【ずるい言葉】 子供を説得と納得のフィールドに招く

「あなたのためを思って言っているんだよ」「どちらの側にも問題あるんじゃないの?」――。

耳にするとモヤモヤとした不快感を抱く「ずるい言葉」。それらをまとめて、10代に向けて解説した書籍『あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』が、SNS上で話題を呼んでいる。著者である森山至貴氏は、本にどのような思いを込めたのか。いじめや差別を防ぐために、中高生だけでなく教師や保護者など子供に関わる大人こそ知っておきたいコミュニケーションの在り方を今一度考える。


差別やいじめにつながる「ずるい言葉」
――著書はどのような経緯で出版に至ったんですか。

私は現在、早稲田大学で社会学などの授業を担当しています。その中で学生から、毎年のように、「こんなことを友達に言われたのですが言い返せなくてつらかったです」「この言葉になぜかモヤモヤします」といった相談を受けます。改めてその内容を思い返してみると、学生たちが不快に感じている言葉にパターンがあることに気付きました。そうした言葉の傾向を抽出して、まとめて解説した本があると、とても便利なのではないかと考え、企画が始まりました。

ここに出てくる「ずるい言葉」の数々は、学生に協力してもらい、彼らが実際に不快に感じたり、傷ついたり、モヤモヤした言葉をヒアリングし、それをベースにまとめたものです。

――「ずるい言葉」について、本の中ではイラっとしたり、モヤモヤしたりする「思い込みや責任逃れ、偏見に満ちた言葉」と説明しています。
世間に蔓延する「ずるい言葉」について解説する森山氏

例えば「うまく丸め込まれて私が悪いということになってしまったけれど、やっぱり私は間違っていない気がする」「私のことを思って言ってくれたのだろうが、傷つく」など、日常の会話の中で「言語化できないけれど、モヤモヤしたりやイラっとしたりする言葉」のことを指しています。よくかみ砕いてみると、その言葉の裏には発言者の思い込みや責任逃れ、偏見などが隠されている場合があります。

「ずるい言葉」に共通するのは、発言者が相手のことを勝手に決めつけてジャッジしてしまっている点です。

これは「差別」の定義である「ある人をある社会的なカテゴリーに基づいて不当かつ否定的に評価する」ことに、とても似ています。私は差別の研究者でもあるのですが、日常で感じるモヤモヤやイラっとした感情が、実は差別という問題につながっているのです。ですから、差別の要素である「ずるい言葉」に多くの人が気付き、対処法を知っておくことで、差別やいじめを減らせるのではないかと考えています。

――なぜ、中高生など10代に向けて書いたのでしょうか。

中高生のように、年齢が若ければ若いほど「ずるい言葉」を大人から言われるシチュエーションは多くなります。立場上、言い返せずに傷ついたり、苦しくなったりすることも多いですよね。ですから、若い年代をまずエンパワーするために、メインの読者層として設定しました。

本の中では10代でもイメージしやすいように、「ずるい言葉」が出てくる会話例を提示した上で、それに対して解説をおこなっています。子供たちにとって身近な教師や保護者を登場させたり、私自身が子供の頃に言われたシーンを思い出したりして書きました。学校が多く登場するので、教師に「悪役」を多く担ってもらっていますが、実際の教師のみなさんが「ずるい」人たちだと思っているわけではないので、ご容赦いただけると助かります。

――学校関係者からも反響が大きいようですね。

直接お話しする機会はまだないのですが、SNSに感想を載せてくれる先生が多くいらっしゃいます。一番うれしかったのは、司書の先生の「うちの学校の図書室に所蔵しました」という報告です。先生方が児童・生徒にこの本を読んでほしいと思ってくれていることは、私にとって大きな励みになりました。

図書室の隅にこの本があって、モヤモヤを抱えた子供が手に取り、少しでも勇気を持ってくれたら、こんなにうれしいことはありません。

子供が納得するまで説明する努力を
――著書の中には29の「ずるい言葉」が出てきます。中でも注目するべき言葉はありますか。

まず「あなたのためを思って言っているんだよ」は、一番反響があった言葉です。学校の先生も思わず使ってしまうシーンがあるのではないでしょうか。

本の中では「高校に入ったらダンス部に入りたい」と言う子供に対して、保護者が十分な説明をせずに「だめなものはだめ、あなたのためを思って言っているんだよ」と話すシーンとして出てきます。ここで最も問題視したのは、「あなたのため」という言葉によって、本来説明しなければいけない理由や根拠をうやむやにしている点です。

正当な理由も説明されず、自分の意見をねじ伏せられることは、子供にとってみれば暴力ではないでしょうか。私自身も子供の頃、大人にこういった理不尽な対応をされたことを今でも覚えています。

大人と比べて知識や判断能力が未熟な子供に対して、何かを決めてあげること自体は悪だとは思いません。ただその理由を説明しないのは、100%悪だと思います。大人の役割は、子供が納得できるように説明する、少なくともその努力をすることです。

――確かに私も子供の頃、思い当たることがあります。

もう一つ象徴的な言葉が、「そのうち気が変わるんじゃない?」です。本の中では、大学で物理を選択したいという女子生徒に、友達が「理系は女子が少ないというから、そのうち気が変わるんじゃない」と投げ掛けます。もし、自分が言われた側だとしたら、何とも言えない後味の悪さを感じませんか。

一見善意からのアドバイスのように捉えられますが、やはりここでも、自分の意見が正しいという根拠の説明責任を果たさず、お茶を濁すために「ずるい言葉」が使われています。

