【学校に空き容量をつくる】何から始めるとうまくいく?

全員が午後6時45分までに退勤、職員会議の廃止、大学附属校なのに独自研究を基にした公開研の廃止、夏と冬に各10日連続の閉庁日の実施――。50項目以上の業務を見直し、削減した大分大学教育学部附属小学校の学校改革が今、多くの教育関係者から注目されている。2015年度の改革スタート時から同校に赴任し、昨年度からは校長を務める時松哲也氏へのインタビューでは、かつて「ブラック」な職場と言われて異動希望者が集まらず、存続さえも危ぶまれていた同校が不退転の覚悟で挑んだ学校改革の全貌に迫った(全3回)。

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学校存続が危ぶまれ、始まった大改革
――ここまで大胆な学校改革が始まったきっかけは、何だったのでしょうか。

本校の学校改革は、2015年度から始まりました。以前より、文科省は全国の国立大学附属学校に改革を求めていましたが、中でも本校は文科省が指摘する課題が山積しているような状況でした。当時は人事交流も停滞し、存続も含めて厳しいような状況でした。

改革が始まる前まで、本校の教員は日々研究にまい進し、分厚い研究紀要をまとめ、土日に出勤するのが当たり前で、不夜城のごとく朝から晩まで働いていました。

伝統的に行われていた多くの独自行事とその準備にも、多くの時間とエネルギーがかけられていました。これまで築いてきたものも一生懸命守ろうとしていたのです。それに加えて、大事だとされる教育活動も積み重ねられていったため、非常に厳しい労働環境に置かれていました。

ゼロベースで大改革は始まった

さらに、本来であれば国立大学附属学校は地域教育界との連携を図らないといけないはずなのに、それもうまくいっておらず、公立で必要とされている研究ともズレが生じていました。

こうして学校改革は待ったなしの状態となり、大分県教委と大分大学教育学部との間で「附属刷新プラン」が交わされ、大改革の方向性が打ち出されたのです。

――改革当初から附属小にいらっしゃったのですか?

私は改革が始まった15年度に、本校へ配属されました。初年度は4年生の担任をしながら研究主任を務め、2年目からは教頭となり、昨年度から校長職となりました。それまで附属校とは全く関わりがなく、県内の公立小で勤務していたので、打診された際は非常に戸惑ったことを覚えています。

この時、2年かけて附属小の人員がほぼ一新され、私も含めて「附属小を知らない人ばかり」というゼロベースの状況から、大改革はスタートしました。

改革のミッションを明確にする
――具体的には、どのようなことから改革を始めていったのですか。

まず、「附属刷新プラン」の具現化、つまり本校がやるべきミッションの確認から始めました。

「附属刷新プラン」は、本校に大きく3つのことを求めていました。「大分県が推進するグローバル人材の育成」「地域教育への貢献」、そして「業務改善」です。ミッションが明確になったことで、改革の軸がはっきりとしました。

「大分県が推進するグローバル人材の育成」と「地域教育への貢献」については、改革が始まった当時はまだ外国語が教科化されていませんでしたが、先行する形でこれをスタートさせ、その実践事例を公立校で使ってもらえるように授業改善を進めました。

私も本校に赴任するまで公立小に勤務していたのでよく分かるのですが、附属校に授業を見に行った教員の多くが、「すごいなぁ」とか「準備に時間がかかっているし、丁寧だな」とは感じるものの、「でも、うちの学校で実践するのは難しいかも…」と思っていたのです。

改革ミッションに沿っていない業務はスクラップしていった

そうではなく、「この実践はうちと同じ課題意識で取り組んでいるし、公立でも取り入れられそうだ」と思ってもらえるよう、授業改善をしていきました。

「業務改善」については、「本校のミッションに沿っているか」という視点で、全ての業務を見直していきました。すると、「これはミッションからずれている」「これは意味が見いだせない」というようなことが山積しており、それらの業務を片っ端からスクラップしていきました。「伝統的にやってきた」ことや「去年もやっていた」ことも、全てゼロベースで見直したのです。

学校改革を進める上で、ミッションを明確にすることと、改革に耐え得る組織改革を行ったこと、この2つがポイントだったと思います。

組織を変えなければ働き方改革は実現不可能
――組織改革は、どこの学校でもできることなのでしょうか。

できます。むしろ、組織改革をやらない限り、働き方改革はできません。どこの学校も、どこの会社組織も同じだと思いますが、新たなトップが一人来ただけでは、おそらく変わったような雰囲気になるだけで、そのトップが去れば元に戻ってしまうでしょう。

本校では、改革が始まった15年度に着任した当時の校長がその点を非常によく理解していて、まず組織をつくるということに重きを置いていました。

具体的には、校長、教頭の下に、校内の管理部門を統括する主幹教諭と、教員研修や児童指導などの指導部門を統括する指導教諭を位置付け、それぞれに一定の権限と責任を譲渡しました。

そして、この4人で毎日「経営会議」を行い、改革をスピーディーに進め、懸案事項にはすぐに対応できる体制を整えたのです。校長一人では何もできません。だからこそ、校長の意図を理解し、支えながら改革を一緒にやる中心的なメンバーが必要なのです。

また、「経営会議」を毎日行う代わりに、職員会議を全廃しました。その結果、急ぎの案件も含めて「職員会議を待たないと決断できない」という状況はなくなりました。

――他の教員から「トップだけで決めている」といったような不満は出なかったのでしょうか。

本校では、「経営会議」と一緒に主要主任が参加する「運営委員会」も立ち上げました。

「運営委員会」には、「経営会議」のメンバーにプラスして、教務主任、研究主任、学年主任、保健主事など、学校運営に関わるメンバーが入っています。本校の教職員の約3分の1が関わる会議ということになります。

同校が行った組織改革

この「運営委員会」は2週間に1回程度の頻度で行い、「経営会議」と同様に、本校の意思決定機関になっています。

毎日行う「経営会議」の中で、さまざまな方針や方向性を経営会議メンバーが共有しています。ただ、やはり4人の知恵だけでは限界があり、現場の教員の声をきちんとキャッチしきれない時もあります。

そこで、経営会議のメンバーが「運営委員会」で、「このようにやろうと思っている」などと各主任に問い掛け、現場の意見を聞き、必要があれば修正するなどして決定するようにしています。逆に、各主任からアイデアが上がってきて、「経営会議」で決定していくこともあります。

「運営委員会」のメンバーは、いわば本校のミドルリーダーです。校長が示す方針をしっかりと受け止め、具現化していくミドルリーダーの学校経営への参画意識や構想力が、改革成功の鍵を握っています。ミドルリーダーが「自分たちが経営陣と現場のつなぎ役なんだ」と自覚してくれる、そんな体制が学校改革には必要だと感じています。

(松井聡美)

【プロフィール】

時松哲也(ときまつ・てつや) 大分大学教育学部附属小学校校長。大学卒業後、民間企業で営業職に従事した後、教諭として地元の大分県公立小学校に勤務。大分県教育委員会による派遣研修により上越教育大学大学院学校教育研究科専門職学位課程(教職大学院)へ。同課程修了後、大分大学教育学部附属小学校へ赴任。同校で研究主任、教頭を経て、2019年度から現職。同校での学校改革・業務改善などの取り組みは多くの学校、団体、議員からの視察を受ける。19年度には文部科学大臣優秀教職員表彰(組織部門)を受ける。20年春には、5年間の改革をまとめた「学校改革スタートブック」を学陽書房から出版。


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