい学校とは、自分のクラスがうまくいかないことも話せる学校だと思うのです。できないことをできないと言えるのは、お互いが信頼できているからこそ。でも、今の日本の学校は、教員がお互いをマウンティングするようなことが横行し、「ダメだった」「うまくいかない」とは言い出せない学校が多すぎます。

人によって課題意識は違います。私は、その課題意識の集合体こそが、世界を次のステップに上げるはずだと信じています。

そのために、自分のこれまでのノウハウやナレッジ、人脈を生かせて、心理的安全性が担保されながらも、お互いが成長し続けられる場所をつくっていきたいと考えています。

苫野 私は、学年や障害のあるなしで分けられ分断されてしまった今の学校は、市民社会の成熟にとって良くないと思っています。これをもっとごちゃ混ぜのラーニングセンターにしていきたいと構想しています。

そこには多様性が当たり前のようにあり、年齢や時に世代を超えて、一緒に学び合ったり、一緒にプロジェクトをしたりする。こうしたビジョンを描いています。

もちろん、他にも良い理論や考え方は無数にあるはずです。それらを一つ一つ、みんなで検証し合いながら、もっとブラッシュアップして、どのように学びの構造転換を図っていけるかを考え合っていきたい。

今、ビジョンまでは大体描けていると感じています。あとはそれをどうやって実装していくかを、学生は学生の、先生は先生の、行政は行政の、学者は学者の、それぞれの持ち場で、それぞれが自分に何ができるかということを考えていく。そうすれば、きっとそう遠くなく、15年ほどで「学びの構造転換」のある程度のめどが付くのではないかと見立てています。

「こうなったら楽しいよね」ということを軸にしていかないと、物事は良い方には変わりません。このコロナ禍においても、そういったマインドセットになっていくような教育界を一緒につくっていきたいと思っています。

(企画・構成 松井聡美)

【プロフィール】

日野田直彦(ひのだ・なおひこ) 武蔵野大学中学校・高等学校校長。武蔵野大学附属千代田高等学院校長も兼任。帰国子女。同志社国際中高、同志社大学卒。塾ではトップ講師として、学校では私立学校の新規立ち上げなどに携る。2014年に大阪府の公募等校長制度に応じ、大阪府立箕面高等学校の校長に着任(当時全国最年少36歳)。着任3年目には海外トップ大学への進学者を含め、顕著な結果を出す。2018年、武蔵野大学中学校・高等学校の校長に着任。2020年より武蔵野大学附属千代田高等学院の校長を兼任。著書に『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか !?』(IBCパブリッシング)。

苫野一徳(とまの・いっとく) 熊本大学教育学部准教授。1980年、兵庫県生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。哲学者、教育学者。全国で、教員・一般向けの講演やワークショップ、セミナーなどを多数行っている。主な著書に、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『教育の力』(講談社現代新書)、『「自由」はいかに可能か』(NHKブックス)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)がある。学校法人軽井沢風越学園理事。今年度から熊本市教育委員も務める。


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