【木村泰子×井本陽久】教師の生きざまを子供は見る

「先生って何だろう?」をテーマに開催されたオンライン対談。大阪市立大空小学校元校長の木村泰子氏と、私塾「いもいも教室」を主宰するイモニイこと井本陽久氏に、読者から寄せられたリアルな悩みに回答してもらった。「評価」「教師としての自信」「仲間づくり」「職員室」など、教師なら一度は感じたことがあるだろうモヤモヤの正体について考え、これからの教師の在り方を話し合った(全3回)。(司会・教育新聞編集部長 小木曽浩介)

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何のために隣の教師より頑張るの?
――参加者からの質問です。「教師として自分の光るものは何かと悩んでいます。お二人はどうやって見つけましたか」

井本 その問いは、とても大切だと思います。子供が一人一人違うように、教師も一人一人違います。他人のやり方をそのまま、まねするのは意味がないと思います。目の前の子供を見て、自分が感じたことを材料に試行錯誤することが大切なのではないでしょうか。

光るものは何かを考える際に、大きな要素になるのが自分のパーソナリティーです。つまり、努力しなくても当たり前にできること。それは自分ではなかなか気付きにくいんです。逆に自分ができないことばかりに目がいって、それをできている人がとても輝いて見えてしまいます。

井本陽久氏

私は30歳ぐらいの時に自分の子供時代を振り返って、ただただ人を笑わせたい、びっくりさせたい、緊張している人をリラックスさせたい、本当はそれだけにしか興味がないんだと気付きました。人を笑わせたり、安心させたりすることは意識せずにできていたんです。

それならば、これからは生徒指導も授業も、全部それだけでいいやと思いました。そこから本当に楽しい教師人生が始まりました。

私の場合は笑わせることでしたが、先生一人一人に、子供時代から当たり前にやれていることがあると思います。少し振り返ってみてはいかがでしょうか。

木村 教師はとかく、自分の周りを見てしまうんですよね。そして、「周りの先生がこんなに頑張っているから、私ももっと頑張らなければいけない」とか、「この先生のようにやりたいけれど、どうしてできないんだろう」とか考えてしまいます。

大空小開校当初も、いろいろなパーソナリティーを持った先生が集まりました。それは一人一人オリジナルだから、そこに格差はありません。でも、それが指導力となれば、不思議なことについてしまうんです。

公立学校の場合、管理職が評価の権限を握っていて、校長の評価で教師の給料が変わります。校長に良い評価をつけてもらうためには、校長の指示通り、校長の傘の下に入らなければいけない。

でもそこに「校長、おかしいです」と言える人間がいることで、身内の学校じゃなく、パブリックの学校になれます。だから「評価なんてどうでもいい」と言えるような自分に変わらないと駄目だと思います。

――次の質問です。「自分は精いっぱい頑張っているつもりでも、他の先生方の方が頑張っているように感じてしまうことがあります。どのように自分の頑張りを捉えればいいでしょうか。それとも自分と他の先生を比べるのは、主語が子供になっていないため駄目なんでしょうか」

木村 ピンポーン、正解です。隣の先生と比べる必要なんてないんです。

でも、そう考えている先生自身が悪いわけではなく、学校にはそう思わせてしまう環境があります。だからこの質問をくれた方も、夜な夜な教材研究をして、学校に来ない子を来させて不登校ゼロを目指しているのかもしれません。

でも全ては「何のために?」ですよ。「何のために隣の先生よりも頑張るのか」「何のために良い先生になるのか」。これを繰り返し自問自答する作業は、とても大切だと思います。

不完全な自分を受け入れて教壇に立つ
――次の質問です。「仲間づくりについては、どうされていますか」

井本 本当に周囲に助けてもらっていますね。私は他の先生が普通にできることをできないことが多いんですよ。片付けは苦手ですし、「こうやって」と指示されて引き受けた仕事でも、自分なりのやり方でやってしまうのでよく怒られます。以前、職員室で悪臭騒ぎがあってみんなで臭いのもとを探すと、私の机の下から腐ったバナナが出てきました。

ある部署の会議ではその長の先生が「誰か今日の話し合いを文章にまとめて、校長に出してほしい」と言ったのですが、誰も手を挙げないので私が手を挙げました。するとその先生は周りを見て、「〇〇先生、お願いできますか」と別の先生に振ったんです。つまりそういう事務的な作業を私に任せるのが、よほど不安だったんでしょうね。