――子供同士でもこのような「ずるい言葉」が交わされているように思います。

もちろんです。しかもやっかいなのは、その「ずるい言葉」が対等な関係ではなく、非対称な関係の中で起こっている場合が多いことです。例えば、お金持ちの子とそうでない子、男の子と女の子、日本人と外国人などの関係において、どちらが優位かを反映する形で、「ずるい言葉」が流通しているように感じます。つまり、「今、自分が優位だな」と感じたときにこそ「ずるい言葉」を使ってしまいがちなのです。「子供は幼くて素直で、悪意なく言ってしまうからしょうがないよね」という単純な話ではないように思います。

大人の場合も同じです。「ずるい言葉」は無意識に出てしまうときもありますが、相手を不快にさせるかもしれないと分かった上で発せられることも多いです。そのように大人が巧みに「ずるい言葉」を使っているところを見て、子供たちが安易に使ってしまう現状もあるでしょう。

――この本で「ずるい言葉」に触れて、読者にどうなってほしいと思いますか。

単純ではありますが、少しずつ、みんなで気を付けてみようというのが私の提案です。私自身も含め、ここにある「ずるい言葉」を全く使わず、そんな発想を持たずに生きていくことは相当ハードルが高いことです。それでも、「日常的に少し気を付けてみれば、あなた自身も周りも変わるはずだよ」とは伝えていきたいですね。

――私も自分が見て見ぬふりをしていたずるい気持ちに触れて、他人と会話することの難しさを改めて感じました。まさに、本の中に出てくる「あれもこれも言えないとなると、もう何も言えなくなる」状態に近いなと。そんな反応はありましたか。

たくさんありました。読み進めていて「何も言えなくなるじゃないか」と思っていたら、「あれもこれも言えなくなると何も言えなくなる」という項目が出てきて、ぎくりとしたという感想はよく聞きます。

そんな人には、「他にも言えることはいっぱいあるよ」と伝えたいです。この本が指摘した「ずるい言葉」はたった29個だけで、この世界には無数に言葉があります。「気を付けなければいけないことがいっぱいあって分からない」ではなく、「これと、これと、これに気を付けよう」と考えながら、コミュニケーションの助けとしてこの本を活用してほしいですね。

言葉の車の走らせ方を見直して
――LGBTや外国籍、障害のある子供など、多様な子供が学校にはいます。マイノリティーの子供と話すとき、「差別意識をなくしましょう」と言っているわれわれ大人側も、気を使って言葉を選んでいると感じることがあります。

「それで何か問題がありますか」というのが、私の考えです。「気を使ってしまいます」と言われたら、「それが本来のコミュニケーションの形でしょう」と答えます。気をつかってうまく言葉が出てこないしんどさを抱え、悩み、迷いながら、人と人は関係性を深めていくものではないでしょうか。そうやって大切な人と信頼関係を築くことこそ、健全な在り方だと思います。

ここで気を付けてほしいのは、気を使うことに違和感を抱く裏側に「気を使うのが面倒くさい」という本音が隠されていないかということです。面倒くさい、煩わしいという気持ちを自分の中で「気を使うようバイアスをかけてしまっているからやめるべき」と自分に都合よく変換していないかは、常に自省してほしいですね。

――教師は子供とコミュニケーションをとる上で、どのようなことに気を付ければいいでしょうか。
子供との対話でも、自分の意見の根拠や理由を説明する責務があると話す

子供たちを、説得と納得のフィールドに招いてコミュニケーションをとってほしいと思います。説得したり、説得されたり、相手の言うことにちゃんと納得したり…。子供たちにそういう経験をさせてあげるのが、彼らが他者と生きていくためのスキルを身に付ける上でとても大切なのではないでしょうか。

子供に対し、大人はどうしても命令的にコミュニケーションをとってしまいがちです。本来、対等な対話は説得と納得で形成されています。自分をその相手として扱ってくれる大人がいると感じると、子供は自分が尊重されていると感じますし、そうしたコミュニケーションをとれる大人になれるのではないでしょうか。

もちろん、子供と接する際は、大人同士のやり取り以上に困難なこともあるでしょう。ただこの本を読んだ学校の先生方が「子供を説得と納得のフィールドの上で遊ばせてあげるためには、プロフェッショナルな技術が必要なんだ」と、ご自身の役割に誇りを持って子供たちと向き合ってくだされば、著者としてこんなにうれしいことはありません。

――「ずるい言葉」をはじめ、コミュニケーションの在り方を子供たちにどう伝えていけばいいでしょうか。

「ずるい言葉」は言葉の危険運転のようなものです。車の運転では「教習所にも行かず、物を壊そうが、人にぶつかろうが、自分の好きなように運転したい」という主張は認められません。一方で、言葉は目に見えないからその危険性が気付かれにくい。本来は車のように、使い方やテクニックなど、一定の訓練が必要なものなのです。自分の発した言葉が暴走していないか、定期的に振り返る必要があります。

学校の中では、先生が走らせている言葉の車を子供たちは見ています。児童生徒と話しているときはもちろん、同僚や管理職、後輩の先生との会話も聞いていて、「この先生はこんな運転の仕方をするんだな」「信号無視したな」などと感じ取っているでしょう。先生自身が一番分かっていらっしゃると思いますが、子供たちは先生を本当によく見ていますよね。ですから、それを心のどこかにとどめながら、学校で過ごしてもらいたいですね。

ただし、あまりにも多忙な学校の先生に、子供たちの言葉の教育を丸投げするのは現実的ではないですよね。ここまで話したことを保護者や地域の方々など、子供に関わる全ての大人が心掛けるのが理想だと思います。

(板井海奈)

【プロフィール】

森山至貴(もりやま・のりたか) 1982年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(相関社会科学コース)博士課程単位取得退学。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻助教を経て、現在、早稲田大学文学学術院准教授。専門は、社会学、クィア・スタディーズ。著書に『「ゲイコミュニテイ」の社会学』『LGBTを読みとくークィア・スタディーズ入門』。


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