【ドラマティーチャー】 震災で感じた演劇教育の可能性

私はこの生徒の命を守るために何ができるか――。かつて普通の国語教師だった石井路子教諭(追手門学院高校)は、こう自問自答を繰り返す中、福島県立いわき総合高校で「ドラマティーチャー」としてのキャリアをスタートさせた。

その後、東日本大震災の被災体験を経て生徒がアーティストと作り上げた作品は、演劇界の芥川賞と呼ばれる賞に選ばれるなど、日本全国に演劇教育の可能性を広げてきた。「私にできることは演劇しかなかった、演劇で子供たちと、社会を幸せにしたい」と話す石井教諭に、インタビュー2回目ではこれまでの道のりを振り返ってもらった。(全3回)

この特集の一覧

この子たちに「生きるための教育」を
――もともとは福島県の公立高校で、国語の教員をされていたんですよね。なぜ演劇教育に携わるようになったのでしょうか。

演劇教育は「生きるための教育」と話す石井路子教諭

教科教育では、この子たちの命を守れないと思ったからです。

私は新任時代から生徒とコミュニケーションを取るのが大好きで、自分で言うのもなんですが、授業もいつも全力投球。寸暇を惜しんで教材研究に勤しみ、授業も常に一生懸命の国語教師でした。ところがある日、もしこの子たちが「屋上から飛び降りたい」と絶望にかられたとき、私が教えた国語のフレーズは、それを止めることができないなと無力感にさいなまれたんです。私が教えていることは、この子たちが生きる上で本当に役に立つのだろうかと。

もちろん、教科教育はとても大切です。一方で、これまで学校教育が注力してこなかった、「生きるための教育」の必要性を日に日に感じるようになりました。受験学力を上げるための教育にはみんな血道を上げて取り組むのに、子供たちの心理面にフォーカスして、健やかに生きるための手段を伝えるような教育は、おざなりにされているように思いました。

私が演劇教育に携わり始めた2000年ごろはちょうどインターネットが普及し、非対面でのコミュニケーションが活発化し始めた時期でした。その後、顔を合わせる、直接触れ合うといった、対面でのコミュニケーションが格段に減ってしまいました。実際、人間関係を自力でつくりきれない子供が、年々増えているように思えます。

演劇を通して育みたいのは、生きるための力。つまり自分自身と向き合ったり、他人とつながったり協働したりする術です。そうした力を学校教育でカバーしなければならない時代になっていると痛感しました。

――「命を守れない」と思ったきっかけはあったのでしょうか。

実は、かつて赴任していた学校で、生徒の自死や未遂が相次いだ時期がありました。教師として、この事実をどう受け入れるべきか、私が本当にすべきことは国語の授業なのかと考え続けました。

加えて、その学校は学力レベルが低迷していて、不本意入学の生徒も数多くいました。外部に巡回に行くと「おたくの高校の生徒は素行が悪いから」と、地域の人から冷たい目で見られている悲しい現実を知り、ショックを受けることもありました。問題を抱えた生徒ももちろんいましたが、私の目に映るのは、高校時代の私よりずっとしっかりした生徒たちの姿。大人たちはどうして受験学力だけで安易に差別するのか、こんな差別に負けてほしくない、少しでも気持ち良く学校に通ってほしい…、そんな思いから、一矢報いたいと取り組んだのが演劇でした。

私自身、高校時代に演劇を1年半ほどしており、赴任した翌年には演劇部の顧問に立候補しました。

それまでは目立った活動をしていなかった演劇部ですが、最初は部員と膝をつき合わせて話し合いながら、コンクールの出場に向けて作品づくりに取り組みました。そして、11年目にはとうとう全国大会に出場できるほどになったのです。部員の頑張りを地域の人に知ってもらいたいと、県大会や東北大会に進むたびに、地域で発行している新聞に結果を載せてもらいました。そうした甲斐もあって、年々「〇〇高校も頑張っているね」と地域の人に声を掛けてもらえるようになったのは、本当にうれしいことでした。

震災で痛感した演劇教育の力
――それが原点なんですね。その後、福島県立いわき総合高校で「芸術・表現系列」をつくり、教科「演劇」の教師となったわけですが、立ち上げるまで、相当大変だったんじゃないですか。

東日本大震災での被災経験は石井教諭の教師人生に、大きな影響を与えたという

学校の中でこれをやるのは、とてもハードでした。カッコ悪いし、恥ずかしいからあまり言いませんが、実現するまでに本当にいろんなドラマがあって、戦ってきました。いや「戦ってきた」という表現は、申し訳ないですね。

そもそも学校には、フレームに「収めていく」という役割があるように思います。一方、私たちが演劇教育でするのは「解放させる」こと。ベクトルが真逆で、摩擦が起こるのは仕方がないことです。でも、異なるフィールドを持つ二つの教育が合わさったからこそ、意義があったと思います。

――同校赴任中の2011年3月に、東日本大震災がありました。福島県いわき市は福島第一原発の事故の影響もあり、甚大な被害があったと思います。

私は当時、この災害はとにかく「大人の責任」だと思いました。もちろん、平時から原発があることは知っていて、その危険性も知っていました。でも、私たち大人は放置していたんですよね。絶対起こらないだろうと思っていたことが起こってしまった時に、一番割を食ったのはやはり子供でした。大人は逃げられるけど、子供は逃げられません。さらにいったんは市外に出て行った大人が経済的な理由で戻ってきて、それに連れられて子供たちも戻ってくるようなケースも数多くありました。

