GIGAと35人学級 鈴木寛氏「教員は非連続な学び直しを」

新型コロナウイルス感染症の猛威が続く中、2021年が幕を開けた。学校現場では、新年度に向けてICT環境が急ピッチで整備され、1人1台端末を活用したGIGAスクール構想が本格的にスタートする。小学校全学年の35人学級への段階的な移行が始まると共に、16年ぶりに教職員定数改善計画が策定され、自治体は正規教員の計画的な配置がやりやすくなる。ICTインフラや制度の改善が進む中、元文科副大臣・前文科相補佐官で、東京大学と慶應義塾大学で教える鈴木寛教授は「次は教授法や教員自身といったソフトとヒューマンのところを非連続に入れ替えなければいけない。それには体系的で集中的な教員の学び直しが必要になる」と指摘する。キーワードは「非連続」。加速し始めた学校現場の変化と、それに対応する教員の学び直しについて聞いた。

(聞き手・教育新聞編集委員 佐野領)


16年ぶりに教職員定数改善計画を策定する意義
――小学校全学年で「35人学級」が来年度から5年かけて実現します。40年ぶりに学級編制が見直され、16年ぶりに教職員定数改善計画がちゃんと策定されることになりました。

中学校について決められなかったのは残念でした。「35人学級」は、事実上、従来の加配定数を基礎定数に移す意味合いが大きいので、教員数の実質増は小幅にとどまりますが、計画的に教員を採用できるようになります。その意味で、小泉政権で見送られて以来、16年ぶりとなる教職員定数改善計画の策定は非常に重要だと思います。

大事なのは、これで正規の常勤教員を採用できるようになることです。教員の志望者が減ってきている背景には、長時間勤務を強いられながら、保護者の心ないクレームに傷つけられ、「その上、非正規雇用なのか」という問題があるわけですが、長時間勤務や保護者対応にはいろいろな手を打ち続けるとして、少なくとも正規教員の身分保障がしやすくなるのは、極めて大きな意義があると思います。

最初から、それをもっと言えばよかったんですけどね。教員の基礎定数を増やすための「算定基準としての学級規模の縮小」と「指導法としての少人数指導」との議論がぐちゃぐちゃになってしまい、その整理をしきれないまま予算折衝の期限を迎えてしまったのはちょっと残念でした。

――でも、日本の場合、義務標準法の枠組みでは、学級編制を減らさなければ、結果的に学校の先生を増やすことはできないのですから、学級の人数が焦点になるのは避けられないのではないですか。

そういうところを世の中にうまく説明できませんでした。「35人以下学級」とは18人から35人の間に全ての学級規模を収めるということなのですが、「35人以下学級」はいつのまにか「35人学級」に変容してしまい、多くの国民には「すでにわが子のクラスは35人以下になっているから関係ない」といった程度にしか、受け止められていません。表現の仕方が悪くて、本当にミスリードされているのです。

大きく考えれば、義務標準法の枠組みを変えるという選択肢もあった。そもそも義務標準法の仕組みがそうなっているから学級規模の少人数化を議論しているのであって、本当の狙いは教職員定数改善計画を16年ぶりに作ることであり、それによって若手教員の非正規状態を改善することだというのを、プレゼンテーションの中でもっときちんと説明するべきでした。

つまり、予算折衝の過程では、何が目的で、何が手段で、何が仕組みなのかを整理できないまま、少人数学級の実現が目標化してしまったわけです。この説明やコミュニケーションの悪さが、役人の弱いところです。役人は制度とか法律についての理解はパーフェクトですけれども、それをそのまま世間に説明したときに、世の中の人たちがどう受け取るのかについて、十分な想定ができない。こうしたタックスペイヤー・リレーション(納税者との関係構築)に問題があったと思います。

とはいえ、一番目指していた教職員定数整備計画を16年ぶりに再開できたので、私は良かったと思います。くどいですが、あとは、中学校です。

――正規の教員をきちんと採用できるという点で、教職員定数改善計画を策定する意義を詳しく教えてください。

教職員定数改善計画が作られると、法律の枠組みに基づいた長期的な制度となります。教員の人件費は国が3分の1を出すという義務教育費国庫負担金の交付が保障されますから、自治体にとっては、この財政上の裏付けがある中で、安心して、教員の採用ができるようになります。

加配定数は、法律による担保がありませんので、後年度の人件費負担が減額されてしまう可能性が否定できない。そうすると、加配定数がいくら増えても、財政力の厳しい都道府県では、最悪シナリオに合わせ、正規雇用を控えて、臨時任用職員にするしかありませんでした。