でもこうやって私に事務作業が回ってこなくなるのは、私にとっても周りにとっても幸せなことで、だからこそうまく回っていくと思うんです。何かができなくても、思っているほどみんな厳しくないし、もちろん、厳しい人もいるかもしれないけれど、みんながそうじゃない。

たしかに学校にはいろいろなプレッシャーや責任があります。特に真面目な人や自分の不完全さを受け入れられない人にとっては、教壇に立つのが苦しいかもしれません。ただ逆を言えば、そんな自分から解放されるチャンスがたくさんある場でもあります。

木村 「先生って何?」「どうやったらいい先生になれる?」と言いますが、全て単なる手段なんです。一番上にある理念は、全ての子供が学校で自分らしく、安心して学べているかどうか。だから、全てをここにつなげて、自分はこれでいいのかと考える癖をつけてほしいんです。

そうすると管理職が主導権を持つ現在の評価システムだって、おかしいと思う。大空小の時は、この評価システムを逆手にとって、職員のチーム力を高めようと働き掛けました。全ての教職員が自己評価できるように、評価基準を明確にしました。

「先生にとって一番必要な力」を評価基準にしました。なんだと思いますか。授業がうまいとか、子供を理解するとか、生活指導がうまいとか、全然関係ありません。評価基準にしたのは「人の力を活用する力」です。

教師には、自分の苦手なところを受け入れて、同僚や先輩、保護者、地域の人に助けを求められる力が必要なんです。しょせん教師という看板を取ったら一人の人間なので、個人の価値観や経験値しか残りません。一方で子供が100人いたら100通りの価値観があります。

自分が授業していて反抗的な態度をとる子がいたとき、「この子にこっちを向かさなきゃ、自分は良い先生になれない」と思ってしまうと、力ずくで向かそうとしてしまいます。机をたたいたり、保護者に言ったり、「給食をおかわり禁止にするよ」なんて脅したり…。

木村泰子氏

まず皆さんには、こんな無駄なことをしていないか見直してほしい。そして、自分一人で全てできるなどという考えは、手放してほしい。

大空小時代、職員室に新任の先生が「校長先生、出番です」と飛び込んでくることが何度もありました。その先生がいくら語り掛けても、子供がまったくそっちを向きません。

私が呼ばれて行くころは散々けんかをした後なので、子供も「だって〇〇先生、僕のこと分からんくせに偉そうに言うねん」と冷静に話してくれます。私は「そうなん、そうなん」と聞いているだけ。

そのうち子供自身が「ほんまは僕も悪いんやけどな」と納得していきます。その様子を新任の先生はずっと隣で見ていて、「今のは校長だから納得したのではなく、校長の言葉と表情で、この子も変わったんだな」と、自分の気付きを得ていました。

若かろうがベテランであろうが、男性であろうが女性であろうが関係ありません。その子供に寄り添える職員室の誰か、地域の誰かを見つけて、つないであげる。それが良い教師の条件なんだと思います。

失敗を発散できる職員室に

井本 そう考えると、子供ももちろんですが、もしかしたらそれ以上に教師が安心して自分らしく居られる場所が必要なんでしょうね。職員室で「私はこれ苦手なんです」「分からないんで、助けてください」と言えるような空気があればいいんですけど。

木村 「良い先生です」という殻をかぶったまま、できないことをできたように見せながら振る舞い続ける。それじゃあ学校に行くのがしんどいじゃないですか。駄目だったこと、うまくいかなかったことは、その日のうちに職員室で発散しなければいけないと思います。そうしなければ次の日、子供たちが安心して学校に来られませんよね。

大空小時代は「さよならメッセージ」といって、子供たちが一言、言葉を書き残して帰っていく風習がありました。ある日、そこに「明日、校長の顔を見たくないから、僕は学校に行かない」と、書いて帰る子がいました。子供たちが帰った後に教師みんなで読むんですけど、担当が楽しそうな顔をして、そのメッセージをみんなの前で音読するんです。

「こんなの書いてますよ、思い当たる節は?」なんて聞かれたので、私が「やってしまったわ。今からその子の自宅に謝りに行こうか」と言うと、周りが「校長が謝りに行ったら、保護者が迷惑ですよ。いや、本人が一番迷惑です」と突っ込まれる。