当初は放射線量についても、正しい知識が広まっていませんでした。だから正直、市内にとどまる人の中には「自分は被ばくしているのではないか」という切羽詰まった思いを抱えている人もいて、「大人の責任」という思いが重くのしかかってきました。

生徒たちのために、私は何ができるのだろうかと連日考え続けました。そして、何とか学校を再開できて、生徒たちを前にしたとき、「演劇をやりたくてここに集まった子供たちを、まずこの場所で幸せにしよう」と心に決めました。

県内や東京の演劇人たちも支援したいと名乗りを上げてくれて、彼らとフェスティバルをしたり、新しい作品を作ったりしました。とにかく、私にできることは演劇だけでした。

――自身も被災されています。その中で葛藤のようなものはありましたか。

震災後、一番しんどかったのは、地域の中で次第に生じていった温度差です。当初は、みんながひどい目に遭って落ち込んで、お互いに寄り添ってきました。でも、時間がたつにつれて、被災程度の軽い人と重い人の間に温度差が生まれてきました。それが人間関係にも表れ、これまで仲が良かった生徒同士が口を利かなくなったり、原発の立地区域から転校してきた生徒が学校に来られなくなったりしました。私たち自身は差別をしているつもりはないのに分断が生まれ、それをどう埋めればいいのか分かりませんでした。

同じようなことは学校だけでなく、保護者や地域住民の間にも見えました。仮設住宅に住んでいる人と住んでいない人、良い車に乗っている人と乗っていない人、といった具合に、大人たちの心がぎすぎすしていく様を、子供たちは見ていました。そのため、震災以降も被災地にしか分からないつらさやしんどさを抱えながら過ごす子供は、多かったように思います。

私はやはり演劇で何とかしたいと考え、生徒と共に「分断」をテーマにした作品を作りました。アートとは「願いを形にしたもの」だと私は思います。個別の事情を真に理解するのは難しいかもしれませんが、分断を乗り越えたいと願うことでつながることはできるんじゃないかと考えたわけです。つらい気持ちに演劇を通して寄り添い、演じている人や観た人が少しでも楽になるようなものを提供したいと、本当に必死でした。その頃は少しおかしくなるくらい、作品を作り続けていましたね。

高校生が演劇界の芥川賞を受賞
――演劇の授業で、劇作家・演出家の飴屋法水氏が生徒と作り出した、震災をテーマにした戯曲『ブルーシート』で、演劇界の芥川賞とも言われる「岸田國士戯曲賞」を受賞しました。その他にも、被災地の高校生が震災と向き合う公演は、各方面から注目を集めたのではないですか。

『ブルーシート』は授業の一環で出来上がった作品でした。さらにもう一つ、演劇部の生徒と私が協同創作した作品『Final Fantasy forXI.Ⅲ.MMXI(F.F)』は、震災の翌年に文科省の講堂で上演するという前代未聞の公演につながりました。

『F.F』は私たちが震災や原発事故で抱いたぶつけようのない怒りや悔しさを、笑い飛ばすという方法で表現した作品です。当時は政府や東電をやゆして、笑い飛ばすしか気持ちの持っていき場がありませんでした。

別のところでその公演を見ていただいた、劇作家の平田オリザさんに「やゆして気持ちが宙に浮いたままだと、無力感だけが残る。当事者に届ける体験を子供たちにさせないといけない」と文科省に呼んでいただき、公演が実現しました。平野博文文科相、細野豪志環境・内閣特命担当(原子力損害賠償関係)相(役職はいずれも当時のもの)、鳩山由紀夫元総理らの前で、生徒たちは堂々と演じ切り、公演後は平野文科相と懇談しました。

――今は新型コロナウイルスの影響で、学校や社会全体で苦しい状況が続いています。

コロナ禍でもできるだけ、通常の授業ができるように尽力する

今回も強い危機感を抱いています。現在の勤務校でも学校に来られなくなった生徒がいますし、全く変わったそぶりを見せなった生徒にも変化が見えるようになりました。私が一番怖いのは、一斉休校が明けて一定期間を経て、じわじわと子供たちに不調が現れていることです。

およそ3カ月間も家に閉じこもっていたことや、「他人と接触するのは危険なこと」と必要以上に刷り込まれたことの影響は、確実に子供たちの心身に影響を及ぼしているので、早急なケアが必要だと痛感しています。

今は感染対策を徹底した上で、できるだけいつも通りに授業ができるようにしています。マスクをして、こまめに手洗い・うがいや消毒、換気をしての授業なので、完全にいつも通りとはいきませんが、生徒たちの安心した表情や楽しそうな笑顔を見ていると、改めて演劇の力を感じます。

(板井海奈)

※新型コロナウイルス拡大防止のため、インタビューはウェブ経由で実施し、写真撮影は感染防止対策をとった上で、短時間で実施しました。

【プロフィール】

石井路子(いしい・みちこ) ドラマティーチャー。福島県立いわき総合高等学校教諭として、高校生とプロの演劇人の協働を通じ、飴屋法水作『ブルーシート』(第58回岸田國士戯曲賞受賞)など多数の作品を世に送り出した。2014年度より大阪府追手門学院高等学校表現コミュニケーションコース教諭。著書に『高校生が生きやすくなるための演劇教育』(立東舎)。


この特集の一覧
関連
関連記事