実際、教員の人件費は政権によって左右されます。安倍政権は教育に対して非常にフォローウインドでしたけれども、小泉政権のように非常に厳しいときもある。しかしながら、そうした政権の方針とは関係なく、都道府県にとって教員の人件費負担はずっと続きます。いったん、22歳や24歳で教員を正規採用したら、向こう35年間以上も政権の方針に振り回されることになる。そういうリスクを負いながら、都道府県は教員を新規採用しているわけです。

そもそも経済情勢の先行きが不透明で将来の税収を見通せない中、少子化によってそんなに教員数が必要なのかという議論もある。国の後ろ盾もないのに、教員定数を増やせる県はよっぽど知事が教育に力を入れているところだけです。こういう状況下、教職員定数改善計画もなく、将来を見通すこともできなかったので、多くの都道府県は、教員採用に極めて慎重にならざるを得なかった。それが16年間も続いてきた。

私が文科副大臣のときに小学1年生だけ35人学級に直しました。その後、毎年、一学年ずつ年次進行で35人にしていく予定でしたが、その後の政権ではそうはならなかった。学級編制の見直しと非正規教員の正規化について、これまでの政治は非常に冷たかったと言えます。

今回の予算編成では、そこを政治の世界だけではなく、ちゃんと法律で定めることを国家意思として確認したわけです。これで都道府県は中長期的展望に立って、安心して採用を始められる。これは極めて大きな意味があります。学校教育関係者にとっては、教職員定数改善計画の策定が16年ぶりにできたことで、今回の学級編制論議は十分、目的を達したと思います。

――いま都市部を中心に教員の人材確保が難しくなってきています。優秀な人材を教員として確保するという意味では、どのような影響があるのでしょうか。

教員の新規採用は、臨時任用職員が多いです。1年ごとに契約が更新され、定年までの雇用は保障されない。民間企業で言えば、非正規社員の採用枠がほとんどで、身分がいつ切られても文句は言えない立場です。

そうした臨時採用で何年か教壇に立たないと、正規の常勤教員に移行できない。新人教員が腰を据えて研鑽(けんさん)もできない。財政力の厳しい道府県を中心に、これが教員のキャリアパスになっています。

いまの時代、教員採用は民間企業との競合です。コロナ禍で民間の雇用情勢がどうなるか不透明ですが、優秀な人材を民間企業と奪い合う中で、教員は圧倒的な敗北を喫しています。それは、そうですよね。民間企業は正規社員のオファーを出しているのに、教員は臨時採用として非正規雇用のオファーしか出せない。

しかも採用内定の時期が、民間企業は教員よりも数カ月早い。民間企業が採用内定を出す時期に、教員免許の教育実習をやっていたり、民間企業の採用内定が出た後に教員の採用試験が行われていたりする。就労条件だけじゃなくて、こうした時期的なハンディもあります。

教職に従事したいという教育学部の学生は、以前に比べれば、潜在的に増えています。教育に関心を持っている高校生や大学生も非常に増えています。そこには自分が受けてきた教育を何とか変えたいという気持ちもある。

それだけの需要がありながら、結局最後のところで、正規ではなく臨時でしか採用されないという条件、3Kで大変だという就業環境、そして採用時期を巡るタイミングという問題が重なって、教員採用は民間企業に負け続けてきた。そうした問題のうち、少なくとも1つが、小学校教員については、16年ぶりの教職員定数改善計画の策定によって取り払われるということです。

3Kの就労環境については、働き方改革などを通して、教員がなるべく教員の仕事に集中できるようにしていくことが必要で、引き続き取り組まなければなりません。民間企業との人材争奪戦については、教職大学院の多くで教員就職率が9割を超えていることを考えれば、教職大学院を経由して教員になるルートを充実させていくことで、ある程度解決できると思います。

教員の指導力向上へ 研修定員の確保が必要
――GIGAスクール構想によって今年3月までに全国の小中学校に1人1台端末が配備される見通しになりました。デジタル教科書についても、来年度予算案では小中学校の6割で1教科に導入する経費が計上され、学校と家庭の両方でデジタル教科書を使って学ぶ状況が想定されています。こうしたハード面の整備が進む一方、次のステップとして、ソフト面の課題として、ICT環境に対応した「教員の指導力向上」が急速に注目されてきています。