その後は「じゃあ、この子が一番安心できるんは誰や」「管理作業員の〇〇さんじゃないか」「だったら〇〇さんに帰り道に自転車で彼の家に寄ってもらって、『校長がやり直すって言っていたから、明日来いよ』と声を掛けてもらいましょう」といった形で作戦会議を行いました。

次の日、2階の職員室から教師みんなで、ドキドキしながらその子が校門から入ってくるのを見守りました。私が窓から「ごめんな! ごめんな! やり直ししたよ」と大声で叫ぶと、本人は照れ臭そうに下を向いたまま手をぴゅっと上げて、他の先生たちはそれを見て笑っていました。

大空小の職員室はこんなことの繰り返しでしたし、職員室は本来そうでなければいけないと思います。

生まれ変わっても、また教師に
――最後の質問です。「お二人の教師としてのやりがいを教えてください」

井本 やりがいは人それぞれだし、多種多様です。私にもたくさんありますが、やっぱり授業、教室という場をつくることです。教室に来るまでは緊張していた子が、そこに来た途端にホッと安心して、ありのままの自分でいられる。そんな姿を見た瞬間が本当にうれしいですね。

私が何かをするのではなく、子供同士で絶妙な声掛けをしているんです。みんなが「自分はここにいていいんだ」「自分のままでいいんだ」と安心感を持てば、新たに緊張した子が入って来たときも、状況を察知して声を掛け合う。そんな姿を見ていると本当に幸せになります。私にとってそれが一番の原動力です。

木村 教師を目指している人、すでに教師として働いている人に伝えたいのですが、私は生まれ変わっても、もう一回教師になりたい、先生をやりたいと思っています。

私にとって教師は、最高に生きがいを見つけられる仕事です。大人になる過程の子供に、大人の自分を見てもらえる。こんな仕事、他にありません。大人の自分を目の前の小学生、中学生、高校生、大学生が見ているんです。それは自分が何をできるかじゃなくて、自分の生きざまを見られているということです。

学校や教室の中で一番困っている子を探す目をしっかり持って、その子の前で先生としてではなく、一人の人間として向き合って、対等に対話ができる。周りの評価を気にして、それが原因でつぶされるとか、そんなことはどうでもいい。

教師は人を変えられる職業なんですよ。でも、人を変えるためには、まず自分が変わらなければいけない。お給料をもらいながら自分を変えていけるなんて、とてもいい仕事だと思いませんか。

井本 いい意味で試されていますよね。私も若い頃、反抗ばかりする子供に本当はそう思ってないのに「いいよ、いいよ」と理解した大人のふりをしていた時期があります。でも今になって思うのは、本当に受け入れる気持ちがなければ、その子から尊敬されることはあっても、その子の力にはなれないということです。

大切なのは、本当に心からそう思えているかどうか。心から子供を思える自分になりたいという気持ちや意欲を、いかに持ち続けられるかなんですよね。私は子供たちに変えてもらったし、どんどん楽にしてもらえたし、自分のことを好きにならせてもらえた。子供がいなかったら、何も変われていなかった。教師とは本当にいい仕事ですよね。

(企画・構成 板井海奈)

【プロフィール】

木村泰子(きむら・やすこ) 大きな反響を呼んだドキュメンタリー映画『みんなの学校』で知られる、大阪市立大空小学校の初代校長。同校では「全ての子供の学習権を保障する」という理念の下、教職員や地域の人たちと共に、障害の有無にかかわらず、全ての子供がいつも一緒に学んでいる。退職後は、全国で講演活動などを行う。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」をつくるために』(ともに小学館)など。

井本陽久(いもと・はるひさ) いもいも教室主宰、栄光学園数学教員。栄光学園中高、東京大学卒業後、数学教員として母校に赴任。「鍵メソッド」と呼ばれる独自の幾何教授法や、思考力を重視するアクティブラーニング型授業に約20年前から取り組み、全国の教員や教育関係者が見学に来る。栄光学園の教員でありながら、児童養護施設での学習支援や海外での教育支援にも継続的に関わり、2016年からは私塾「いもいも」教室を主宰。同氏に密着した書籍「いま、ここで輝く。超進学校を飛び出したカリスマ教師『イモニイ』と奇跡の教室」(おおたとしまさ著、エッセンシャル出版社)が出版されたり、週刊誌「AERA」巻頭特集で紹介されたりなど、幅広く注目を集めている。


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