【ウスビ・サコ氏に聞く】空気さえ読めていない若者

日本で初めてアフリカ出身者として学長となった京都精華大学のウスビ・サコ学長。グローバル教育の鍵として「多様性」を挙げ、「お互いの違いから学び合おうという姿勢」の重要性を強調する。しかし一方、みんなが一緒に同じように学ぶ日本では、「小さな違いが認められていない」とも指摘。グローバル化する社会を生きるためには、学校教育の何を変えるべきなのか、インタビュー2回目はその具体策を聞いた。(全3回)

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「小さな違い」を認め合おう
――日本の学校教育では今、多様性を学ぶことやグローバル教育の必要性が問われています。サコ学長は、これらの本質的な意味をどう捉えていますか。

教育では、理論的に教えられるものと、教えられないものがあります。「多様性」については、理論で教えられるようなものではないと、私は思っています。

学校生活ではいろいろな人と関わり合ったり、友人と共にさまざまなことを経験したりしながら学んでいきます。同じ学校、同じクラスでも「あの子とは考え方が違うな」とか、「あの子はこんな風に考えるんだ」とか、小さな違いに気付いていくのです。

そうした小さな違いこそが、実はその人の特徴や個性です。「違い」というのはとても重要で、お互いの違いから学び合おうという姿勢が、多様性の前提です。だからこそ、「小さな違いを認め合える社会が大事だ」ということを、学校教育で教えるべきなのです。

小さな違いを認め合える社会が大事

しかし、日本の学校教育自体が、「違いをできるだけなくしていく」「できるだけ同じようにする」というベクトルを向いています。日本の教育は、みんな一緒に、同じようにやろうとします。小さな違いは認めない。これがこれまで日本の学校教育が言わんとしてきたメッセージではないかと思うのです。

ある問題が分からない子がいたら、居残りさせてでも分かるようにして、みんなに追いつかせる。これでは先生たちも大変でしょう。ある能力が平均には追いつかない場合でも、別の能力が優れているのならば、それを大事に育てていけばいいのです。

日本の教育に関わるようになってもう何年もたちますが、ずっと課題とされてきたのが、グローバル化された社会を子供たちがどう生きていくかということです。

例えば、今回のコロナ禍では、世界中から情報が入ってきていますよね。インターネットの急速な発展により、国境は限りなく低くなっていて、日本にいながらも、私たちは世界とつながっていることを感じます。

そうした時代において、グローバル教育では、まず「自分とは何か」を理解することが重要です。自分を理解し、自分の価値観を大事にした上で、他の国や他の人とは何が違うのかを知る。その上で、何が一緒にできるのかを考えていくべきです。

他国のものを吸収するだけでは、自分のアイデンティティーがなくなり、流されていくばかりです。今、自分のアイデンティティーを持たない若者が多いと思いませんか。彼らは社会に出た後も、言われるがままになっています。

そうではなく、お互いの違いを認め合ったり、自分と向き合ったりすることが大切なのです。そして、それをいかに学校教育の中に組み込んでいくかが、グローバル教育の鍵になると私は考えています。

「空気を読むこと」さえできていない若者
――「自分とは何か」と問うことを、学校教育でもやっていくべきなのですね。

人間は本来、年齢を重ねるごとに自分の好き嫌いや価値観が明確になっていきます。そうしていろいろなことを選択する基準が明確になっていくことは、非常に大切です。しかし、日本の教育は、学年が上がるほど自分から離れていく、「自分とは何か」ということと向き合わなくなるような傾向にあります。

「自分とは何か」と問い、自分の価値観を育て、自分の意思でいろんなものを選んでいく。そうした経験を積めば、18歳ごろには責任のある個に育ちます。18歳で、自分の意思で「この人に投票しよう」と決められる大人に育つわけです。

「学校教育の中で『自分とは何か?』を問う必要がある」とサコ氏

18歳で選挙権だけ与えられて、誰に投票すれば良いかも分からない、個が育てられていない現状の構図は良くないと思いませんか。今の日本の学校は「あの高校や大学に何人受かった」というところにばかりフォーカスされています。この枠組みのままでは、個が見える教育はできないでしょう。

多様性を学ぶ上で、個というのは非常に重要です。子供たちの個をいかに育てるかという教育に、方向性を変えていくべきです。

――日本人は個を出すよりも、「空気を読む」ことを好む傾向があります。

みんなに合わせられる子の方が好かれますよね。もちろん、「合わせる」のも一つの選択であり、能力です。しかし、日本人の「合わせる」の多くは、「諦めて合わせる」なのではないでしょうか。ちゃんと考えて、話し合った上で、「納得して合わせる」ようにしていかなくてはいけません。

本当は言いたいことがあるのに、本当はもっと話し合えば折り合いがつけられそうなのに、「(いろいろ面倒だし)合わせておこう」ということを続けていると、いつか爆発してしまう時も来るでしょう。

また、今の若者は、実は「空気を読む」ことさえできていないと、私は感じています。

「空気を読む」ためには、まず周囲の人が考えていることを正しく理解する必要があります。「空気を読む」とは、自分の意見や考えを主張しないことではありません。

お互いに「合わせる」のであれば、お互いの要求を理解した上で、折り合いをつけていく必要があるのです。しかし、今の若者たちは、それを最初から諦めてしまうことさえあるように見えます。

形式的に教えていることを議論に変える
――個を育てていくためには、学校教育の何から変えていけばよいのでしょうか。

先生たちは、どの教科の授業も形式的にやっている部分が多いのではないでしょうか。そうして形式的・表面的に教え、覚えさせている事柄の中にも、議論の対象になるテーマはたくさんあります。

「形式的に教えるのではなく、もっと議論をすべき」と指摘する

例えば、グローバル社会において、日本はどう位置付けられているのか――。こういう大事なことをさらっと教えて終わってしまっているように思えます。これを情報として教えるのではなく、子供たち自身が主体的に調べて、納得できるまで議論するのです。

つまり、カリキュラムに沿ってどの領域も同じように教えていくのではなく、議論すべきところは議論する。みんなで考えを共有して、議論することこそが、学校でしかできないことです。

学校とは、自分自身が物事を考える上での道具を与えてくれる場所です。子供たちが本を読めば分かるようなことを、わざわざ先生がリピートする必要はありません。ある物事について議論して納得することこそが重要であり、それが個を育てることにつながるのです。

(松井聡美)

【プロフィール】

ウスビ・サコ 京都精華大学学長。博士(工学)。1966年、マリ共和国生まれ。高校卒業と同時に国の奨学金を得て中国に留学。中国・北京語言大学、南京市の東南大学などに6年間滞在して建築学を実践的に学ぶ。1990年、東京で短期のホームステイを経験し、アフリカに共通するような下町の文化に驚く。91年に再来日し、同年9月から京都大学大学院で建築計画を学ぶ。同学大学院建築学専攻博士課程修了後も日本学術振興会特別研究員として京都大学に残り、2001年に京都精華大学人文学部教員に着任。専門は空間人類学。「京都の町家再生」「コミュニティ再生」など、社会と建築の関係性をさまざまな角度から調査研究している。2013年に人文学部学部長、18年4月に同学学長に就任。日本初のアフリカ系大学長として、国内外のメディアから大きな注目を浴びている。著書に『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』(大和書房)、『アフリカ出身 サコ学長、日本を語る』(朝日新聞出版)。


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