来年度予算編成で交わされた少人数学級を巡る議論には、いろいろな混乱があります。まずそこを整理したほうがいいでしょう。この間の教員増の多くは特別支援教育に充てられてきました。そのこと自体は重要なことですが、それを除くと「児童生徒に対する教員の割合」(ST比 Student Teacher Ratio)は、ほとんど改善していません。公正な個別最適化やGIGAスクールの成功、新型コロナ対策だけでなく、さまざまな教育目的を達成するために、学校に配置する教員の総数は増やしていくことが必要です。

ただ、学力向上と学級規模の関連、つまり、少人数指導か多人数指導かという議論については、生徒の学びに応じて、少人数の指導がいい時もあれば、大人数で指導することがいい時もある、というのが正解です。ST比を改善して教員を増やし、その与えられた教員数を、少人数指導に充てるのか、あるいは、教員の研修の促進のために充てるのか、ここは大いに議論すべきです。

もちろん、少人数指導に向いている場合もあります。いろいろな課題を抱えている子供たちと向き合うとか教育の対象や、教育の内容にもよります。一方で、教員に研修の時間を与えて教師力を上げた方が、より教育効果が高い場合もあるということが、OECDの国際比較によって分かっています。増加した教員をどういうふうに使っていくのか。そのベストポートフォリオは学校長が学校現場のニーズに応じて個別最適化していくのがいいわけです。

少人数指導の効果が必ずしも高くないと主張している研究論文も、学校に配置される教員数を減らせといっているわけでも、教職員定数改善計画策定による若手教員の正規化に反対しているわけではありません。与えられた人員の最も効果的な活用方法については、学級規模の縮小以外にも、いろんな選択肢がありますよ、と指摘しているのです。こうした選択肢を可能にするためにも一定の教員数の確保は必要です。

私は、いまの学校現場には「研修」充実のための「定員確保」が必要だと思います。教員を学校現場から外して教職大学院などに1年とか2年とか長期間通わせることがこれからは大いに必要になります。これを実現するためには、いったん学校現場を離れる教員を補充する人材が必要です。それを確保する枠を「研修定員」と呼んでいます。

いまも加配定数として少しありますが、これを大幅に増やし、しかも、基礎定数化することが重要です。なぜならば、いま教員に必要なことは、これまでの延長線上にある連続的な成長ではなく、非連続な革新的な変化と成長だからです。教員をパソコンに例えれば、OSを丸ごと新しく入れ替えなければいけません。

学習環境としては、1人1台端末やデジタル教科書の導入で、非連続なイノベーションを進めていく環境整備がやっとできつつあります。今度は教授法や教員自身といったソフトとヒューマンのところを非連続に入れ替えなければいけない。それには体系的かつ集中的な教員の学び直しが必要になります。これはデジタル教科書での教え方を習うようなレベルではありません。これまでの学力観、学校観すら、変わってしまうような劇的な学びの変化を理解すること、そこにちゃんと気付いてもらうことが第一歩です。

つまり、「教師の役割は子供たちに教えることである」という教師像自体が崩れるわけです。今まで教員の仕事は授業でのレクチャーが中心でした。だけど、授業の中身は、基本的にはパーソナライズされた子供たちのセルフ・ラーニングになります。そこに、AIドリルとか、学びの学習履歴などのアーカイブが加わって、徹底した学びのカスタマイズが行われます。

そのときに教員の仕事は、まったく変わっていきます。児童生徒たちの学びのモチベーションをかき立てること、児童生徒ごとに最適な教材、最適な学習法を選ぶこと、セルフ・ラーニングの後に子供たちから湧き出てくる質疑に対し、的確に答え、さらになる主体的な意欲的な学びにつなげること。セルフ・ラーニングに加えて、効果的な協働学習をうまく盛り込み、学びの意義を実感していくこと。これらが教員の仕事になります。これは教員にしかできない仕事です。AIでは代替できません。

このグットサイクル(好循環)をどうやって回していくのか。子供たちに関心、意欲、動機付けを行い、質問に的確に答えていくのが教員の仕事であり、それが新学習指導要領が強調する「主体的・対話的で深い学び」を成立させるわけです。

もう一つ、教員の重要な仕事があります。それがコラボレーティブ・ラーニング、つまり協働的な学びの話です。いろいろな人とオンラインを含めて協働学習をするためのデジタルプラットフォームは整いましたが、一番大事なのはグループの組み合わせ方です。

協働学習をやるときに少人数指導がいいという議論は、20世紀の話。2人で組んだ方がいい学びもあれば、3人や5人でやった方がいい学びもある。8人、16人、32人、64人、128人、256人と、協働学習には適正なサイズがあり、この設計をきちんとデザインしていくことが大切です。

サイズを決めたら、次に誰と誰を同じチームにするのかを考えていくことが重要です。これもAIでは無理です。個別最適な学びの対象は、何を学ぶかというコンテンツの問題だけではありません。誰と学ぶのか。これも最適化しなければいけないのです。

さらには学ぶ場所も重要です。図書館で学ぶのか、理科実験室で学ぶのか、それとも自然観察で学ぶのか。

最後にいつ学ぶのか。1週間ぶっ続けで集中的に学んだ方がいいのか。あるいはモジュール学習のように15分で切っていいのか。学ぶ時間についてもカスタマイズしなければいけません。

こうした協働学習のカスタマイズは、ちゃんと児童生徒の能力や性格をよく分かっている教員が、うまく設計する必要があります。そうしないと、本当の意味での協働的な学びは成立しないのです。子供たちのキャラクター、リーダーシップ、フォロワーシップなどを分かっている教員が力を発揮すべきところです。

こうした考え方やノウハウは、いまの現役教員たちが学生時代に教員免許を取ったときには、あまり重視されていませんでした。しかし、これからは教師像が120度ぐらい変わるわけです。

今回のコロナ禍で、学校とは何なのか、通学するとは何なのか、という常識が揺らいでいます。学校は学力を身に付けるところだという常識も問い直されています。学校の意味は、居場所だったり、コミュニケーションだったり、あるいは友達づくりだったりすることがより明らかになった。もちろん発達障害のように、特別なケアの問題もある。暗黙知のようになってきた学校の機能や意味を改めて棚卸しをして、今までのウェイト付けを変えなければいけない。

そうしたことも含めて、教員はやっぱり1回、学校現場から離れて、集中的、体系的に学び直す必要があります。それこそ教員自身がもう1回、自分をメタ認知して、まさにエージェンシー(主体性)を持って自分自身を作り替えていくことが、これから急速に必要になっていきます。

そうした学び直しの研修を計画的に長期的にやっていくには、そのために必要な人員が基礎定数になっていないと実現できません。そういう意味で、私は研修定員の基礎定数化が、次なる大事な議論だと思います。

それからもう一つ、デジタル化が進む中で、個別最適化や情報の取り扱いも含めて、デジタルトランスフォーメーションに関する能力が高い教員を配置していく必要もあります。DX担当の教員を、副校長、主任、担当といろいろなレベルで充実させ、それを基礎定数に盛り込んでいく議論をする時期にきています。

2021年 学校現場のエージェンシーが問われる
――今年は学校現場にとって、どんな1年になりますか。

とにかく4月1日からGIGAスクールの体制が整います。1人1台の端末と、おおむね高速なネットワーク環境が全国の小中学校に整備されるわけです。それをどういうふうに導入していくのか、使いこなしていくのかが問われます。ただ、1学期、特に4月5月には「入れたはいいけど使えない」という状態が必ずあるでしょう。それは最初から織り込んでおいて、うまくいかなくても寛大に受け止めた方がいい。そして、その導入期の混乱をなるべく早めにクリアしたら、やっぱり学びと学校を変えていかなければいけない。

当面、導入するために、とにかくバタバタで頭が一杯になるのは分かります。でも、そういう時だからこそ、学校の中でそのバタバタから意図的に少し距離を置いて、ものを考える人を置いた方がいいと思います。教頭が現場対応するなら、校長が俯瞰(ふかん)して鳥瞰(ちょうかん)して考える。あるいは、導入の責任者は本当に多忙だと思いますが、その責任者とは別に、導入によってどういうイノベーションを起こしていくのか、どういう問題を解決していくのか、距離を置いて考える人が必要です。

こういう導入の時期には、世の中の期待値は上がる。しかし、現場の準備ができてないという状態が起きやすい。学校現場は、この板挟みになります。だから導入期の問題点をちゃんと整理して、優先順位を付けた上で取捨選択しなければなりません。学校現場は、この取捨選択が今まであまりうまくなかった。特に「捨」が下手です。

5000億円もの予算を投入してGIGAスクールをスタートさせるのですから、当然、社会や納税者の期待に応えていかなければならないのですが、目的は子供たちの教育なので、子供たちが成長して予算投入の成果が出るまでには、どうしても時間がかかります。国や市町村の財政当局には、GIGAスクールを使いこなして成果を出すまでには、少し長めで見守ってもらい、現場の教員たちに時間や裁量を与えてほしい。特にカリキュラム選択の自由が大切です。

新しい段階に入るときには、ステップを細かく切って、一つ一つ丁寧にやっていくことが結局、早道になります。だから、いきなり全教科にICTを入れるのではなく、どの教科から、あるいはどの教師から、どのように入れていったらいいのか、丁寧に計画して、取り組むことです。ICT活用はそれ自体が目的ではなく、手段です。子供たちがエージェンシー(主体性)を育み、アクティブラーナー(能動的な学習者)になっていくために、新しい学力観、教育観に基づいて、ICTをどうつなげていくのか。学校現場では、これを整理して取り組んでいただくことが大事だと思います。

――多くの学校現場の先生は3カ月後、6カ月後、1年後に自分たちがどういう教え方をすることになるのか、十分にイメージできていないのかもしれません。

「未来を予想する最大の方法は、自らそれを作り出すことである」との名言がありますが、要するに、自分たちがどうしたいのかが問われているわけです。

教員、校長、教育委員会がそれぞれのエージェンシーを発揮しなければならない。それがなかったから、日本の学校現場のデジタル化対応が遅れたわけです。学校のデジタル対応を国際比較してみると、日本は10年前には世界のトップグループには入っていました。けれども、今では、世界70数カ国の中で、日本が最下位です。なぜ、これほどひどい状態になったかと言えば、理由のひとつは、教員たちが「こういう学びをやりたいから、デジタル環境を整備してくれ」という要望をほとんど出さなかったからです。

――でも、学校現場や教員からみれば、これまで働き方改革が必要なくらい懸命に働いて、文科省や教育委員会が言うことにはちゃんと対応してきた、という思いがあるでしょう。

結局、今求められているのは、文科省や教育委員会の指示を教員が待っているような中央集権型の教育から、一人一人の教員がエージェンシーを発揮する自律分散協調型への転換です。インターネットの構造自体が自律分散協調型で、ホストコンピューターシステムから決定的に違っているでしょう。それと同じように、全国3万5000校の小中高の学校の現場に、それぞれエージェンシーを持つ教員たちが自律していて、その人たちが分散的に存在しながらも、同時にいろいろ協調しながらやっていくかたちに転換していかなければならないわけです。

今までは文科省からの指令が教育委員会経由で降りてきて、学校現場の教員たちはこれに従うパッシブフォロワー(受動的な追随者)でした。このパッシブフォロワーが、本当に自律的なエージェンシーを持った主体になれるかどうかが、今回のチャレンジです。そのためにも、教員の本格的な学び直しこそが重要となります。

――教員だけじゃなくて、日本人の多くが苦手なところですね。

そうです。だけれど、教育現場からこれが始まらない限り、次の世代はエージェンシーなんか持てません。世界の中で日本だけがずっとエージェンシーを持てない国にとどまり続けてしまいます。これからロボットとAIが台頭する時代に、人間が人間らしく生きていくためにはエージェンシーが必要なのに、それが持てないことになる。

鶏とたまごの関係です。社会全体を変えていくのと、まず教育現場から変えていくのと、どちらが簡単でしょうか。それを考えると、教育現場から変えていく方が実現可能性が高い。つまり、政府がその気になり、学校現場がその気になれば、学校は変えられる。だから学校は、未来を作れるところなのです。

でも、学校というのは難しいところがあって、未来を作れる場所ではありますが、同時に既存社会のフォロワー(追随者)にもなってしまう。いまの学校は中央集権的な20世紀社会のフォロワーになってしまっています。本来ならば、いまの21世紀を飛び越して、22世紀を先取りした学びのコミュニティーを作ることもできます。学校が22世紀の先導者になれるかどうか。それは学校自身が自律的なエージェンシーを発揮できるかどうかにかかかっています。

もちろん、2世紀分飛び越して、20世紀から22世紀に行かなきゃいけないのだから、大変なことです。けれど、それぐらい革命的なタイミングに、いまの学校現場はある。コロナ禍がそのことを一段と鮮明にしたのだと思います。教員はそういう歴史観を身に付け、自分がなすべきことを考えなければだめです。

20世紀の価値を追随する人から、22世紀の価値を作り出す人に転換できるかどうか。2021年は学校現場と教員にとって変化の多い1年になりそうですが、結局、問われるのはそこです。


関連

あなたへのお薦め

 
特集